
ファンタジーRPGについて小考 その9 名前
なんと、その9です。
さて、今回は名付けについてです。人名から始めようと思いますが、名前というのは宗教学的にも非常に意味のあるもので、洋の東西を問わず名前を付けるという行為は大変重要なことです。それも人の名前となると、一生を左右しかねない呪術的な色彩を帯びてきます。
この企画では中世ヨーロッパ風ファンタジーを俎上に乗せていますが、我々日本人と西洋人の感覚は違うところが多々あるので、まずはそのギャップを埋めるためのお話をします。
東アジアの漢字文化圏では同名忌避の感覚があります。同姓同名を避けたいという考えは日本人なら多くの人が持ってると思います。古くは中華王朝では王や皇帝の名前の漢字は在位中の使用を禁止されるという習慣がありました。漢字には同じ読みの文字があるため、禁止された文字は同音の別字で代用されたのです。これはなんとも非常に面倒なことです。その不便さを押し通してでも、同じ名前は避けられたのです。真の名前を知られると、呪術を掛けられるというところからスタートした習慣で、日本でもそうですが昔の人は存命中、現在知られている名前では呼ばれていなかったのです。具体例としては織田信長を信長様と呼ぶことはなく、上総介や右府殿といった通称や役職名で呼んでいました。逆に通称の方が世に知られている人物もいて、一例を挙げるなら幕末の坂本龍馬の本名は坂本直陰です。
中華と日本の違いとして面白いのが、日本では父親や主君などから漢字を一字もらうという習慣です。日本史を眺めてみると、同じ時代にやたらと同じ漢字の入った名前の人物がいたり、一族みんな同じ漢字を使っていたりするのはこの習慣です。
一方で他の文化圏はというと、同じ名前を名乗るというのは敬意や栄誉の現れです。父と同じ名前や、尊敬する人物の名前を名乗ることで、その偉大さにあやかる気持ちがあるのでしょう。極端な例では飼い犬に尊敬する人物の名前を付けたりします。日本ではとても失礼な印象を受けますが、最愛の友に素晴らしい名前を付けるのは良いことなのです。こうした感覚があるため、キリスト教文化圏の人々の名前は多くが聖書の登場人物と同じです。それが各国の言語のアルファベットの読み方でバリエーションとなります。具体例としては、キリストの使徒ペテロの名前なら、ピーター、ペーター、ペドロ、ピエトロ、ピョートルなどです。聖母マリアとその母アンナ、2人の名前を繋げてマリアンヌになったり、使徒ヨハネの名前を女性形にしてヨハンナとしたり、父ピーターの息子という意味でピーターソンになったり様々な変化もします。更にはそれが姓になったりもするのですから、慣れなければカタカナの羅列に苦しむことになるでしょう。洗礼名というキリスト教徒としての名前が別にあったりするのも混乱の元。キリスト教以前のローマ時代を見てみても、同じ名前だらけで地名や称号を添えたりしています。
姓、苗字もややこしいもので、職業や地名や業績などが元になっていることが多いものの、例外もあるため一概に言えません。加えて、地域によっては両親の姓を両方受け継いだり、そもそも姓という習慣が無く、先祖の名前を並べたりもします。
さて、今回は早めにファンタジーの話に移ります。ファンタジー世界の人物の名前はおおまかに、現実の名前、古語の名前、事物の名前、創作の名前に分けられると思います。今、思いついて分けました。
現実にある名前を付ける時に気にした方がいいポイントがふたつあります。ひとつめは地域特有の名前の混在です。どういうことかというと、例えばA王国の一般市民にグスタフさんがいたとして、同じく先祖代々A王国に暮らすポールさんがいるとします。グスタフはドイツ語文化圏の名前で、ポールはフランス語文化圏の名前です。A王国のグスタフさんとB王国のポールさんであったり、A王国に代々住んでるグスタフさんと移民の子孫ポールさんなら何も違和感は無いのですが、A王国に古くから住んでるグスタフさんとポールさんとなると特殊な設定が背景にあることになってしまいます。どういうことかというと、A王国はB人とC人の2つの民族が共存する国家で、B人は現実で言うドイツ系、C人はフランス系といった具合です。もう少しわかりやすく違いを説明するなら、ファンタジー世界の極東の島国ホウライ出身のウジナオさんとチェンさんがいたら、我々日本人は、チェン?と首を傾げるでしょう。そういう違和感のある名付けがわりとよくあります。
もうひとつのポイントは、宗教色の強い名前です。例えばクリストフという一見普通っぽい名前がありますが、これは聖人クリストファロスからとられた名前です。クリストファロスとはキリストが川を渡れるよう担いだ人物が後に呼ばれた名前で、救世主を運ぶ者というような意味合いになります。こういったキリスト教色のある名前はキリスト教文化圏では当然一般的で、もちろん他の宗教文化圏でも同様の例がいくらでもあります。
名前の話から脱線しますが「成仏しろよアーメン」なんて言ったなら、それはギャグですし、その世界には仏教とキリスト教に類似した宗教があることになってしまいます。
話を戻しまして、このように現実にある名前には様々な文化的背景があり、中には混ぜるな危険も潜んでいたりするのです。じゃあファンタジーの名前を考える時には歴史や文化の勉強をしないといけないのかと問われるなら、はいともいいえとも言えます。そういった文化的背景を知っているということは大きな知識的財産であり、創作をする上で必ず役に立ってくれます。その一方で、細かいことはいいんだ雰囲気さえ伝われば、が間違いでもありません。厳密にやると、国王ジョンと公爵ジョンと逆賊ジョンが三つ巴の戦いを繰り広げ、ジョン司祭が仲裁したことを歴史家のジョンが書き記しているといった事態がまじめに発生します。まぁ、ウジシゲとタカシゲが同盟してモリシゲとシゲサトを討ったと書いても似たようなものなので、要は書き方ですね。昔の人が通称や役職名で呼ばれていたのはこういう混乱を避けるためでしょう。
続いて古語の名前です。日本なら宿禰(すくね)とか荒甲(あらかい)とか言えば、現代のお話じゃないなとピンとくるはずです。西洋でもエルドレッドとかアラリックとか言えば、昔話ねとピンとくるので、現代の名前と比べて荒唐無稽な出来事との親和性があります。こうした、現代では一般的ではない名前を使うことで、ファンタジー感を増すこともできるのですが、知っている人にとっては地域や時代が違う場合の違和感は激増します。いっそごたまぜにしてしまえば、名前を単なる記号に落とし込み、意味を気にしなくて済むようになったりしたりしなかったりするかもしれません。
次に事物の名前とはどういうことかというと、剣士サファイアが魔法使いルビーと共に、妖術師アメシストを倒しました、というような、一般に人名ではない名前を使う方法です。ここでも言語の不統一が違和感の原因になったりはしますが、そもそも異世界の荒唐無稽なお話ですよ感が強いため、文句をつけるほうが野暮というもの。バリエーションを多く取りやすく、難しい勉強もいらない手軽な手法です。元の事物の意味合いをキャラクターに込められるのも良い点で、戦士コーギーと騎士ランウータンは犬猿の仲である、とか書けば読者も納得というもの。覚えやすいのも魅力です。
対して創作の名前は覚えやすさで言うと高難度です。銅竜ゲンデデレネプトは赤竜クレイグラカガンと三日三晩争い、エルドンモンデの森を砂漠へと変えた、なんてお話なら、ファンタジックさはぐっとアップするものの、カイタリアケイアスって誰だったっけと頑張って思い出さなければならなくなったりします。しかし、うまくハマれば上質なハイファンタジーとなるでしょう。
こうした様々な名前をどう組み合わせるかで作品のカラーが決まってくるでしょう。人間以外の種族が出てくるのなら聞き慣れない名前が異種族であることを強調してくれますし、重要人物がゴルゴダの丘に連行されたなら、きっと処刑されるのだろうと想像がつきます。オマージュやパロディも、さじ加減次第ですが効果的にはたらきます。
ここまでは主に人物の名前を取り上げてきましたが、土地の名前ではどうでしょうか。現実の土地の名前を使うと、どうしても実際の場所のイメージがチラついてしまうため、創作の名前を用いる例が多いのですが、この地球上にどれだけ土地の名前があることか。でっち上げた名前が普通にどこかにあったりするものですし、語呂のいい名前は既に誰かが使っていたりします。なのでここは開き直ってしまうのが一番ではないかと個人的には思います。人名だって実在の名前を使うのですから、地名が同じだっていいはずです。アレクサンドリア(イスカンダル)なんてあちこちにありますし、『ロードス島戦記』の舞台は地中海のロードス島ではありません。ちなみにアレクサンドリアはアレクサンダー大王の街なので、異世界にアレクサンドリアがあったら、大王は異世界転生して征服を続けたとネタにされても仕方ありません。その辺を飲み込む度量や覚悟も創作者には必要でしょう。
お次は魔物の名前を考えてみます。『ドラゴンクエスト』に「いたずらもぐら」というモンスターが登場します。この名前を聞けば、モグラの怪物なんだなと一発でわかります。ついでに言えば、やることがイタズラで済まされる程度の弱い敵なんだなと想像できます。上位種に「キラースコップ」というモンスターが登場します。いたずらもぐらより強そうですし、スコップを武器に多くの人間を血祭りにあげてきたのだろうと想像がつきます。言語の違いや文法の正しさ、果てはスコップとシャベルは地域によって指している物が違うという問題もありますが、モグラの怪物というイメージだけは一貫して伝えられるでしょう。
対して、ゲームを遊んでいて「フンババ」という魔物が現れたらどういう印象を受けるでしょうか。『ギルガメッシュ叙事詩』を知っていれば杉の森の巨人かなと思うかもしれませんが、知らなければ音の響きでイメージするでしょう。日本語の語彙を考えると、鼻息の荒い粗野で大柄な魔物っぽく感じる人が多そうな気がしますが十人十色、人それぞれのイメージを持つでしょう。こういった神話や伝承由来の名付けはプレイヤーの知識にイメージが左右されることになりますし、他の作品で全く違う姿形能力で登場しているかもしれません。ただ、有名な名前を使えば、説明が省けるといった利点もあります。
新しく名詞を創作することもできます。何かをもじったり、ダジャレだったりといった場合には『ポケットモンスター』が良い例ですね。私は仕事で敵キャラクターの名前をどうしようかと相談された場合、ポケモンのような名前は避けるようアドバイスしています。もちろん考え方は人それぞれで、これは私個人の主観的な意見に過ぎないのですが、この名前の付け方をすると、語呂のいい名前はだいたい既に使われています。大量に名付けが必要な時にこの手法を選ぶと大変な目に遭うことでしょう。少なくとも私はそう思います。
名前にまつわる話を続けてきましたが、名前を付けないという選択肢もあることを取り上げておきます。人名のところで、ジョンたちの争いに触れましたが、ジョンという名前を取り除くと「国王と公爵と逆賊が三つ巴の戦いを繰り広げ、司祭が仲裁したことを歴史家が書き記している」となります。他にも「剣士が魔法使いと共に、妖術師を倒しました」「銅竜は赤竜と三日三晩争い、森を砂漠へと変えた」となります。名前が無くとも案外困らないものです。剣士が何人も登場するんだが、というのであれば、赤髪の剣士と隻眼の剣士と砂漠の剣士と巨漢の剣士というような形容詞を付けてしまえば解決です。もし、ネーミングに苦しむようであれば、こうあらねば、という自分の中の観念の角度を変えてみるのもいいかもしれません。
なんだかまた創作論になってしまいましたが、今回はそういう回ということにしておきましょう。そろそろ「ファンタジーに馴染みのない人のための雑記」という看板を下ろした方がいいかもしれませんね。そもそも、まだ続けるのでしょうか、この企画。自分でもわかりません。
泉井夏風