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「どうすればよかったか?」、家族像と子育て

先日ポレポレ東中野で「どうすればよかったか?」を鑑賞しました。

扱っている内容に加え、家族の一員である監督が自ら長い時間をかけて家族を撮っているという、そのドメスティックさがかなり濃いぶん、なんだかとてもズッシリと、絶望的な何かを感じながら見終えました。一緒に観た妻と二人、東中野から千葉まではクタクタのまま電車で帰りました。

他人の家族の人生のことだし、20年の記録を一気に観客として観ているので、この映画を観たあとに反射的に感じがちな感想は「もっと早くに入院させてれば」というものだと思います。

だけど、そう単純でもないのです。

後に入院したときにあっという間に症状が改善した薬や治療方法が、当時あったかは分からないし、なにせその家族のことはその家族にしか分からない。観たあとの感想はまさに、「どうすればよかったか?」

両親、とくに父親は「家族」という形を守りたかったのかなと。病状も進行しているのに、家族生活なんてとっくに破綻しているのに、何もなかったように自分を騙しながら家族の形を守る両親の姿を観て、理想の家族像を作り上げようとする毒父が主人公の映画「葛城事件」を思い出したりもしました。

また、「子育て」という面からも考えたりもしました。
うちの家庭は、妻が外で働き、僕は家で絵を書いたりデザインをしたりして稼働しているので、なんとなくですが家事や料理は僕がやることが比較的多いです。

子ども三人をせっせと育てながら、常にある恐怖は「この育て方で合ってるのか?」というもの。親として適切な教育が出来ているか。正しく叱れてるか、正しく褒められているか、干渉しすぎてないかなど…。いずれ子が大人に成長したときにしか答えが出ないのだけど、この映画の監督が言うような「失敗例」になったとき、どうしよう。

朝昼晩、ご飯を作って食べさせて、週末は持って帰ってきた体操服や上履きを洗い、休みの日にはどこかに連れていき経験値を上げる。一連の、家族の生活のあり方を日々なぞり、ふわっとした「家族像」からなるべくずれないようにやっていく。この映画の両親も、そういう人生を送りたかっただけなのかもしれない。

そんなことを考えながら、この映画の後半にまこちゃんがカメラに向けて何度もやるピースサインを思い出しては、少し救われるような気がしました。良いピースだったなあ。


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