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英会話と仏教の共通点

仏教を学んでよかったこと。
そのひとつが【自分の枠に気づくようになった】ということです。

例えば家族とケンカをしたとき。
先日も、新しい家電を買う買わないで、夫と不穏な空気になりました。(ケンカの原因は、いつもくだらないですねw)

最初は「私が正しい、相手が間違っている」と思っていたのですが、やがて自分の枠にとらわれていたことに気づき、冷静になることができました。

どうやって枠に気づいたかというと、それは「仏さまから見ればどうだろう」と考えることです。

『西遊記』の孫悟空のように、仏さまから見れば人間は誰もがちっぽけな、そして大切な存在。そんな風に思えば、どちらが正しいかというこだわりを離れ、少し楽になることができます。

この「もうひとつの視点から自分を見る」ということを、ある人は英会話を通じて実感しています。

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「英語で考えたり話したりすると、自分でも気づかなかった思いに気づくことがあるんだよね」

英会話講師の友人( @yumi_mappyenglish )は、英語を通じて別の視点から自分を見ることができる、と教えてくれました。

私は彼女の英会話カフェに何度も参加していますが、日本語だとなかなか言えないことが、英語だとなぜか出てくるということがあります。それは言語の構造的なことかもしれないし、文化的な背景かもしれません。いずれにしても、そんな不思議なパワーが英語にはあるように思います。

彼女にとって英語は単なるスキルではなく、自分の気づきや成長にとって欠かせないもの。「英語の力を信じている」という言葉が、とても印象的でした。

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さて、私の信じる浄土真宗では「南無阿弥陀仏」という念仏をとなえます。この言葉が、もとは古代インドのサンスクリットという言語であることをご存知でしょうか?

namo amitaayus, namo amitaabha
(ナモ アミターユス、ナモ アミターバ)

意味については長くなるので書きませんが、つまり私は毎日「サンスクリット語会話」をしているのです。(やや強引?)

自分の小さな枠にとらわれて苦しくなったとき、ふと英語でもサンスクリット語でも、つぶやいてみるといいかもしれません。

南無阿弥陀仏と称えるときは、合掌するとさらに心が安らぎます…☺️🙏

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