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オンデマンド再生で失ったもの

noteの記事をツイートしたあと、相互フォローさんのこのツイートを見て「ああああ」と思った。

以前はTVとかラジオとかCMとかで、勝手に流れてくる音楽が勝手に耳に入ってきて、それがヒット曲になっていっていたんですよね。TVやラジオだけじゃない、街中にも、勝手に流れる音楽は溢れてました。買い物するために雑貨屋とか洋服屋、大概のジャンルのお店で勝手に音楽は流れてました。それこそ、お店の外にまで音が溢れ出るのは当たり前で、パチンコ屋も店内の喧騒を上回る音量で有線放送かなんかをかけていたから、その時のヒット曲、それこそグリーンディだってオアシスだってパチンコ屋から聞こえてくるような世の中でした。

いつのまにか、街中で勝手に耳に入ってくる音楽は消えて、CMはスキップされるようになりました。街中の音楽が消えたのは「聴きたいと思ってない音楽が勝手に流れてくるのは騒々しくてイヤ」というお客様の声が多くなって音量が小さくなって外に音漏れしなくなり、更に店内で音楽をかけない小売店が増えたからです。一昔前まではパチンコ屋でもドラッグストアでもどこでも、とりあえず音楽は流れていたので、街中を歩く時にイヤホンして自分の好きな音楽を聴いていたとしても、お店に入ったらそこではどんな音楽が流れているんだろうと気になるのでイヤホンを外して店内BGMを聴く習慣がありました。「○○系列のドラッグストアはオルタナ系の選曲がいい」とか、友人との話題に上ったりもしていました。今となっては大概の小売店は環境音と生活音が中心で、BGMは耳に入ってきません。

「聴きたくない音楽」が勝手に耳に入ってくると人間の耳はそれを実際よりも大きな音と捉える傾向があるそうです。騒音問題は実際の音の大きさの数値だけじゃなく、聴く側がそれをどれくらい強く不快だと捉えているかも関わってくる、みたいな新聞記事で読んだのを何故か今も覚えています。

TV番組を録画する人たちは追っかけ再生でも後から視聴でもCMを容赦無くスキップする習慣がついているのでCMソングもあまり人の耳に残らなくなりました。みんな聴きたいものを聴きたい時にだけオンデマンドで聴く習慣が強固に定着しています。

Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスが普及して「1億曲が聴き放題」と言われても、普通の人が年間聴く曲は1000曲にも満たないのが現実です。そして、アイスクリームのフレーバーを100種類用意されても、その中からオレンジ・バルサミコを選ぶ人より塩キャラメル、ピスタチオくらいの斬新さで止めておき、あとは王道のチョコレートやバニラを選ぶのがほとんどなのと同様に「1億曲の中から選び放題だからなんでも選んでもいいよ」と言われても、人は自分で選ぶとなったら途端に保守的な姿勢で選びに行くのが自然な行動です。選ぶものはごく限られていて、絶対選ばないものの方は山ほどあるわけです。だけど音楽って、アートって保守に保守を重ねた上に立つトップが面白いもの、素晴らしいものになるのかって言うと、多分きっとそうじゃないと思うんですよね。

そしてわざわざ道なき道を切り開いて知らない景色を見に行きたい人も更に限られてくる。勝手に耳に入ってくる以外の方法で人が新しい音楽に出会う機会なんて、1億曲から選び放題になったせいでどんどん失われていってるんです。楽曲そのものの力やクオリティは実は大したことないんだけど今まで知らなかったものに偶然出会う、その驚きというゲタを履かせたヒット曲って、多分過去にはたくさんあったわけです。

「業界が勝手に選んで勝手に提示してくる、与えられたものから選ばされる時代じゃなく自分で選ぶ時代になったからこそ、今までなら日の目を見なかった多くの人たちが発信できる環境に変わった」というポジティヴな見方もあるものの、それによって失ったものって、実は大きいんだよなあって実感します。

今だってもちろん、多くの人に支持されるヒット曲はあります。だからレコード会社はSpotifyやAppleMusicのトップページでフィーチャーされるために日々努力をし、トップページを開いて新着や今週のランキングから聴き始める人たちに届くものを作っています。だけど1億曲から選べる時代になってからの方が、限られた曲しか聴けなかった時代よりも、多くの人たちと共有できるものは減ってるような、そんな気がします。

今日の1曲



今日のパンが食べられます。