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千年前を訪ねて、誰でもいつからでも「新しい私」になる✨✨

はじめまして🥰
この投稿をご覧頂き、ありがとうございます💕
副島 和泉(そえじま いずみ)と申します。
小学4年生の女の子と、2年生の男の子のママです❣️
自宅で、古典を取り入れたお子様向けの視写教室と、ママの文学サロンを運営しています📖🖋🌿
また、子ども達の小学校受験の経験から、お受験に臨むママの心を整えるサポートをさせて頂いてます💗

古典というエッセンスをもっと身近に🌿
あなたの日常の中で生かす🌿

今、急速な時代の変化の中で、それに対応しうる柔軟さや、反対に、ぶれない自分らしさが求められています。
そのような時代の中で、変わらずに存在し続ける古典ー。
千年という時の隔たりは、あなたも、あなたのお子様も、またあなたのお母様にも対等に、まるで、月や太陽が地球のどの国にいても同じカタチに見えるように、年齢差や環境を無効にしてくれます🌿

難しい言葉で表せば、「日本のアイデンティティを守り続けてきたもの」と意味づけられるかもしれません。

しかし、竹取物語が、源氏物語が、徒然草が、そのような格式ばったいきさつで誕生したものとは思えません。

各作品の冒頭を思い出してみたいと思います📖

「今は昔、竹取の翁…」(竹取物語)
「いづれの御時にか…」(源氏物語)
「つれづれなるままに…」(徒然草)

このような語り口で始められるように、もっともっとあなたの身近で、実生活のふとした瞬間にこそ、生きてくるように思うのです。

たとえば、あなたが幼少期、夏休みに祖父母の家へ泊まりいった時、枕元で聞かせてもらったオリジナルの昔話のようなイメージです。

誰にとっても懐かしい、共通のノスタルジア🌿
これが古典作品ではないか、と捉えています。

変わらずにあなたを満たし続けてくれるもの。
応援してくれる存在。
家族。
きっとそうである人が多いはずです。

では、もう一つあげられるとしたら?
それが私の場合、古典作品なのです🌿
 
古典は、変わらないものでありながら、読まれる人、時代、また年齢ごとに、新しい解釈を可能にし、千年前の人の心と繋がれるのです✨

生まれ育った家、家族

名前「和泉」の由来😌
脳梗塞の祖父との15年🏠
毎朝、走りながら覚えた百人一首🏃‍♀️

このような私の素地をつくったもの。
それは、生まれてから18歳まで一緒に暮らした、家族との生活でした🏠

私の名前は、平安時代の歌人「和泉式部」に因んで命名されました。
和歌が好きな父が付けてくれた名前です。
愛知県豊田市で生まれ、2歳ずつ離れた弟が2人います。

小学生の頃、走るのが苦手だった私のために、父と弟たちと毎朝2キロのジョギングを始めました。その際、一日一首ずつ百人一首を覚えてみよう🎶ということで、初めて古典に触れました。

そこから、朝のジョギングと百人一首が習慣になり、覚えた和歌をその日の夜にノートに書くようになりました。
それ以来、書くことが好きになり、習字を習い始めました。

この生活の中心には、脳梗塞で左半身が動かなくなってしまった祖父がいました。
私が3歳の時に発症し、物心ついた時の祖父は寝たきりの生活でした。
自宅で介護をしていたので、祖父の体調が何をするにも最優先でした。

私は、祖父が大好きで、よく部屋に遊びに行っては話を聞いたり、一緒にテレビを観ていました。
そこには、大量の本がありました。
お使いを頼まれて、書店で言われた本を何冊か購入することもありました。

脳梗塞が発症した時は、七沢にあるリハビリ施設にお世話になったり、さまざまな手を尽くしたと聞きましたが、とうとう15年間歩けないまま、2002年に泉下の人になりました。

15年間、祖父が祖父であるための支柱となっていたもの。
それは、車椅子でも、痛みを和らげる薬でもなく、幼い私から見ても「読書」であったと断言できます。
また、新しいことを知りたい、学びたいという好奇心であったと思います。
それほどに、祖父は本を愛し、博識で、話がとてもおもしろい人でした。
人にも愛されて、お見舞いに来てくださる方が毎月何人もいました。

そのような生活の中で、私は父や弟たちと、毎朝走りながら百人一首を覚えました。
覚えたことを、母に話しては、よく近くのスーパーへ買い物に行きました😌
母は、いつも楽しそうに聞いてくれました。

中学受験と高校受験の失敗

勉強が得意だと思っていた私ですが、初めて身の程を知る出来事がありました。
それが、小学6年の時の中学受験でした。
冷たい雨の降る2月の土曜日、受験した全ての学校の「不合格通知」を受け取りました。

この後の6年間、何もかも不信に感じて、マイナス思考へと陥っていきます。
祖父に対しても冷たくあたり、両親には散々反抗するようになりました。

そのような荒れた日々の中で、高校2年の6月、あるテレビ番組を観ます。
当時、フェリス女学院大学で教授をされていた、三田村雅子先生ご出演の「古典への招待」(NHK)でした。
まるで、紫式部がテレビの中で、源氏物語執筆裏話を教えてくださってるような感覚でした。

その時、ふと自分が、平安時代の歌人和泉式部から命名されたことを思い出したのです。

それ以来、寝る間も電車に乗る間もとにかく何をしていても、古典作品を読むようになりました。

和泉式部日記と和泉式部集

「千年前の私」を知りたい🌿

和泉式部。
どんな女性だったのだろう。

千年前の同じ名前の女性は、どのような人生を送ったのだろう。

大学は、迷わず国文科を選びました。
横浜にある、フェリス女学院大学に進学しました。

横浜 港の見える丘公園のバラ園
横浜 山手①
横浜 山手②
横浜 山手③

高校生の時、テレビで拝見していた三田村雅子先生のゼミに入り、名前の由来となった歌人の『和泉式部日記』という作品をとことん学びました。
卒業後は大学院に進学しました。

神職をつとめる夫との結婚🌿

結婚後も研究を続けたく、別の大学院を受験して、そこから4年大学に通いました。

家族
娘❤️
息子🦖

小学校受験にチャレンジする🏫


その過程で、子どもの小学校受験を経験しました。この、子どもとともに学んだ経験が、今まで難しい言葉で、難しく人生を捉えていた自分を省みるきっかけとなり、「学ぶとは何だろう」という問いを自分自身に投げかけてみました。

コロナ禍で、オンライン授業を自宅で受ける子どもの姿を見ていて、国語の中に「視写」という科目があるのを知りました📖🖋

教科書に書かれている文章を、そのままその通りにノートに書き写すというシンプルな課題が、驚くほど子どもの作品理解を深めていきました。

「これだ☺️✨✨」と思いました🌸

ママの文学サロン
スタバのラテを飲みながら☕️

昔から字を書くことが好きで、今まで学んできた国文学の知識を活かし、子ども達がお世話になっている小学校の学びのメソッドを取り入れた教室、ママたちのサロンを開きたい✨と思いました☺️

また、同時期にコーチングに出会いました。
同郷愛知県豊田市で、ムーブメントを起こして活躍する、ある起業家の方とのご縁で、知ることになりました。

コーチングとは、今まで生きてきた過程全てが、誰かのためになるというもので、
相手の人生と向き合い、ニーズを引き出すことで、自分のこともよくわかるという、目から鱗の指導術でした。

私の人生が、誰かに勇気をプレゼントできるんだ🎁✨✨
こう思った瞬間から、何かが動き始めました。

始めたばかりの「古典×コーチング」という取り組みを、ぜひBeautyJapanに出場させて頂くことで多くの方々に知って頂きたい✨✨
心から、そう願っています💗

桜のつぼみが咲く前のわくわく感

今は、千年前の人々が夢見たこと全てが達成されている✨

古典を知ると、どのような利点があるのでしょうか。
それは、「未来から過去をまなざす」という視点が生まれることです。
今から千年前を見た時、今当たり前だと思っていたもの全てが、急に千年かけて成し遂げられた希望と知恵の結晶であることに気付きます。
同時に、千年前の人々から見れば楽園のような現在でも、人の悩みや生きづらさが、存在し続けていることにもハッとするのです。

ここで注目したいのは、古典に対峙する際の「未来から過去をまなざす」手法は、コーチング的な未来の捉え方と、とても似通っているということです。
つまり、古典は、今生きづらさを抱えている人が、現状の外にある未来をまなざすための効果的な素材だと思うのです🌿

この「古典×コーチング」。
これを、いつでも誰でも気軽にできるようなものとして、その存在と発信力を培いたい。
そのための切符🎫
分岐点✨
これがBeautyJapanだと信じています!

長くなりました🌿
最後までお読みくださり、ありがとうございました🥰
これから、どうぞよろしくお願いいたします🌈✨

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