下田最前線第26回「僕が議員になったわけ」
この前の日曜日4月23日は全国で統一地方選挙が行われた。
僕の住む下田市でも市議会議員選挙であった。
夜9時、開票開始。僕はスタッフ、支援者と共に、地元有線テレビの報道にくぎ付けである。
開票場の体育館では、百票ずつの束が各候補者の名前の前に積み上げられていく。
ドンドン来るはずだ…と思っていた。
ところがである。
全然来ない。
最後に百票積みあがったのが僕だった。
大丈夫か?
「まだ序盤だ!」
後援会長がうめくようにつぶやく。
どうして議員になろうとしたのか。
ふと僕の頭を荒れ果てた被災地の風景がよぎった。
2011年東日本大震災。僕は5月に新聞社の依頼で現地入りし、取材していた。
取材で聞かされるのは、ダークサイドの話も多かった。町が崩壊、秩序が崩れると、人心までも荒廃するのだ。そんな中、毅然と踏みとどまっている人たちがいた。各地から窮地に陥っている人々を助けようと、多くの人が集まっていた。
悲劇的な状況で、そんな人たちの存在はキラキラしていた。何者でもなかった人でさえ、被災地に入るときらめいた。
人のために生きること……人の尊さ、美しさを見つめた二週間の被災地取材であった。
以来、人のために何かできたら、と考えるようになった。もちろん作家として、人のために本を書いてきた。しかし、もっと現実的、具体的に人ためになることをやってみたい。
4年前市議選に落選すると、支援者の一人がこう言った。
「そんなに人のため、下田のために働きたいなら、NPOで社会事業をやってみんかね」
僕のNPO理事としての4年間が始まった。3年後には理事長になり、この社会事業は、ようやく赤字体質から抜け出しつつある。スタッフも10名を超えた。
頑張ってきた。
それなのに…票は伸びない。
残り1席を3人で争う形になった。
見たところ、3人ともほぼ同数である。
選挙事務所内は沈黙が漂うばかりだ。
その時、係員が割と厚めの票の束を手に持ってきた。
誰の名前の前に置かれるか。
これでいよいよ決着だろう。
ドーン!と来ました。
「岡崎大五」の名前の前である。
残るは無効票等が運ばれるのみ。
「当選だ!」
みんなが立ち上がって、叫んだ。
僕は心底ほっとした。
十余年の思いがかなった瞬間は、現実の難しさを改めて感じた瞬間でもあった。
翌日、同じく選挙を戦った世田谷区の友人のオルちゃんこと、オルズグルさん(ウズベキスタン出身)からも当選の朗報が飛び込んできた。
まだ当選発表から5日目だが、会う人ごとにお祝いの言葉をいただき、毎日目まぐるしいほどに忙しい。まさに東奔西走である。
議員がヒマだなんて、誰が言ったか?
もう少し落ち着いたら、勉強も始めたい。
誰かのために働く席を与えられたのである。
これが僕の、人生のラストステージだ。
オルちゃんはすでに引っ張りだこです。