2023年の自己紹介
あけましておめでとうございます。
今年もこのjournalを読んでくださり、ありがとうございます。
ふと先日、journalを書くにあたってちゃんとした自己紹介をしていないことに気づきました。
2023年のはじまりのjournalは、自己紹介をしておこうと思います。
ちなみに、簡単な自己紹介はHPにあります。
忙しい方はこちらをご覧ください。
泉 美沙
BORN TO YOG講師・フリーライター・イベントディレクター
ピアノ講師・ベリーダンサー・ホステス・農家アルバイト(順不同)
高知県高知市出身/在住
1991年5月11日生まれ おうし座 A型
好きな食べ物:無花果・生麩・湯葉・ドーナツ・香草類
好きな飲み物:酒類全般・コーヒー・中国茶
好きなこと:ヨガ・風呂・散歩・文章を書くこと・食べ呑み歩き・音楽(聴く弾く踊る)・読書・タトゥー・ピアス・旅・スケボー
私は高知県高知市に住んでいます。
生まれも育ちも高知県高知市で、実は高知以外で暮らしたことがありません。
4歳からピアノを始め、小学校の6年間はピアノのコンクールにたくさん出る日々を過ごしました。
読書が好きで、たくさん本を読みました。その影響か、文章を書く面白さにも目覚めました。
作文コンクールで入賞するともらえる図書カード目当てに、大人にウケる文章を書く研究をしていました。
中学受験を経て中高一貫校に進学し、吹奏楽(パートはバリトンサックス)に出会います。
部活以外は楽しくなかったのと勉強が出来なさ過ぎて中退しました。
高校はピアノを再開し、音楽系の高校に進学。ピアノコンクールにも再びチャレンジしつつ、同じころに夜遊びを覚えて初めてダンスミュージックに出会います。
同時に、ピアッシングとタトゥーにも興味を持ちました(ちょうど「蛇にピアス」が芥川賞を受賞し、とても影響を受けました)。
たくさんボディピアスを開けて、こっそりファーストタトゥーを入れて、しこたま大人から怒られました。
学校と塾とピアノの練習とバイトと時々の夜遊びを両立するのはめちゃめちゃハードでしたが、この毎日によって「全力で遊び全力で学ぶ」素地が培われたように思います。
ちなみに、高校1年2年と連続で留年ぎりぎりで進級するほど学校には行けていませんでした。
音楽大学に進みたいなあと漠然と思っていましたが、出席日数と素行の悪さからどの大学の推薦ももらえず。
そもそも音大の学費が払える家庭環境ではなかったので、授業料免除制度がある地元の国立大学を一般入試で受験。
幸いにも、その大学の教育学部には音楽の先生になるコースがあり、試験科目にピアノもあったので、なんとか合格することが出来ました。
ありがたいことに、入学料も免除してもらいました。
ちなみに、学力試験の点数は凄惨たるものでした。
大学時代は、学生生活の中で一番勉強していたと思います。
特に芸術・哲学・心理学・語学の授業に熱中していました。ついでに、博物館学芸員の資格も取りました。
このころ一気に勉強が楽しくなったのを覚えています。自分が楽しい!好きだ!と思う分野がはっきりとわかってきたのです。
あと、年に2回の考査でそれなりの成績出して審査をパスしないと授業料を免除してもらえないので、必死でがんばっていました(笑)。
審査に落ちたときに授業料が払えるように、バイトも始めました。高校の頃とは違ってバイト先の選択肢が広がって嬉しかったです。
最初は居酒屋でバイトしていたのですが、もっと稼ぎたくなってホステスを始めました。19歳から始めたので、今年で11年目。なんだかんだ細々と、1番長く続いている職業です。
収入が増えて経済的に余裕が出来たのと、幸運にも授業料免除は一度も落ちることがなかったので、稼いだお金で県内外のフェスやパーティーにも遊びに行くようになりました。音楽と、踊ることがますます好きになりました。
そうするうちに、踊りを本格的にやってみたいと思うようになりました。
21歳の頃にベリーダンスに出会い、ダンススタジオに通い始めます。
大学生活の合間にショーに出させていただいたり、大好きなダンサーのWSを受けに県外へ遠征にも行きました。
同時に、ベリーダンスの際に奏でられる音楽も好きになりました。ベリーダンスの発祥はアラブ諸国。
アラビア語圏の音楽をたくさん聴くようになり、アラブ音楽の研究家のWSをたくさん受講しました。
アラブ音楽の魅力にのめり込んだ私は、大学院に進学して民族音楽(アラブ音楽専攻)を学ぶことにしました。
大学院は、大学よりさらに面白かったです。好きなことを好きなだけ学び、民族音楽ゼミの先生の研究に触れ(沖縄音楽を研究されていました)、論文を書いて書いて書きまくりました。
恐ろしい量の論文やレポートをこなしていくうちに、文章を書くことで自分自身の考えを整理整頓していることに気づきます。
もともと文章を書くことが好きでしたが、より一層「執筆」という行為が身近に、そして自分自身のスキルとして身に着いたように思います。
さて、少し長めの学生生活の中で、好きなことを好きなだけ学び、バイトと遊びに明け暮れ、モラトリアムをのびのびと謳歌していたわけですが、そんな日々にもいつか終わりが来るのです。
本当に好きなことしかしなかった(というより好きなことしかできなかった)私は、教職課程にいたにもかかわらず教員免許を取らず、就職活動も一切せず、大学院を修了し新社会人になったのです。
その時私の手に残っているカードは、博物館学芸員資格・教育学修士・ホステスで培った鬼のコミュニケーション能力のみ。
これからどうしようと思いながらも、ベリーダンスやパーティーや音楽が楽しくて、昼夜バイトをしながら1年ほどふらふらしました。
そんな中、たまたま呑み屋で知り合った人に紹介してもらったのが、行政の観光事業のお手伝いでした。
漠然と「このままふらふらしてちゃだめだ」とうっすら焦り始めていた私は、この話に飛びつきます。
「行政の仕事って、超『昼の社会』やないかい!」と思ったのです。なにせこれまでまともに昼の仕事をしたことがないのですから。
これをきっかけに、行政関連のお仕事をやらせてもらうようになりました。観光PRの記事を書いたり、市町村のパンフレットのコラムを書いたり、企画書を書いたり、観光イベントを手伝ったり。
20代半ばにして昼の仕事や常識を知らないまま、ノリとハッタリでやってきた私に、根気強く社会のルールを教えてくれた大人の皆さまには、心から感謝しています。
ありがたいことに文章を書いたりするお仕事はそれから5年以上続いています。
ホステスに続き、2番目に長く続いている稼業です。
長いですよね。すみません。
まだヨガの話が出てこないのか、と声が聞こえてきそうです。
そうです。ヨガに関わり始め、仕事とし始めたのはとても最近の事です。
ヨガを初めて体験したのは20代前半でした。ベリーダンスの合間に、パフォーマンスの質を上げたくてヨガクラスを受講しました。
ただその頃はダンスが楽しくて、ヨガは継続せず。
気分転換にたまに家でやってみたり、地元のヨガクラスを年に1回くらい受講するくらいでした。
大きく変わったのは、COVID-19が流行する少し前。
SNSでBORN TO YOGというスタイルを知ります。
その後しばらくして、BORN TO YOGのWSが高知県で開催されたのです。
身体を動かす面白さ、そしてBTYの面白さに初めて触れたのがこの時でした。
当時は高知県に先生がいなかったので、県内外で不定期開催されるWSを数回受講しておりました。
そしてBTYにのめり込み始めた頃に発生したCOVID-19。
BTYだけでなくヨガやダンスのクラス・WSは軒並み中止になり、仕事はテレワークに。
身体を動かす機会が格段に減ったため、数回受けたBTYのWSを思い出しながら、家で太陽礼拝や逆立ちを始めました。
ヨガが習慣になったのです。
そうこうしているうちに、BTYのオンラインクラスを様々な先生がスタートさせ、それらも受講するようになりました。
家で黙々と自主練をし、少しずつできることは増えました。三点倒立や、ピンチャマユラーサナをオンラインクラスの画面越しに見様見真似で練習しました。
道のりはとても長かった。学生時代は体育の授業すらまともに受けられず、ダンスは音楽ありきで身体を動かしていた私にとって、初めて身体と真っ向から対峙する時間でした。
私は欲求不満でした。
BORN TO YOGのリアルを知らない。もっと現場を知りたい。
生身の人が動き、その現場に身を置けば、BTYがもっと楽しくなるはずだ。
その思いが募り、BTYTT(BORN TO YOG teacher training)に行くことを決めました。
そう、この頃の私はヨガの先生になるつもりは一切なく、ただただ自分の欲求不満と向き合いたい、BTYの深みにハマってみたい一心でTTへと向かったのです。
TT後、さらにBTYが好きになりました。さらに練習が好きになりました。
ただ好きなだけで漫然といることに、ちょっとずつ違和感を感じ始めました。
この「好き」を自分の中だけで消化していくことに限界を感じていたのかもしれません。
というわけで、人に教えることにしました。
自分の中で面白いと感じ実践していることを、クラスを通して、身体を以て伝えること。
毎日の練習を通して、より深い自分の地層に潜む、未知の面白さを追究すること。
それらをより充実させるために進んでいくと、気づけば穴場というスタジオを作っておりました。
学生のころと変わらず、いまだに私は好きなことしかしていません。
好き、というのはすこしあいまいな表現でしょうか。
もう少し詳しく説明すると、自分自身に対して違和感を感じることなくいられる環境でしか、本領を発揮できないのです。
本領を発揮できないままにお金を稼ぐことは、私にとってはかなり難しい。
ホステスも、ライターも、様々なイベントのディレクションも、たまにご依頼いただくダンスの仕事も、ピアノの先生も、食への興味からスタートした農家のアルバイトも。
そして、BORN TO YOGを実践し、教え、穴場を運営すること。
一見バラバラな職業でも、それらの中心に私が在ることで、どれも等しく好きなこととして、イコールで結ばれてゆく。
2023年は、これらの結びつきがどのように変化するのでしょうか。
それによって自分自身がどのように進化&深化していくのでしょうか。
未知の自分に、心の底からわくわくしています。