私たちに与えられた試練⑧
前回の投稿から間が空いてしまったので、少し説明を…
10月5日に無事誕生し、生後2日後の10月7日に最初の手術。
夜間急変等なく、翌朝9時に主治医の先生とお話をしたあと、ようやく夫は許可が下り、長男のもとへと帰っていった。
そしてその2日後、私の退院に合わせ長男や両親を連れ、次男の面会に来てくれた。
長男は中には入れないので、初めての弟とモニター面会。モニター越しとはいえ、長男がどんな反応をするのかとても怖かったが、まだ実感がわいていない様子だった。
両親は交代でPICUの中へ。
たくさんの機械に囲まれ、何台もの点滴に繋がれた光景は、初めて見るものだし、きっといろんな思いだったと思う。
そのあと私は3週間ぶりに外の空気を吸い、無事に出産し最初の手術を終えたことに心から安堵し、みんなでお昼を食べながら胸がいっぱいになっていた。
そして母だけを残し、再び4時間半かけて帰っていった。
私と母は、前回お話したマクドナルドハウスへチェックインし、母はそれから1週間、産後間もない私の身の回りの世話をしてくれた。
洗濯や食事の準備など、大人になってから母とこんなに長い時間過ごすことはなかった。
時間はたっぷりあるし、私たちはベッドに寝ころび天井を見上げながら、いろんな話をした。
母と本音で話ができた大切な時間だった。
こんな風に話が出来たのは、次男のおかげ…
次男が生まれてきてくれたことには、何か大きな意味があるはずだと思っていた私は、その1つを見つけたような気がした。
~ここから先は、私の日記を抜粋します~
術後PICUで過ごした時の記録です。
2016.10.11
・夫より出生届を出したとの連絡があった。
・鎮静剤ストップ
・腎機能が少し落ちています
・血圧が上がったり下がったりします
薬のせいもあるので様子をみましょう。
2016.10.12
地元の新聞のうぶ声に掲載されたとのことで、それを見た友人たちからおめでとうのメールがきた。
・目を開けた
【外科の主治医より】
とても良い状態です。半分くらいは自分で呼吸をしています。
不整脈も今のところおきていません。
うまくいけば明日人工呼吸器を外せるかもしれません。
【内科の主治医より】
心臓はだいぶいい動きをしています!
2016.10.13
・明け方ひん脈あり
午後から人工呼吸器を外そうとしたが断念。
もう少し体重を増やしてからとの説明を受ける。
呼吸は時々お休みしたりもするが、自発呼吸もあり。
2016.10.14
・13時過ぎに人工呼吸器を外した
状況によってはまた再開することもあるとのこと。
目を開けて、あ~あ~と声にならない声で泣いていた。
・狭心症の薬ストップ
2016.10.15
・体重2651g
・昨晩から母乳を1.5ccずつ(消化が良くないので少しずつ)
・薬を減らしたところペースメーカーとうまく脈が合わず元へもどした
昨日までは人工呼吸器の影響でかすれていて、声にならない吐息のような感じだったが、初めて泣き声をきいた。
デリケートで、少し濡れただけでオムツを替えての主張が激しいそうで、そんな小さなエピソードを聞けることが、とても嬉しかった。
触っても良いと言われ、頭をヨシヨシすることが出来た。
2016.10.16
・ミルク10ccを8回
【外科の主治医より】
不整脈の薬少量です。ストップしてもいいくらいだが今日はお引越しのため大事をとって続けています。
・14時半HCUへ移動
2016.10.17
・体重2570g
【内科の主治医より】
心臓の動きは良いですが、不整脈が心配です。
薬を調整しながら注意深く診ていきます。
2016.10.18
・体重2638g
・昨日の夕方から点滴ストップ、内服のみ
・不整脈なし
・消化が非常に悪い(原因不明)
・ミルク嘔吐したため中止
・夕方大泣きして呼吸が乱れ、酸素を鼻から吸入
帽子をかぶり、鼻にカポッと酸素マスク姿に胸が痛い。
お薬で眠らされており、この日から状況が少しずつ悪化していった。
ここまで調子が良かっただけに、なんだか急に後退したような気がして落ち込んだ。
2016.10.19
・不整脈はなし
【外科の主治医より】
上の方の傷の治りが悪く、きれいに洗って消毒をし縫い直しました。
局所麻酔、鎮静剤、少しだけ眠る薬を入れてあります。
酸素マスクをつけてから、呼吸はラクになっているようです。
顔色も良い。
【内科の主治医より】
夜面会に行くと、深刻そうな顔で腸の病気かもしれないと告げられる。
あれから全く消化が出来ず、次男のお腹はパンパンに膨れ上がっていた。
私が見ても、深刻な状況であることが分かる。
考えられる病気はなんですか?と問うと、
『壊死性腸炎・腸捻転です』と…
最悪の場合、手術の可能性もあるので、明日の10時頃院内にいて下さいとのことだった。
2016.10.20
10時半~腸の検査開始(造影剤)
駆けつけた夫と検査が終わるのを待つ
息子に会えたのは13:45頃
結果は恐れていた壊死性腸炎でも腸捻転でもなかった。
最悪の事態は免れたが、依然として原因が分からないことに変わりはない。
主治医がひとつの可能性として、不整脈のお薬をあげた。
消化が急激に悪くなったタイミングで始めた不整脈のお薬があった。
その薬の副作用にそういった報告はないが、やれることをやるといった感じだった。
もしそれでも変化がなければ、次の打つ手がなく主治医も困っていた。
次男のお腹をみると日に日にパンパンになっている。
今思うと、最初の手術の時もとてつもない不安や恐怖心はもちろんあったが、同時に希望のようなものもあった。
しかしこの時は、もしこのまま原因が分からず、消化できなかったらどうなるの??と絶望しそうになり、精神的にもきつかった大きな出来事だった。
そして…
夜の面会へ行くと、
『72gの便が出ました!』
との報告を受けた。
嬉しくて涙が溢れた。
結局、不整脈のお薬が原因だったかは分からなかったが、ひとまず腸の動きがあったということは、良い兆しだ。
まとめ
今回は記録が多めだったので、文章としては読み辛かったと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次男の病気は、運よく無事に生まれてきてもそのままでは生きていけない。すぐに手術が必要だが、手術が成功したとしても予後は分からない。
先は分からないが、こうまでして私たちのもとに来てくれた、次男の生きたいという意志を感じ、私たち夫婦は手術をしない選択肢は考えていなかった。
進む道は一択!
先生方を信じて託すしかなかった。
手術が成功し、経過が順調だと言われていた矢先に消化の問題が持ち上がり、再び別の病気の可能性を示唆された時、絶望しそうになった。
でも決して諦めることなく、次男なら大丈夫!乗り越えてくれる!
と信じて祈るだけだった。
その後も腸の動きが悪いことには変わりなく、便がでなかったり胆汁がひけたり、不安定な状態は続いていた。
起きて泣いてしまうと、脈が乱れサチュレーションが下がってしまうことから、不整脈の薬も慎重に使いながら様子をみていった。
次男が根治術を終えるまでの、しんどかったワースト3に入るほどの出来事だったが、それと同時にここを乗り越えたことは、大きな自信へと繋がった。
次はいよいよ、地元の大学病院へ転院するお話へと続きます。