ティーンエイジャーの子供をなくすということ
1週間くらい開いてなかったInstagramを開いてみたらベン・クウェラーの息子が交通事故で亡くなったとさっき知って動揺している。
長男のドリアンはまだ16歳だった。奥さんのリジーとベン両方にそっくりな男の子。
ベン・クウェラーは来日時はほぼ毎回私がオフィシャルの取材通訳でついていて、子供が生まれる前に地元テキサスに戻ったけど、デビュー当時は結婚前の、当時婚約者だったリジーと2人でブルックリンに住んでいた。私もマンハッタン在住だったので同じニューヨーカーという共通点があって親近感があった。
ベン・クウェラーは2013年に一酸化炭素中毒の事故で死にかかったことがあって、それ以来うつ状態で創作活動があまり出来ていなかった。そこからなんとか回復して復帰しようとしていたところで家族の訃報である。本当に言葉にならないし、私も動揺している。ドリアンには会ったことがないままとなってしまったけど、ベンとリジーの夫婦は幼馴染のような、彼がソロ・デビューするよりも前からの付き合いで、彼のミュージシャンとしてのキャリアがなかなか軌道に乗らずに苦心していた頃も支えてくれた彼女だったから、ベンはずっと、昔も今も彼女をとても愛していて、結婚して、家庭を持って、子供が生まれて、そうした1日1日に感謝しながら大切に暮らしてきた人だと思う。
そんな家族が、成人を迎えることなく、ティーンエイジャーの子供をある日突然亡くすっていうのは筆舌に尽くし難い苦しみだと思う。Instagramには哀悼の意を書き記す人がたくさんいる。だけど私はなんて言葉をかけたらいいのか本当にわからず、今頭の中を整理しながらこれを書いている。
こういう時にいつも思う。神様は連れていってほしくない人から順番にあの世に連れて行く。なんて無能なんだろう。
つい10日前、初めて自分の作品をSpotifyとAppleMusicで配信すると嬉しそうに語る、こんなにキラキラして眩しい子がもうこの世にいない、私たちは今日を生きるしかないんだなと、なんて不確かなものなんだろう、人生って。
今日の1曲
久しぶりにこの曲聴いたら泣いちゃったよ。
今日のパンが食べられます。