プライド

6月のプライドマンスが終わったので、その話を残しておこう。吐き出さないと頭の中でモヤモヤしてて他の新しいことを考えられないので。

まず、私は自分をqueerと認識しようかと思い始めた。
asexualなのかと以前から思っていたけど、aromantic, heterosexual, lesbian, bisexsualあるいは questioningかもしれない。いちいち当てはめなくても何であれ私は私だけど、つい考える。答えは死ぬまでわからん。私が自身のことを知らないのだから、他の人にわかるはずもない。答えはいつわかるだろうか。わかる必要もないのだろうが。

最近思うこの人おしゃれだなー、素敵だなー、かっこいいなー、かわいいなぁーと思う人、ゲイ、レズビアンまたはノンバイナリー率が高い。一般的な男性、女性もいるけど。それは私もそうだからだろうか?それともそういうカルチャー的ファッションが魅力的に見えるのだろうか。

先日プライドパレードのあった日、仕事でパレードは行けなかったけど、初めてゲイバーに行った。お客さんもお店の人もそういう人ばかり。熱いキスをし合っている方々もちらほら。ロンドンは自由で良い。周りの人を見ながらただ圧倒された。
NetflixのSex EducationとHeartstopper、イギリス英語を勉強できるし話が面白いし役者もキャラクターも好き。あとAtypical(ユニークライフ)とかポーランド映画のFANFIKも良かった。

自分は女性として生きてるしこれからも生きていくけど、自分の体に対する嫌悪は度々感じる。別に男になりたいわけではない。生理とか、胸の話、下着の話の類が苦手。存在しなくて良いのにと思ったり思わなかったり。ワードを口に出すのも苦手。まさか自分が記録に残る形でこのワードを書くとは。(これすらも。)誰かに言われた言葉を聞き流すのはいいけど、家族にも友達にも、自ら口に出すことは絶対にない。
これは日本の社会が、それは恥ずかしいもの、隠すべきものしてきたことに由来するのかと言われたらそうかもしれないし、ただ私が性嫌悪なのかもしれない。

先月、いとこ(男性)に子供が産まれて、叔母さんや母と一緒に嬉しい気持ちになったけど、いざ結婚、妊娠、出産を自分ケースで考えると、将来像がちっとも浮かばない。そもそも、何で子供を産むのは女性だけなのか と、自然に対して無駄な抵抗をしたいところだけど仕方がない。妊娠して出産、おめでたい!というのが世間の風潮ですけど、普通に怖すぎるし、自分の体が徐々に変わっていく不気味さと醜さと体調不良に耐えられない気がする。そして妊娠期間は色々と制限を強いられ、出産は死の危険性もあるわけで、二人の子供であろうがそれを全部女側が一人で乗り越えなければならないなんて(ついでにいまの日本社会においては、そのイベント前後の仕事や家事やらについても想像しただけで気が遠くなるのは言うまでもない)、今の私としては無理すぎる出来事でしかない。養子を受け入れる家庭もあるけど、やはり他の大多数の人々のように、自分の血を継いだ子供が欲しいとなったら、産むしかない。男性はいいなと思ってしまう。生きてるのだからいつか気が変わることもあるだろう。それで子供が欲しい産みたいとなった時に出てくるのが年齢問題。なんで女だけ適齢年齢があるのよ。おいこら自然の神!アゲイン。
色んな道があるし、割り切れたらいいんだけど、なんともモヤモヤしてしまう。恋人もパートナーもいた事もないし、いる未来が想像すらできないそんな自分が、その努力もせずに25歳で何を無駄に考えてるんだって思われるかもしれないけど、無駄だろうが考えてる。周りの人のアドバイスを取り入れてみるタイミングか。若いうちに勿体無いよと言われるのもあながち間違いではないのかもしれない。

プライドといえば、よく私は自信を持ってって沢山の人に言われる。自分でも自信がなくてそういう態度が出てしまっているのはわかっている反面、いろんな人に対して心の中で絶対負けねぇーと思ったりしてて、プライドが高いのか低いのかわからんという日々です。
自分の性格について、これまで家族には頑固とか、根気強いと言われ、友達は芯があると言ってくれて、そしてまさかのゼミの教授にこだわりが強い印象と言われた。なんか全部似てる?自分の夢に向かってそういう人でいられるのは素敵だけど、私は自分自身についても、こうなんだ、これは無理なんだって決めつけてる所はある。冒険したら変わるかなぁ。自分がただのこじらせ頑固老害婆さんになるのが怖い。

こんな自分でも自分を好きになりたい。以前よりは経験値を得ることで自信もついてきたし、自分を好きになれているけど、まだこうやってモヤモヤしてしょんぼりして世界は敵だ!という気持ちで生活しているから、自分大好きには遠い。そんな自分も愛せますよう。