下田最前線⑰牢から解放された松陰先生
下田は観光地だけあって、いくつか博物館や美術館がある。中でも古くからあるのが『下田開国博物館』である。
文字通り下田の開国の歴史が展示されている。江戸時代から続く太鼓祭り、ペリー来航、吉田松陰の密航と逮捕、ロシアのプチャーチンの来航、ハリスの駐在、唐人お吉…。
古いだけあって、博物館も古色蒼然とし、中でも出色だったのが「吉田松陰拘禁の模型」であった。
吉田松陰が下田でペリー艦隊に密航を企てたのが1854年の春先のこと。アメリカ側にすげなく断られ、下田奉行に捕縛された吉田松陰と金子重輔は、下田で拘禁され(現教育委員会)、処刑されるまでの5年間、故郷山口萩で軟禁下にあって、松下村塾を開塾、明治維新の逸材たちを生み出した。
そんな縁で、下田と萩は姉妹都市で、萩の人たちがこの博物館を訪れるたび、吉田松陰拘禁の模型を見て、涙したという。
吉田松陰は、萩では「松蔭先生」と呼ばれ、今でも市内の小学校では、松陰語録を唱和している。
僕も萩に行って初めて、松陰先生の偉大さを実感し、なるほどだから萩のみなさんは、下田に来て、胸が引き裂かれるような思いに駆られるのだと知った。
下田には、密航前に吉田松陰と金子重輔を匿った家が残されており、二人の像もある。また港沿いに「松陰の小道」が整備されている。
この道をつくったのは静岡県だが、その中心人物が萩出身の故Kさんで、ライフワークとして下田の港湾整備に尽力され、退職後は萩の松陰神社の氏子総代を務められた。
開国博物館に勤務十年のYさんも、熱烈な松陰先生ファンである。
「だからあの模型は、毎日見るたびに、辛いものがあって、だから今回のリニューアルで、松陰先生を牢から出して差し上げたんです」
生まれ変わった博物館に、もはや古色蒼然と言った様子はなく、開国の歴史がわかりやすく展示されていた。
さらに「黒船トランプ・ルイユ美術館」を新設した。これはトリックアートミュージアムだが(写真)、基調になっているのが『ペリー提督日本遠征記』。シンガポールや上海など、ペリーが日本に来るまでの航海を遊べるようにできている。
さすがは開国博物館の面目躍如だ。
加えてこの博物館、オーナーが酒店なので、お土産コーナーでは従来通り、手に入りづらい島焼酎(伊豆七島の焼酎)や日本酒が充実している。
下田の地魚と島焼酎で一杯やるのが、通人の遊び方だそうである。
下田開国博物館
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