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第47回「インドカレーは、やっぱりうまかった!」

 第3回下田インド化計画は、第1回と同じく、マサラワーラーの「インドカレーを食べさせられ放題」になり、コロナの影響で、ほとんど告知をせずに、それでも子供やボランティアを含めて70人近い人たちが集まってくれ、大盛況であった。

 遠くは大阪、茨城から足を伸ばしてくれた方々もいて、また一所懸命お手伝いをしてくれたボランティアスタッフの面々にも、お礼を言いたい。

 みなさん、どうもありがとうございました!

 僕が初めて本場インドカレーを食べたのは、1985年のコルカタである。

 サダルストリートのモダンロッジという安宿で、1泊100円程度でドミトリーに泊まった。同宿だったイギリス人に連れられていったのが、最初であった。

 真っ暗な路地を歩いていくと、裸電球のぶら下がった店は、オレンジ色の明かりに灯されていた。

 外の窯の上では、上半身裸の男がチャパティー(丸い平パン)を次々に焼き、引っかき棒で引っ掛けて、窯から取っては銀色の皿に積み上げていく。それを小僧さんが、お客が座る席に持っていく。

 カレーは、ベンガル地方らしく魚であった。魚の切り身がぽつんと一つ、小皿に浮かぶ。それだけだった。

 椅子は長椅子となっており、そこに労働者風の、ルンギー(腰巻き)姿のおやじたちが、片膝を立てて座って、器用に右手だけでチャパティーをちぎっては、カレーの汁に浸して食べていく。ほんの小さな魚の切り身とカレー汁をおかずに、何枚もチャパティーをいただく。

 僕は辛さに汗だくになりながらも、夢中に食べた。これが本場のカレーなのだと興奮していたのかもしれない。

 そして最後に甘いチャイをいただくと、あら不思議。カレーの辛さが口の中で溶けてなくなった。

 それから二十二歳の僕は、毎日カレーばかりを食べていた。

 ウリのカレー、なすカレー、オクラを初めて食べたのもこのときで、大きなオクラが二本ほどカレー容器に入っていた。たまごカレーはゆで卵がカレーに浮かんだもので、汁気のまったくないほうれん草カレーや、パニールというチーズカレーも気に入った。

 本来なら、二、三種類はカレーを食べたい。しかし長旅を始めたばかりの僕は、旅行資金を節約する目的もあり、毎食、一種類ずつ地道にインドカレーの道を歩いていったのである。

 一ヶ月後、僕は南インドのマドライに来た。

 人口100万人を擁する大都会である。市の中心には色鮮やかなミーナークシ寺院の塔門がそびえ、近隣には「Meals」と看板を掲げた店が数多くあった。「Veg. 」、「NonVeg.」の表記もある。

「Meals」こそが南インドを代表する定食で、Veg.は菜食を、NonVeg.は非菜食、すなわち肉食を表している。そしてVeg.食堂が圧倒的に多かった。

 広々とした店内には、端の方に学校のような手洗い場があり、手を洗う人だけでなく、口を濯ぐ人もいる。まずは手を洗い、着席すると、小僧さんがバナナの葉っぱを持ってきて、上から水をかけて洗い流した。まるでお清めである。

 次には小さななバケツにライスを持った小僧さんが近づいてきて、たんまりと白米をバナナの葉の上に置く。そして、小さなバケツにおかずを入れた小僧さんが何人も来て、何種類ものおかずをよそってくれた。

 インド滞在一ヶ月で、カレーを手で食べることには慣れてきていた。手で好みのカレーをライスと混ぜて食べる。キャベツのカレー炒め。ココナッツのカレー、ダルと呼ばれる豆カレー、カリフラワーカレー、じゃがいもカレー、インド風マンゴーの漬物アチャールは最高の付け合せである。汁物とそうでないものがあり、ヨーグルトも付いている。これは辛さを調整するのにいいし、ヨーグルトごはんにして食べている人もいる。

 一気に食べて、一息つくと、狙いすましたように、小僧さんがバケツ片手に駆け込んでくる。そしてニヤリと笑って、おかわりをよそってくれるのだった。

「タダなのか?」

 小僧さんは、笑みを浮かべながら、軽く首を傾げる。これはインドでは、「イエス」の意味だ。

 僕は俄然張り切って食べた。22歳の若き日の僕は、もちろん今以上によく食べた。

 徐々に腹がいっぱいになってくる。そろそろいいなと思っていると、狙い撃ちされたかのように、小僧さんがライスやカレーをよそってくれる。薄ら笑いを浮かべつつ。

 見れば、地元の人達は、食べる終わるとさっとバナナの葉を畳む。これが打ち止めの合図であった。

 しかし僕にはそのタイミングが掴めない。すると小僧さんたちの狙い撃ちにあい、なかなか食事が終わらない。小僧さんたちは、やけにうれしそうである。

 彼らは、過酷な勤務の中で、客にどんどん食べさせる楽しみを見出しているのであった。

 そして日本に帰ってきて、この小僧さんに成り代わったのが、インド料理界の染ノ助染太郎こと、マサラワーラーである。

 そのマサラワーラーの一人、武田くんが今回も、食べ終わりそうになる僕のところに忍び足で何度も近寄ってきて、カレーをよそい、ニヤリと笑った。

 おかげで僕は、その夜は、南インドを旅した日々と同じく、夕食をパスすることになったのである。

 

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