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日本で1番知られることになってしまったベリーダンス衣装

哀しい事件以来、封印していた箱があります。
ドラマ「セクシー田中さん」の撮影終了後に、お衣装部から戻ってきました。
ドラマに貸し出した衣装たちが入っている箱です。

皮肉にも放映後に多くの人の目に触れることになり、ベリーダンスというと、この衣装を連想する人も多いであろう、主人公の田中さんの登場シーンで着ていた赤の衣装もその中にあります。

私と共に各地のステージを回った大切な衣装だったんです。

沖縄にて和太鼓と共演


エジプト人の歌手と共演

ドラマ、セクシー田中さんのベリーダンスシーンがリアルで好評だった背景には、俳優さんたちのダンスが美しかったことに加え、使用した衣装が、撮影用のものではなく本物のベリーダンス衣装だったこともあります。
メインキャストが着用した衣装のほとんどは、私の私物でした。
ダンサーにとって衣装はとても重要で、コンペティションでは「衣装及び外見」も審査対象となります。
私の衣装も全てデザイナーと相談して作った一点物です。
私に合わせて作られた衣装なので、通常は他人に貸しません。それくらい、大切なものです。
ですが、例外があります。自分の大切な生徒の為なら貸せます。愛情があるから、です。
田中さんも朱里ちゃんもMiki先生も愛子先生も、
私のもとでゼロからベリーダンス習ってくれました。
忙しい時間をやりくりして真摯に学んでくれました。
本当に不思議なものなんですが、私の大切な衣装達が、それぞれのキャストの体型に合わせて針を入れられても苦にならないのです。

この赤の衣装はエジプトのEMAN ZAKI というデザイナーの物で長らく愛用していました。
最後のご奉公と思って提供いたしました。
ティザー撮影の時に、田中さんが着るのを手伝いながら言った言葉を今でも覚えています。
「この衣装は私と共に苦難を超えてきた、とても縁起が良い衣装なの。カイロで爆弾テロがあった通りのホテルで踊った時にも着ていて、間一髪で難を逃れたり。だから、きっといいことがありますよ!」

事件後にこの画像がネットに流れる度に、この時のことを思い出して息が苦しくなっていました。
縁起が良い衣装、だったはずなのに。

日テレ公式サイト メイキング映像より
ポーズ指導する私

当時はネット開けばこの画像が目に飛び込み、TVはもちろん携帯も見れませんでした。
歯医者の待合室で、ついうっかりニュース見てたら、「セクシー田中さん問題が、、」のアナウンサーの声と共にこの画像が流れて、途端に心臓がバクバクして倒れたことも。
親しい人を自死で亡くすショックと哀しみは言葉には語り尽くせませんし、経験した人にしかわからないと思います。

ようやく今になり、
封印していた私の衣装を取り出しました。

艶やかな赤は色褪せることなく、手に取ると光沢を放っています。何も変わってません。
でも。
この衣装を、
「やっぱり先生が着るクラスの衣装は全然違いますね」と喜んでくれた人はもうこの世にいません。
縁起が良い衣装だったはずなのに。
なのになぜ?どうして?

この、「なぜ?どうして?」をどれだけ呟いたことでしょう。今でも毎日呟いています。きっと一生抱えて生きていくんだと思います。

事件以来、私はショックでステージで踊れなくなってしまいました。
数多くの国際舞台に立ち、どんな重圧があろうがどんな精神状態であろうが、全く問題なく堂々と踊れていたのに。

2024年1月27日、私は夜のステージを抱えていて朝から準備やリハーサルにバタバタしていました。
もし、舞台が無ければ、

私は彼女の自宅まで駆けつけられたかもしれない。
時間をかけて話を聞けたかもしれない。
何かおかしいな、と気づけたかもしれない。
親しい人を自死で亡くすと、「あのときああだったら、止められたかもしれない」と際限なく考えてしまい、自分を責めてしまうそうですが、まさに私がこれ。
いつか、この衣装で踊れる日がくるといいのですが。まだ当分難しそうです。


セクシー田中さんの原作者、芦原妃名子先生は、
色物で見られがちだったベリーダンスを正しく世に知らしめてくれた方でした。
その功績は計り知れず、どれだけ感謝をしても足りません。
ありがとう田中さん、ありがとう芦原先生。

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