第8回「森の生活」
僕は21歳で海外に出て以来、たまに日本に帰ることもあったが、二十代の大半をアジア諸国で暮らした。三十歳を過ぎてから、本格的に帰国したのだが、その時の大問題は、「することが何もない」、すなわち仕事がないことだった。
そこでしばらくは、日雇いの肉体労働をしながら糊口をしのいでいると、イスタンブールで一緒だった旅の友が、電話でこんなアドバイスをくれた。
「君なら、海外専門の添乗員ができるんじゃない? 英語もできるし、海外経験は豊富だし、なにより遊びに長けているからね」
なるほど、遊びに長けてしまったからこそ、仕事のキャリアという世間の物差しには当てはまらず、することがなかったわけである。しかし、海外に遊びに連れていく添乗員なら、これぞ本望というか、本職以上に本職になれそうな気がした。
そして気が付くと、数年後には、海外専門の添乗員として、年間250日以上は旅の空の下にいる暮らしぶりとなっていた。しかも、ツアーで連れて行くお客がまた面白い。ツアーのよもやま話を連載していた旅の雑誌『旅行人』に掲載したら、これがウケて、しかも旅行人が出版社に発展する時期に遭遇し、運よく僕の『添乗員騒動記』が出版されて、これがのちに角川文庫になると、ベストセラーになるという奇跡が起きた。
次々と出版依頼が舞い込むようになり、せっかくなので、作家らしくどこかで静かに作家業に専念したい。好きな女性もできたことだし、一緒に暮らそうと、下見に訪れたのが、毎年夏になると遊びに来ていた伊豆の下田なのだった。
夏の間、友人と遊びに来た時に、偶然気に入った物件を見つけた。森の中の一軒家で、入田浜まで徒歩十分である。2003年のバレタインデーの日、不動産屋さんに連れられて、彼女のN子と二人でこの家を見に行った。夏も空き家だったが、冬になってもまだ空き家だったのだ。
「この夏ミカン、食べてもいいですか?」
N子が不動産屋さんに聞く。家の庭には夏ミカンの木が三本植わり、たわわに大きな黄色い実を付けていたのだ。
「いくらでもどうぞ。こちらにお住いになったら、食べ放題ですよ」
N子の頬がホクホク揺れた。
「スッパーイ! だけどおいしい!」
N子が小躍りしている。
「こんな酸っぱいのって、今どき東京では売ってないわよ。甘いミカンばかりなんだもん」
日本のフルーツは、いつからか、甘さ一辺倒が美味しさの基準に成り果ててしまっている。
「海までも歩いてすぐだし、この空気も気持ちいい!」
N子は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
彼女は幼いころ小児喘息を患っていた。今でも時々喘息の咳が出る。
僕も胸いっぱいに空気を吸い込む。
体を構成する細胞という細胞が、喜び、弾けるように、肉体が漲った。全身が喜んだ。
人生にとって、本当に大切なものとはなんだろう?
世界中を旅して回って、新鮮な空気がここ数十年で失われているのを肌で感じた。ほかにもグリーンあふれる森や、美しい海、青い空……。かつては当たり前にあった地球上の豊かな自然が、急速に刈り取られているかのようだ。
ところがそれらがここには残されている。
「どうだい、一緒にこの家で、暮らすのは……」
「いいよ」
それまで別々に暮らしていた僕たちは、こうしてこの町、下田の郊外にある森の中で生活し始めたのである。
毎朝、ヤマガラの可愛らしい鳴き声で目を覚ます。
N子が、ベランダに出て、ヒマワリの種を指で摘むと、ヤマガラが「ツツピー、ツツピー」と鳴きながら飛んでくるや、彼女の指に止まって、種を口に加えて、近くの枝に飛んでいく。そして両足で種を押さえつけて、種の硬い皮をくちばしで叩き割って、ついばむ。
僕は、近くの見晴らしのいいところから、海を見て、その日の波をチェックする。波が高ければ、サーフィンに、なければ原稿に向かうのだ。
森の中には、名前の知らない草花が、季節によって咲いている。散歩の途中で摘んできて、N子は絵を描く。彼女は水彩画家なのだ。
夏は朝夕、ヒグラシの金属的な音が森にこだまする。夜は鈴虫、コオロギ、キリギリスがうるさいくらいだ。冬になると、夜半にかけてイノシシやハクビシンの鳴き声がする。そうそう、夏の夜には、フクロウが鳴く。
「ホー、ホホー」
ベランダに出て、「ホー、ホホー」と鳴き返すと、「ホー、ホホー」と返事をくれる。何を言っているのかは不明だが。
十六年も、森の生活をしてきたせいか、僕は少し世の中が恋しくなっていたのかもしれない。
そのせいで、選挙に出てみて、落選し、でも、言いたいことを世の中に訴えるのは気持ちよかった。
そして成り行き上、NPOの空き家バンク等の社会事業活動を始めて、世の中の人間関係に巻き込まれつつある。
森の生活もいいけれど、人間に揉まれるのも、人間らしい。
そして毎日、森の中の我が家に帰る。
住む家は、人にとって、とても大事だ。
この家がなかったら、僕もN子も、この町下田には来ていなかっただろう。
そんな僕が、空き家バンク事業をやって、新しい人々をこの町に呼び込もうとしているのは、なんだか輪廻のような気さえする。