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【日記】ありがとうロニー。

SUPER GT2024年シーズン。

第7戦(第8戦)も終了し、残るは12月の最終戦鈴鹿のみとなった。
そんなシーズンもクライマックスを迎えようとしている中、熱血イタリアンこと『ロニー・クインタレッリ』選手が引退を表明した。
今シーズンを最後にSUPER GT GT500クラスを退くらしい。

今回の記事では私のロニーに対する思い出を勝手に語っていこうと思う。

ロニーとの出会い

2007年からSUPER GTを見始めていた私は、最初から日産のファンだった。
そんな中2008年にトヨタから移籍してきたロニーは、当時「イエローハット YMS トミカ GT-R」で横溝直樹とドライブしていた。
ちょうどR35型のデビューイヤーで、驚異的な速さを誇っていたGT-Rの恩恵も受け、第7戦のもてぎにてポール to ウィンしたレースは強烈に覚えている。

ゴールデンルーキー伊沢とラルフ・ファーマン組のARTAの猛追を振り切り、長谷見さんが涙したレースは今でも忘れらない。
このレースで私はロニー・クインタレッリというレーサーをはっきりと認識したのだ。
(イエローハット…スポンサーに戻ってきてー)

引用:X @NISMO_JP より

エースドライバーへの道

2009年のセパンでは「ハセミ トミカ エブロ GT-R」の真っ赤なマシンで優勝した。最近までやっていたSUPER GT+の源流『激走!GT』で何度も見直した思い出のあるレースだ。
今はYouTubeにてフルレースが公開されているのでぜひ見てほしいね。

その後、チームIMPULを経てGT300からステップアップしてきたMOLAへ移籍。
そして2011年、そのMOLAで柳田真孝とともに初のシリーズチャンピオンを獲得、その翌年の2012年は圧倒的な速さと強さで連覇を達成。

この2012年シーズンは本当に本当に強くて、毎戦表彰台は当たり前、第7戦オートポリスにて最終戦を待たずにシリーズチャンピオンを決めた。たしか2007年の伊藤大輔、ラルフ・ファーマン以来2度目の出来事でかなり話題になった。
しかも柳田さんとの同じコンピでの2連覇はSUPER GT初の快挙だったはずだ。

引用:X @NISMO_JP より

ミシュランと2011, 12年モデルのGT-Rは本当に最強だったね。
今のauなんかよりも強いマシンはあったのだよ。みんな。

そして2013年。
日産のエース車両。
カーナンバー『23』を背負い『NISMO』へ移籍したのだ。

最強伝説

2013年は苦戦してしまい3連覇とはならなかったのは残念だった。

だが2014年よりDTMとの車両規定統一によって導入された新たなGT-R、そして松田次生とタッグを組んだロニーは最強になった。
このときのロニーがお気に入りかな。
2014年、2015年松田とともに2連覇達成。
どちらも安定した速さと強さで、圧倒的とはいかないものの、接戦の中で勝ち続けられる力というのがあるシーズンだったと思う。

とくに2015年第2戦の富士スピードウェイGW決戦のレースはお気に入りだ。
実際に観に行ったレースでもある。
おそらくSUPER GTの中で一番見返しているレースだが、あのロニー松田、MOTULの圧倒的王者感が本当に好き。だがレース内容も本当に圧倒的で、終始他を寄せ付けないレースを見せてくれた。

14,15,16シーズンのGT-Rは富士が強かったが、その中でもロニーが運転するMOTULは圧倒的だったね。

引用:X @NISMO_JP より

NISMOの苦戦とライバルの進化

2016年シーズンの鈴鹿1000kmでのガス欠を機に、ロニーとそしてNISMOの歯車がだんだんかみ合わなくなっていくのを感じた。

さらに2017年より導入されたマシン、2020年より導入されたマシンは、正直他メーカに比べて劣っていたと言わざるを得ない。
というのも2017年からは、速くなりすぎつつあるコーナーリングスピードを抑制するためにダウンフォースが25%減少させられた。これによって日産の十八番だった床下のダウンフォース制御を封じられた。

さらに2020年からのニューマシンはコーナーリング重視のマシンに変更。
しかしこれがあだとなってしまった。コロナによって富士大会が多くなり、コーナーリングのために確保したダウンフォースは、ストレートスピードの抵抗となってしまい大苦戦。

2016年以降、チャンピオン争いには加わるものの、思うように勝てないシーズンが続いた。

日産ファンがこのように言うのもあれだが…、マシンのデメリットも受けながら、毎シーズンチャンピオン争いに加わっていたのは、ロニーの強さがあったからこその結果だろう。

日産のエース

2022年シーズンから日産は『Z GT500』を実戦投入。
そのシーズンに「CALSONIC IMPUL Z GT500」がチャンピオンを獲得、そのライバルとなったのはNISMO…、3号車「CRAFTSPORTS MOTUL Z GT500」であった。
23年シーズンもチャンピオン争いを繰り広げたのは3号車「Niterra MOTUL Z GT500」。

このころから感じていたのは日産のエースは3号車。
千代と高星のコンビ。

たしかにロニーと松田のコンビも、決して弱くはない。
ただ、日産のエースと呼べる活躍をしているのは、千代と高星。

そう思ってしまう自分がいた。

黄金コンビの解散

そして2024年シーズン開幕前。
長年にわたってコンビを組んでいたロニーと松田の黄金コンビが解散した。
これについては日産ファンだけではなく、SUPER GTを見ている人の誰もが寂しい気持ちになっただろう。
もちろん私もそのうちの一人だ。

そして今。
最終戦を待たずして日産の全チームのチャンピオン争いの権利はなくなった。
ドライバーの技量だけですべてが決まるわけではないのがSUPER GT…そしてモータースポーツである。
だが、ドライバーの技量が勝敗を左右するのが確かなのもSUPER GT…そしてモータースポーツなのである。

今シーズンも23号車をドライブしているロニーは優勝こそないものの、2位表彰台に2回も上がっている。
決して悪い戦績ではないが、日産のエース車両が勝てていないというのは事実だ。
先ほども言った通り、ドライバーだけがすべてではないが、ドライバーの力が大きく影響するのも確かなのだ。

未来に向けて

ロニーはここで退き、次のドライバーに日産のエースを託す。
これは私たちにとってとても寂しいことだが、ロニーの意見を尊重して、素直に受け止めなければならない。

12月8日…鈴鹿サーキット。
人生初の鈴鹿サーキット生観戦は、人生最後のGT500ドライバーとしてのロニーの走りを見届けるレースになってしまいそうだ。
熱血イタリアンの熱い走りを、この目にしっかり焼き付けたいと思う。

そして「たくさんの感動と熱い走りをありがとう」という気持ちを伝えに行きたいと思う。


というわけで、今日引退を表明したロニーへの記事でした。
これからもこんな感じで緩く適当に書いていこうと思います。

では、また!

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