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YMS VISAでのイギリス生活を終えて。

イギリスのワーキングホリデーこと、ymsビザでの2年間のイギリス滞在を終えて、日本での就職活動が終わって一息ついたこのタイミングで自分の体験と思いをまとめてみようと思います。

自分自身、渡英する前・した後の他の人の生活が気になり、よく「ワーホリ」「YMS 」「帰国後」といったキーワードでネット検索したり、noteの記事を検索し、元気をもらっていました。一人一人体験もスキルも夢も違うので参考になるかわからないけれど、一個人の経験であれ、誰かの何かのきっかけになれば幸いです。ワーホリ=ただの遊びなんて、行ったことのない人に簡単に言って欲しくない。もっとワーホリ経験者が増えて、社会ももっとワーホリ経験を尊重してくれるといいなと願います。

ワーキングホリデーに行くという決断、行動、結果を通して得られた自分の中の変化をまとめてみたいと思います。


この記事を書くにあたって

これまでのnoteは自分のメモ用として書いておりました。
今後の投稿についても、読者に向けて書く時もあれば、自分の頭の整理に書くこともあるかもしれません。今回はYMSやワーホリに興味がある方や既に体験された方が、私と同じように検索をかけてこの記事を見つけて読む気になってくれた方に、こんな人もいるという経験談をシェアできればと思い、書いてみることにしました。

この記事は渡英を決心するまでの経緯についてです。
帰国して就活を終えた今も、自分の決断は正しかったなと思っています。

これまでの経歴

自己紹介代わりにざっくりこれまでの背景について。

  • 大学時代
    一番好きで得意な科目が英語だったので、大学は文学部の英語系学科に入学。入学後は決して英語が得意と言えるレベルではなく、クラス分けも一番下。在学中のとある英文学の授業がきっかけで文学、イギリス文化に興味を持ち、次第にUK Musicやイギリス英語が好きになりました。英語は得意ではないけれど、苦手でもない、授業で触れ続けている程度で卒業しました。

  • 就活
    業界・事業・職種、自分に何が向いているのか、何をしたいのかもわからないまま、とりあえず大手や多人数を採用していそうな企業を受けました。きちんとした熱意も今後のビジョンもないので内定ももらえずに大学4年の夏が終わろうとしていました。リフレッシュしようと思いある友達に相談した時に海外志向の強いその友達の発言に影響されて、受けたこともない外資、受けたこともない業界の会社を1社を応募し、幸運にもそこで内定をいただきました。選考で6回の面接(多)を乗り越えたものの自分に自信はなく、企業はとにかく誰かを採用したかったのか?と今でもネガティブに思ってしまいますが、強いていうなら就活前に受けたTOEICスコア700以上のおかげかもしれない。

  • 会社員経験
    外資系かつ海外部署とメールをする業務だったので、日々ビジネス英語を吸収し、海外の人と仕事をすることにやりがいを感じていました。とはいえスピーキングの機会はほとんどなく、海外からの電話対応がたまにあっても簡単な回答するのがやっと。一方で周りの人たちは留学経験者も多く、英語でのミーティングや電話対応になんの抵抗もないようでした。入社はコロナパンデミックと重なり、業務も段々と増えて残業が続き、閉塞感に参ってしまい2年目春に早くも転職を決断。しかし次にやりたい仕事もわからず、残業しながらの転職活動に身も入らず、自分を追い込むためにも1年半で退職へ。

渡英を決めた理由

  • 英語力
    仕事での英語力不足を感じました。入社後もTOEICを受け続けて点数は上がったものの、700点台のまま。当時の業務においては特に問題はなかったかと思います。しかし今後その企業や他のグローバル企業で働き続けるにしても

    ・いざとなったときに上司や先輩のようにきちんと英語を使えるのか?
    ・今自分が使っている英語表現をネイティブはどう思っているんだろう?
    ・細かなニュアンスなど、自分は正しく英語を支えているのか?
    ・英語で話す事そのものや発音に抵抗感・苦手感がある

    といった不安がありました。学生時代に留学を経験しなかった自分にとって、ネイティブに囲まれて英語漬け生活をすることを諦められておらず、改めてその必要性を感じました。英語を学ぶなら自分の興味のあるイギリス一択。当時は語学学校での短期留学を予定していたものの、ビザ抽選制だった当時に1発当選。金銭的不安もあったのでこれは現地で働けるワーホリで行くしかないだろという感じでした。

  • コロナ禍、2020-2022のタイミング
    業務で海外部署とやりとりをする中で周りの人の口から「あの国の人は〜」などの偏見やイメージを耳にすることも多くなり、実際によく知らない海外の人や文化のことを知ってるかのような人間になりたくないという気持ちが生じました。また、コロナ禍で業務の進め方など仕事における変化、社会の変化、あらゆるものが変わりながら状況に対応するようになり、自分で考えて判断することの重要性を感じるようになりました。加えて、東京五輪・北京五輪の年だったこともあり、国同士の繋がりや違いを意識することも多く、その他、情報リテラシー、ジェンダー、LGBTQ+、労働問題、環境問題、音楽・アートへの個人的関心もこの頃高まっており、コロナ禍の閉塞感から抜け出したい欲と相まって海外で視野を広げたい気持ち大きくなりました。

  • 自分で決断して何かやり遂げてみたい
    これまでの受験と就活は親や家族、他の人に言われるままになんとなく経験し、そして第一志望に受かるという華やかな思い出とは無縁の人生でした。負け組の人生…という感情が心の根底にありました。そんな中、自分のやりたいことが明確で夢に向かって努力をしている知り合いや、今を精一杯楽しんで生きている友人が輝いて見えました。自分で決断して、たとえそこに困難や不安があろうが行動を起こしてやってみる、そんな姿勢で自分の人生を生きていきたいという思いから、一旦会社勤めのルートから逸れてみることに。大学のゼミでゲスト講師が言っていた「あなたは羊の群れの中の1匹か、それともバラエティ豊かな動物園の1匹か」の質問を思い出す。どっちが良い悪いの話ではないが、羊の自分を変えたいなら強硬手段でも多様性社会に身を置くのがいいと講師が付け加えていた。今がそのチャンスじゃないか!!と。

帰国後の再就職では面接中は簡潔に退職理由、渡航理由を答えなければならないけれど、面接では答えられない複雑な心境と要因が絡まって自分の渡航理由となっていたことをここに記録しておきます。綺麗な言葉でまとめて終わりにはしたくないので。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
渡航までの期間、滞在中、帰国後についてはまた投稿していきたいと思います。