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夢を落とした世界のすきまに

友達と大きなけんかをした。
と言っても一方的に私が怒ってぷんぷんして帰ってしまっただけなのだけれど、表参道の横断歩道で、何度もごめんねと言って、泣きそうになったその子の顔が忘れられなかった。けれど、すぐには許せなかった。私が知りたくないことを。一番、知りたくない話を。私だけ、ずっと、立ち止まっている気がして、ああ何も、できていない、何も、変わっていないと、心底落ち込んだ。泣きじゃくって、電話したり、撫でてもらったり、いろんな人の助けを借りたけれど、やっぱり気持ちというものは、全然回復しなくって。「一度実家に帰ったら?」と言われた。帰る気力もなかったけれど、次第に帰る気持ちになったので飛行機を予約して、九州の実家へ帰った。母親には「元気がなくてしばらく帰るかも」と伝えていた。「いつでも帰っておいで」と言ってくれる母。「帰ってきたら遊ぼう!」と励ましてくれる妹。
実際に帰ったら、遊ぶこと食べることに忙しく、ぽよぽよのお腹になって、にこにこになった。お母さんの作るハンバーグも野菜炒めも美味しくて「おかわりもあるよ!」の声に、手が伸びそうになった(が、ぽよのお腹を見てぐっと堪えた)。いっしょにビールを飲んだ。お母さんは、福山雅治のライブに行くのでおめかしをするんだと服を買うと言っていた。妹と3人で中川政七商店へ行って、パンツとタートルネックをプレゼントした。思ったよりも喜んでくれて、何度も嬉しいと言っていた。帰宅してビールを飲みながら、少し酔ったのか「お母さんは、自分のお母さんとこんなことできなかったから」と言っていて。お母さんは、お母さんを20歳のころに亡くしているので、ショッピングも子育ても、何も一緒にできなかったそう。結婚して、私たちが産まれて、がむしゃらに育ててくれた。兄は一流企業に勤め、妹は結婚して子供を産んだ。私は、母に、こうして何かを買ってあげることしかできない。いつかの日、お母さんにマンションを買ってあげることが私の夢なんだとぽろっと溢したら、すっごく喜んでくれた。現実は遠い。頑張らなくちゃ。
日中は朝から晩まで妹と過ごした。朝はスタバに行って、本屋に行って、赤ちゃんと遊んで、ショッピングして。楽しそうにしていた横顔を見ていた。土曜日にはお母さんもいっしょに、ハーモニーランドへ行った。サンリオが大好きなので、本当に嬉しかったし、最後に行ったのは、家族がばらばらになる前、小学2年生のときに行った家族旅行だ。実に20年ぶり…。マイメロディの耳をつけて楽しんだ。家族全員UFOキャッチャーが好きなので、3人で夢中になって、2つもぬいぐるみやクッションをゲット。あっというまに時間は過ぎて、開園から閉園までいた。
4日間の帰省、これまで何度も帰っているけれど、親孝行ができたなあと思えたし、元気が出たし、実にいい時間だった。妹が、あんなにいっしょにいたのに寂しいと空港で呟いた。私はあまり姉らしいことができていないのに。慕ってくれて嬉しい。寂しかったけれど、どうしても行きたいライブがあったので飛行機に乗り、すぐ渋谷の街へ。
友達に謝らなくちゃなあと思っていたら「仲直りがしたいです」とシルバニアのパンダの赤ちゃんの写真とともに送られてきた。私もごめんねと言って仲直り。進んでいるとはやっぱり思えない日々の連続だけれど。私のまなざしは、それでも、生きることと誰かを愛することだった。
帰ってきて、コンビニごはんを脱出。雑穀米を炊いて、鶏肉を焼いて、大分で買ったかぼすこしょうをつける。美味しい。溜まっていた洗濯もする。散らかっていた服や本を片付けて部屋をきれいにする。ハーモニーランドで買ったけどお母さんにあげてしまったマイメロディのスピーカーをメルカリで買い直して、届く。人間らしい生活、すこしずつ、戻ってきた。
帰ってきてからは仕事をしたりbundleの打ち合わせをしたり、楽しい日々である。詩も、文章も、こうして書けるようになってきた。私にはやっぱり書くことしかできない。さよならはできない。あなたはずっと私の中にいる。それでも、それでも。生きて、前を向いて、私も、あなたも。

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