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【餞】

多分2年ぐらい、ずっとご贔屓にしていたお店の店員さん。
詳しい事情は知らないけど、そのお店の中心的なスタッフの一人として働かれていた方が、この度ご勤務されていたそのお店を離れられる事になった。
需要はともかく、なんか思い出話のようなもの。

当方は文章に思いがあればあるほど、一口に「おもしろかった」で済むことを、「おもしろかった」という語彙を使わずに表現したいタイプの人間なので、多分本人には伝わらない。わかってるけどやる。


多分2022年8月ぐらい。
見知らぬ人と一時の遊興に勤しむその雀荘は、初心者歓迎を売りにしている、今を思えばとてもやさしいお店なのだが、最初に飛び込むには勇気がいった。生来の極度の人見知りがいつも邪魔をする。得意でない環境下ではキャラを入れて、それっぽく振る舞うことで環境にじっくりゆっくり溶け込んでいくタイプの私は、なんとかそのお店にデビューを果たすも、当たり障りのない一見客の一人だった。

こういうモブキャラ的な振る舞いになるのは、私自身の問題である。
パーソナルスペースが物理的にも精神的にも広くて、そもそも人に興味がない割に、動向は気になって勝手に気に入らないとかなっちゃう自分勝手な人間なので、いわゆるフリーの雀荘には向いていないタイプだと今でも思う。そんな中で、距離感というか人との間合いを取る能力が抜群に高かった。
退職されることがわかった後、「(わたし)さんの心を開いたのは私だと思うんやけどな」って言われて、笑った。実にその通りだったからだ。
ぱっと見で分かる愛嬌や、不快に感じさせないのにストレートな言動があるかと思えば、ちゃんと踏み込んでほしくないところに踏み込んでこない、勘の良さがあった。お父さん呼ばわりされた時は流石に(私は精神年齢が幼いので)心が千切れそうになったのもいい思い出だ。

サービス業をしている影響で、客として訪れている店舗でのスタッフさんの勤務中の行動とか態度とかも気になっちゃう嫌なヤツである私から見ても、必要に応じて抑えるべきところではめちゃめちゃちゃんとしていたのも、結構ポイント高かった。お客さんにはタメ口とかもあるのに、同僚スタッフとの仕事の会話はちゃんと敬語だったのも、尊いなと思っていた。

こんな出来事があった。
いつものように遊んでいると、カタコトの外国人の方が一人でやってきた。
3人でやるゲームの進行は、不慣れな方が一人入ると難しいのに、言語の壁もあり、コミュニケーションにもフィルターがかかる。
私は恥ずかしながら、面倒なお客さんが来ちゃったな、と思いながら、様子をうかがっていた。
しかし、その時いたスタッフさんはみんなで、好意100%の態度でそのお客さんをお迎えし、コミュニケーションに工夫しながら、ルールを伝え、卓を運営し、ちゃんと麻雀をして、そのお客さんは本懐を遂げる形で満足気に退店された。
すごいものを見たと思った。見直したどころか、尊敬の念すら抱いた。
普段はたまにお店が暇すぎて、やることなくて、窓から外を眺めているような”イジられるべき”御愛嬌もあったけれど、私の「たまにいく雀荘」が、「ご贔屓の雀荘」に移り変わっていく過程において、この方やスタッフさんの存在はなくてはならないものだったという確信がある。


麻雀のプレイングについても言及しておく。
時々同卓すると、めちゃくちゃ肩が強かった。
何でもツモって、何でも裏を乗せてくる。点棒を持たれたらそのままぺんぺん草も生えないぐらいに蹂躙されるイメージしかないので、なんでリーグ戦では思い通りに行ってないのかよくわからない、程度には、ボコボコにされているイメージである。一度、お金がいっぱいなくなるタイプの別の雀荘に「追っかけ」をしたことがあった。隣の卓で打っていたのだが、隣でアガり倒して「◯勝戦(お店の中で規定の時間内に最初に◯回トップを取った人がプライズを得られる)」を制し、サイコロで一番大きな目を取って帰っていったのを見たことがある。あのときの帰りの背中は豪傑そのものだった。

他にも、同卓していないときに、後ろからちょこちょこ、自分の手を眺められていることがあった。人に見られ慣れてなかった私は、必要以上に緊張して、しばしば切り間違いのノーテン立直をやらかした。これはいまだに、自分が精神的に童貞であることを痛感させられた出来事として、自分の中に刻まれている。

さて、品のない話はこのぐらいにして。
私は、必要以上にお別れに感傷的になるのが嫌いだ。
学生の頃に習った、「勧酒」という漢詩の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という井伏鱒二の和訳表現がめっちゃ好きだ。そこまでの時間をちゃんと大切にしてきたら、それでいいじゃんと思う自分の経験則をめっちゃ認めてくれてる感じだから好きだ。
それに、この歳にもなると、大抵は若い方を見送る立場になるので、いちいち感傷的になっていては疲れちゃってしょうがない。
あと、同列に並べたらちょっと失礼かもしれないけど、かつてアイドルを推してた頃に、卒業を決意した推しちゃんが、ビジュだのコンディションだの表現方法だので、今までとは比較にならないぐらいの謎の輝きを発揮する現象をしばしば目撃してきた。
この方にもいつの頃からかそういうのを感じてて、この現象かも、と思い当たり、「ぼちぼちかなあ」と思ってしまったことがあったので、若干心の準備ができていたのもあるかもしれない。

こういう思い出を綴るのは、なんといっても本人の強要感謝の気持ちからだ。
前段の外国人のお客様の話からしても、多分特別な振る舞いとかではなく、人として優しいだけなのではあるが、2年半ぐらい、ちょっとした趣味ができて、私の陰キャ人生ではあまり感じされられたことのない居心地の良さを感じられる場所を作っていただいたのは、この方の存在抜きには語れない。だから、筋違いかもしれないけど、本当に感謝している。

そういう感謝を伝えるべき立場の人間として、どういう形であれ、”はなむけ”するのは、やらなくてはいけないことだったと思うから、ちょこちょこ書き始めたのだが、まとまってみれば過去最高文字数で草しか生えない。
そして本人には、「よくわからなかった」と言われるのだ。
まじでもうちょっとまっすぐに思いを伝えられる人間になれてればこんな人生は送っていないから仕方ないね、ハム太郎?


最後に。
今後はどこで何をするのか知らないけれど、世の中はいろいろあるから
どうか元気で お気をつけて


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