第6回「ほんとにここに洋上風力発電所が建つのだろうか?」
9月に入ると、下田の海は、夏の喧騒はどこへやら、すっかり人が少なくなる。NPOの空き家探しで、バイクを駆って下田中を走る毎日の中、ふと見る海は、穏やかでとても気持ちいい。
こうした時期から、サーファーや地元の海好き、欧米人が目立つようになる。インバウンド政策で外国人旅行者が確かに増えたが、まだ京都や東京、大阪ほどではない。ミシェランのガイドブックで★★をいただく下田だが、その昔から、アメリカ人とフランス人の比率が高く、伊豆急線の欧米系外国人利用者のうち、八割は下田で降りるという。やはり海の美しさが彼らを呼んでいるのだろう。
できたばかりのNPOでは、ホームページの作成や、店で売る商品の開拓、各種書類を作成するなど、事務担当のK子さんは、連日大忙しだった。
「のんびりするためにこっちに来たのに、こんなに忙しいなんて。しかも旦那は三食家で食事をとるでしょ? もうやんなっちゃう!」
僕が事務所に戻ると、K子さんが訴えた。
彼女は、東京の会社に勤めていたとき、毎日地獄の東海道線で通勤していた。しかも三十年に渡ってである。しかし、今はそんな地獄はないものの、予想はずれの忙しに、戸惑っているようである。彼女はまだ田舎に来て二年目なのだ。
「田舎暮らしは、忙しいってこと、知らなかったな」
理事長の井田さんは笑って言った。
そうなのである。家の周りの草刈や、地域の仕事、季節ごとの行事など、意外にやることが多いのだ。人によっては。畑をしたり、薪を割ったり、薪ストーブの煙突掃除をしたり……。しかも外食よりも家で食事をとる習慣である。僕もK子さんも毎日弁当持参であった。僕の場合も、僕が妻と二人分を作っているのだが……。
「ところで、さっき海を見てきたけど、9月になると、俄然きれいになるよね」
「へーっ! そうなんですか。それは知らなったです。でもダイゴさん、あんなにきれいな海に、ほんとに洋上風力発電所が建つんですか? 最近話題になっているでしょ」
K子さんが言った。
「僕はもちろん反対だけど、どうだろう。今、ネット上では反対運動が盛り上がってきているけど」
日本はエネルギーを化石燃料に頼り切っている。東日本大震災で、原子力発電に「?」が付いてしまって、太陽光発電が加速し、今度は洋上風力発電を積極的に導入しようという国策が動き出したのである。
その余波が、僕の住む町にもやってきたのだ。
「この美しい海を守りたい!」、「子どもたちに大事な自然を残してあげたい!」、「それより、日本のエネルギーをどうするんだよ!」、「別に伊豆じゃなくたって、いいじゃない!」、「自分だけよければそれでいいのか!」
ネット上では、感情的なやりとりがヒートアップしていた。僕はなるべく冷静なコメントを寄せて、沈静化につとめた。相手が国策である以上、感情論では太刀打ちできない。単に反対するのではなく、どのように戦うか、戦略が必要なのだ。しかし、まだそこまで機は熟していない。
洋上風力発電は、日本ではまだ商業ベースで稼働していない。テスト運行されているだけである。今後、モデル地区を選び、商業化、事業化を推進していく構えだが、伊豆はモデル地区の候補にも上がってなかった。
今から三年前の2016年には、高さ十メートル以上の防潮堤建設案が、静岡県から提出された。この時、僕は、地元で反対の声を上げた長老たちの姿勢を広めるべく、SNSで反対の賛同を集めた。すると下田の海に来ているサーファーたちを中心に、「いいね!」の輪がまたたく間に広がり、集めた署名は一万三千人にも及んだのである。
今回は、防潮堤建設の時ほどに議論は白熱していなかった。できれば、変に白熱してほしくないというのが、静かに暮らしたい大半の人の思いであろう。反対運動を通して、僕はそんなことも感じた。
だから今回、「大五さんはどうするんですか?」と前回のことを知っている人からSNSでの運動を打診された時、「自分でやるつもりはないよ」と答えた。
結局、防潮堤の建設は、主権を持つ地元の区が反対でまとまった。防潮堤を建てる前に、避難路を整備することで県側も納得、防潮堤建設は中止となった。
それでも避難路建設には、国も県も市も、ほとんど予算を出していない。地元の地権者が土地を無償提供し、地元の人たちが手弁当で階段や手すり、避難場所等を整備している。巨大なコンクリートの壁で海と陸上を遮ることは可能でも、わずかの予算で作れるはずの避難路建設には、なぜ予算が出ないのか。結局、防潮堤建設予算は、どこに行ってしまったのか。一般市民にはよくわからない。
「いったい、今回はどうなっていくのだろうね?」
僕は思案げに答えた。
「最近は災害も多いし、洋上風力は技術的に耐えられるのかなあ。そう言えば、台風が来ているでしょ。怖いですね」
K子さんは震えてみせる。
「明日、災ボラの会議があった。七時からだったな」
井田さんが呼応した。
井田さんは、伊豆南部地域の、NPO法人災害ボランティアコーディネートの会の理事長も兼務しているのである。(つづく)