私たちに与えられた試練⑦
前回の投稿では少々気になる終わり方をしたので、前置きは短めにして早速その時のことをお話していこうと思います。
当時の日記より抜粋します。
2016.10.5出産の日の夜
さてさて、2日がかりで無事に次男をこの世に送り出すという大きな役目を終えて安堵していた私の部屋に、夜の9時頃循環器内科の主治医が訪ねてきた。
こんな時間に何だろう…
ドキドキしながら、先生が話し始めるのを待った。
『あさって、手術をします!ご主人が帰るのを引きとめてください』
『え!?!?!?!?!?』
一瞬気が遠くなりそうだったが、
『はい。分かりました!』
そう答えるしかなかった^^;
なぜなら、出産を終えてしばらく分娩室にとどまることになった際、代わる代わる各診療科の先生方が説明にこられた。
その時に、一応打診されていたのだ。
とにかく生後早い段階で手術をしなければならないのは確かだったが、その時主治医に告げられたのは、2日後の金曜日もしくは週明け月曜日とのことだった。
私と夫は、
『まさかあさっての金曜日ってことはないよね~?急すぎるもんね~』
と完全に油断していた。
ホッと息つく間もなく最初の手術の話が持ち上がり、急に現実に引き戻された私は自分に喝をいれ夫に連絡した。
それと同時に、残してきた小学1年生の長男のことが心配になった。
長男は明日お父さんが帰ってくると思っている。
そんなに何日も離れられるのか?
きっと寂しい思いをしているに違いない。
でも、今はそんなことを言っていられない!
家族みんなで頑張るしかない!!
そう思い、緩みかけていた心の帯をギュッと締めなおした。
2016.10.6術前説明
翌日、外科の主治医より術前の説明を受けた。
術前の説明は夫婦揃って受けることになっている。
とても感じのいい若い先生で、説明も分かりやすく聞き返すことがないくらい丁寧な説明だった。
出産を終えたばかりで情緒不安定な私は、術前の説明に号泣し嗚咽しながら説明を受けた。
今考えると、号泣している人を前に厳しいことを言わなければならない先生も辛かったはずだ^^;
2016.10.7初めての手術当日
夕べは眠れる訳もなく、出産から寝不足の日々が続いている。
手術は夕方からになるだろうと言われていたが、14時ごろNICUにいる息子に会いに行ったところ、なんだかザワザワし始めた。
思っていたより開始時刻が早くなりそうだ。
『14時半から手術を開始します!』
NICUの看護師さんたちがバタバタと準備をし始めた。
いよいよ手術室に入ります!
という時、お薬で眠らされているはずの息子がうっすら目を開けた。
『頑張ってくるから心配しないで!』
そう言っているように思えた。
見えなくなるまで見送って、その後は家族待合室にて待った。
待合室にはモニターがあり、現在の手術の進行状況が映し出されている。
私たちの他にも心配そうに待っている家族が何組かいた。
14時半から準備に1時間、15時半から手術開始、手術が終了したのは20時半だった。
手術終了の予定時刻のラインが30分、1時間と延びていき何かあったのではないかと、気が狂いそうになった。
手術が終わりまずは執刀医の先生が来られた。
『無事に終わりました。やはり重度の〇〇〇〇〇病です。でも手術は成功しました!』
と明るい表情で説明してくださった。
私たちは安堵して、涙が込み上げてきた。
続けて、主治医の先生も入ってこられた。
とても疲れた様子で、昨日術前の説明を受けた時の先生とは印象がまったく違った。
その姿から、手術の大変さが素人の自分たちにもひしひしと伝わってきて、感謝の気持ちが込み上げた。
先生のお話では、途中不整脈があったが術中大きな問題はなく手術は終わったとのことだった。
それから1時間半くらい待って、息子に会うことができた。
よく頑張ったね…
ありがとう。
それから部屋に戻ったのは22時ごろだった。
長い長い一日が終わった。
そしてその時すでにおっぱい地獄が始まっていた。
産後2日目ということもあり、身体のことを考えて私は自分の病室で待つことを勧められた。
母乳も絞らなければならない。
家族控室であっても自分の病室であっても、私に出来ることは1つもない。
でも、出来るだけ近くで待ちたくて…
その方が神様に祈りが届くような気がして、私は待合室で待った。
しんどくなったら部屋に戻るように言われたが、もし自分が席を外した時に何かあったらと思うと、その場を離れることは出来なかった。
結果、出産したことのある方は共感して頂けると思うが、痛くて痛くて横になっても右も左も向けない。
覚悟を決めてナースコールし、助産師さんにマッサージをしてもらった。
それでもなかなか痛みとカチカチはひかない。
翌日からおっぱいとの戦いだった。
あまりの痛みに泣きながらマッサージを受けるが、息子の苦しみに比べたらたいしたことない!
少しずつ状況はよくなり自分の退院までになんとか落ち着いてくれた。
2016.10.8父帰宅
夜間急変はなく、無事に夜を過ごすことが出来た。
翌朝9時にモニター面会へ向かった。
外科の主治医より昨夜の様子の説明を受けた。
不整脈があったようだが、容態は落ち着いているということで、夫はようやく長男の元へと帰っていった。
翌日も大きな変化はなかった。
2016.10.10母退院
私は一足先に退院することになった。
隣接されているマクドナルドハウスに1か月滞在することになった。
マクドナルドハウスがあったおかげで、産後の身体で病院へ行ったり来たりするうえで、身体的・精神的・経済的な大きな助けになった。
なにより何かあった時にすぐに駆けつけられる場所にいることは、大きな心の安心へと繋がった。
当時は最長1か月利用できたので、本当にありがたかった。
まとめ
生後1回目の手術を無事に終え、容態も安定しているとのことで安心する私たちでしたが、そのあと幾度となく試練が訪れます。
その度に、神様・仏様・両家のご先祖様・ミーコ(飼っていた猫1代目)・まる(飼っていた猫2代目)・たろう(飼っていた犬)…
どうか助けて下さい。
力を貸してください。
と思いつくすべての尊い方達に祈り、もともとネガティブな私ですが最後の手術が終わるまでは絶対に負けない!とマイナスの感情は封印し、とにかく周りの人たちに感謝をし、良いイメージだけを抱くように心がけました。
なにか1つ自分が好きなものをやめようと、願掛けに最後の手術が終わるまでお酒は呑まないと決めました。
次回は、術後の様子と自宅に戻るまでのお話をしたいと思います。