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下田最前線㉔下田のお吉

 下田では、毎年3月27日に『お吉祭り』が開催される。この日が、あの「唐人お吉」の命日なのである。
 お吉が身投げした稲生沢川の畔で鯉が放たれ、お吉の墓がある宝福寺では供養祭、そうして下田市文化会館で踊りや音楽、演劇が催されることもあったらしい。
 僕が供養祭に出向くと、すでに100人近い人たちが集まっていた(写真)。祭壇には有名俳優や演歌歌手たちのお供えの花が飾られている。
 戦前、作家の十一谷義三郎の発表で一躍日の目を浴びた『唐人お吉』は、すでに世界を席巻していた『蝶々夫人』の日本版ともいえる作品で、ヨーロッパとアジアが対決局面を迎える世界情勢の中で、時代のあだ花のように咲き、戦後、伊豆や下田が新婚旅行の人気先となる中で、お吉の墓を一目見ようという新婚さんたちでごった返したそうである。
 しかし下田では、実際のお吉は、地元の人たちにいじめられ、迫害された末に身投げされたとされていることから、複雑な心境である。また悲劇のヒロインとして美化された小説の中のお吉像に強い反発を抱く人もいるらしい。
 お吉研究で知られる石垣直樹さんは、自身のSNS等でこんな逸話を紹介している。
 商売に失敗し、物乞いにまで落ちたお吉は、宝福寺の奥様が握ってくれる握り飯で糊口をしのいでいたが、やがて生きる力も失せ、身投げした。そんな彼女を川から引き揚げ、檀家たちが猛反対する中で供養したのが、宝福寺の竹岡住職である。
 さらに住職も下田を追われ、一時横浜で死刑囚の教誨師を務め、ほとぼりが冷めると、下田に戻った。
 あるいはこんな逸話もある。日米を行き来し、日本外交の礎を築いた新渡戸稲造は、日米両国からスパイ容疑をかけられることもあったそうで、日米のはざまで身を投げたようなお吉の姿に、強いシンパシーを感じた。その証拠に「君が心はやまとなでしこ」と賛辞の詩を読み、若くして亡くなった御母堂の命日に「お吉地蔵」を建立している。
 三者三様の、何物かと戦い生きた人の姿を見るようである。
 逸話を紹介してくれた石垣さんは、こんなメッセージを寄せてくれた。
「今となっては、真実は誰にもわかりません。ただ、悲劇だけではない『お吉物語』があってもいいと思っています」
 今年でお吉が亡くなってから133年。小説発表から95年……。
 作家の立場からすれば、これだけ愛され続けるヒロインは、奇跡に等しい。

石垣直樹さんの著作

島津亜矢の『お吉物語』~なかなかいいですよ!


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