見出し画像

私たちに与えられた試練⑬


グレン手術を終えた息子は、このころから徐脈性の不整脈がみられるようになっていた。
生れてから悩まされていたのは頻脈で、脈が速くなるほうの不整脈だったが、今度は脈がゆっくりになる不整脈。
外来受診の際、24時間ホルター心電図をつけて帰り検査をした。
今のところ危険な状態ではないが、ひどくなっていけばペースメーカーの植え込みが必要になると言われた。

またプラスアルファ―の手術。
1つ解決したらまた1つと、心配の種はつきない。

この頃から私は、主治医に言われ毎晩寝ている時に聴診器を当て胸の音を聴いていた。
専門的なことは分からないが、毎日聴いているうちに、なんとなく息子の普段の脈は分かるようになった。

グレン手術から8か月後の外来受診の際、次のカテーテル検査の日程が決まった。

当初フォンタン手術は12㎏を目指すと言われていたが、身体の小さな息子にとって12㎏は大きな壁。
体重はまだ9㎏にも満たなかった。

身体が大きいに越したことはないが、フォンタン手術の際10㎏あれば可能とのことで、次回はカテーテル検査をしましょうとのお話だった。

カテーテル検査入院⑤回目(2019.4.15~4.18)

今回は1例目ではなかったので、9時半絶食、13時半以降は飲み物もNGということで、順番を待つまでの間、息子の対応に苦労した。
お腹が空いてぐずるので、気を紛らわせるために病棟内を散歩したり、プレイルームで遊んだりして過ごした。
プレイルームは、院内で感染症がでると利用に制限がかかることもあるので、その点はありがたかった。

日常生活のなかで、同じ年頃の子供さんと関わる機会はなかったので、病院のプレイルームでお友達と触れ合える時間が、貴重であり楽しみでもあった。
同じような境遇のお母さんたちと仲良くなって悩みを打ち明けたり、情報交換をしたり、子供だけではなくお母さん達の憩いの場でもあった。

コロナ禍になってからは、予約制で1組ずつの利用になったり、完全に使用不可になってしまったり、仕方がないことだけどそういった触れ合いも少なくなっていった。

ひたすら時間をつぶし呼び出しを待っていると、15時半頃ようやくお迎えが来て、検査室へと搬送されていった。
検査は思いのほか早く終わり、16時半には部屋に戻ってきた。

無事に退院し、3週間ほど経って病院から電話があった。
カテーテル検査の結果をもとに外科との話し合いをした結果、
『フォンタン手術へ進みましょう!』
とのことだった。

次のステップへ進むために6月20日外科外来を受診することになった。フォンタン手術へ進めることにはなったが、手術を待っている患者さんが多く、かなり待つことになるだろうと言われた。

その後、4ケ月に1回くらいのペースで外来受診をする度に主治医に探りをいれてみたが、まだまだ順番がまわってくる気配はなかった。
その際やはり不整脈がチラチラと出ることがあったので、24時間ホルター心電図をとったり、毎晩の聴診を続けながら様子をみていった。

3歳を迎え、外科外来からちょうど9か月後の翌年3月、ようやく病院から電話があった。今回も急だった。
私は二つ返事で病院からの提案を受け入れた。

私たちは夫婦で決めていることがあった。
フォンタン手術までの間、主治医からの日程調整は極力受け入れようと。
どこか神頼みのような気持ちもあり、この日にと言われたその日がきっと運命の日だと。
色々な事情で急にお呼びがかかることがある。そうやって機会がめぐってきた時に、どうにか調整して行くようにしていた。タイミングを逃したくなかったのだ。
それが出来たのも職場の皆さんの理解があり、それを許して頂けたから。
外来受診や検査入院なども、先生の指定した日を前倒しはしても、後ろには押さないと決めていた。

もし自分たちの都合で受診を遅らせ、その間に何かあったら…
すぐに自分を責めてしまう極端な性格がゆえ、きっと自分を責め続け、そのことを後悔しながら生きてくことになると思ったから。
根治術までは本当に気の抜けない生活だった。
いつくるか分からない電話を待ちながら、感染症対策にピリピリしていた。
長男は学校から戻ると、真っ先にシャワーを浴びるのが日課だった。
嫌な顔もせず、協力してくれたことに感謝しかない。

日常生活と闘病生活のふたつの世界を行ったり来たりしながら、欲張りだけど次男の命長男の日常の両方を守ってやりたかった。

長男は小学3年生の12月からサッカー少年団に入団した。
体験に行くと目を輝かせ『やってみたい!!』
という長男にサッカーをやらせてやりたかった。

まだ最後の手術が終わっていない中、やっていけるのだろうか…
中途半端になってしまわかいか…
夫と相談し、決して次男にムリをさせないこと、手術が決まったらそちらを優先するのを条件に、入団を決めた。
保護者の方たちも、なにかあったら協力するよ!と長男のことを気にかけてくれた。
そのおかげで、私が次男の入院で付き添わなければならない時も、安心して行くことが出来た。

その間、夫と長男は二人三脚で毎日を過ごし、今思うと父と息子の二人だけの時間も、良き想い出になっている。

このあとコロナ禍に突入し、試合などで泊まりの遠征があったりすると、行く行かないで夫婦で何度もぶつかった。
サッカーは、雨が降っても雷が鳴らない限り試合は中止にならない。
もし風邪をひいてしまったら…
もし今病院から呼び出しがあったら…
と最後の根治術を控え、私は最悪の事態ばかりを考えていた。

結果的には無事に根治術まで終えることが出来たし、長男自身サッカーという打ち込むものがあり居場所があったことが、寂しさを埋め心のよりどころにもなったと思う。
この3年間で長男はグンと成長し、強くなった。

親子共々、周りの方たちの支えによって卒団の日を迎えた時、がんばってきて良かったと、関わって下さったすべての方たちに感謝した。


次はいよいよ、待ちに待ったフォンタン手術のお話へと続きます。
最後までご覧いただきありがとうございました♡

つづく(•ө•)♡


いいなと思ったら応援しよう!

だいずのちいさな一歩🌱
応援ありがとうございます(⁠灬⁠º⁠‿⁠º⁠灬⁠)⁠♡