ファンタジーRPGについて少考 その7 システム
この企画のタイトルがファンタジー“RPG”について少考だということを不意に思い出したので、また筆を執ります。RPGとはロールプレイングゲームの略です。だというのにゲームの話をあまりしていないことに気付いたのです。なので、今回はゲームシステムの面からファンタジーの話をしたいと思います。
前提として、ロールプレイングゲームとは何かを書かなければなりません。ゲームに疎い人でも、仕事でロープレ、ロールプレイという言葉は聞いたことがあるかもしれません。ロールとは役割のことです。接客業では新人の研修のためにスタッフ同士で客と店員の役割を持ってシミュレーションすることがあります。ロープレです。役割をプレイするわけです。プレイは遊びではなく演じるという意味になります。つまり役割を演じる遊戯がロールプレイングゲームというわけです。役割を演じる遊戯と、コンピューターゲームのRPGが直接結びつかないと感じる人が多いと思われます。その原因はTRPG、つまりテーブルトークRPG、あるいはテーブルトップRPGが間にあることを知らない人が多いことに起因するのではないでしょうか。
TRPGあるいはTTRPGとは何か。今年ちょうど誕生から50周年を迎えるこの遊びは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』から始まります。この偉大な現在も続くゲームの前日譚から話しましょう。チェスや将棋は戦術シミュレーションゲームの一種と言えます。これを発展させて、ボードゲームの戦略シミュレーションゲームが発達していきます。ウォーゲームと呼ばれるこのジャンルは実際の軍隊で行われる図上演習から生まれたのでしょう。実物の地図の上で軍団を動かし、データを元に会戦時の損耗率などを予測し、勝敗をシミュレートします。ウォーゲームと化した図上演習は面白さを求めて大隊や小隊規模へと細分化していったそうです。率いる将軍や隊長のスペックを設ければ更にゲームに深みが出ます。また、例えば戦車大隊の駒としての能力を各戦車の型式やスペックによって変化させれば、テーブルの上の戦場はより白熱したものになるでしょう。しかし、そこには落とし穴があります。細分化すればするほど、処理しなければならない手順や覚えなければならないデータが増えるのです。そんな中、発想を転換した人がいます。プレイヤーは部隊ではなくひとりの人間を動かすことにし、戦いの舞台をファンタジー世界に変えて、怪物相手に剣と魔法で協力して立ち向かうことにしたのです。これが最初のRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』です。
戦士や魔法使いといった役割をひとりがひとつ担当してファンタジー世界での戦いをシミュレートする遊びは、仲間の数だけプレイヤーが必要です。そして、ダンジョンを用意し敵を操作するゲームマスターも必要です。もちろん、ひとりで複数キャラクターを動かすことも、忙しいですが可能です。そんな遊びの中で、攻撃をする際に「喰らえ!」と言ったり、やられた時に「嫌だ、死にたくない」といったようなキャラクターのセリフを言ってみたくなるのは自然な流れでしょう。こうして、RPGは役割を演じるだけでなくキャラクターを演じる要素も備えていきます。現在ではキャラクターを演じることをロールプレイと呼ぶ人の方が圧倒的に多いように思いますが、本来は前衛の戦士や後衛の魔法使いという役割をこなすことがロールプレイだったところから発展してきたのです。さて、TRPGはとても面白いのですが、プレイヤーが集まってみんなでプレイする必要がありました。場所や日程の確保が必要です。人間関係が悪化して解散なんて問題も発生しうるでしょう。そんな中、コンピューターゲームでRPGを再現できないかと考えた人がいます。ひとりで遊べるRPG、それが『Wizardry』です。
その後、多くのコンピューターRPGが生まれました。物語性が重視されるようになり、プレイヤーが操作するキャラクターには、あらかじめ個性が与えられ、小説を読んだり映画を観たりするように物語を体験するゲームへと変質していきました。MMORPGの登場によって先祖返りしたりもしましたが、現在の主流は主人公キャラクターたちの冒険を導きながら眺める、そんな風情を持つものがRPGであるとして人口に膾炙しています。もちろん、いくらでも例外はありますが。
ようやくRPGとは何かを説明できました。ただ、戦闘シミュレーションだけがRPGではないことには留意が必要です。戦闘の発生しないTRPGも多いのです。とはいえ、この企画で扱っているのは魔法と魔物の存在する中世ヨーロッパ風ファンタジーRPGなので、戦闘を主軸にお話を進めていきたいと思います。
ヒットポイント、HPというものが多くのRPGに登場します。ライフや体力のように言い換えられていることも多いのですが、これが本来のヒットポイントの意味を忘れさせてしまいました。元々、ヒットポイントは複合的な数値です。防具の装甲や、素早く回避する能力などをまとめたものなのです。攻撃を受けていけば防具は壊れ、疲労や集中力の低下によって回避力は落ちていきます。これがヒットポイントが減るという現象で起きていることでした。つまるところ、ヒットポイントとは致命傷を避ける力なのです。HP1は瀕死の状態と認識されがちで、実際に主流のRPGではグラフィック上もそのようになっています。ですが、ここにリアリティを持ち込むと、瀕死の状態では攻撃力も命中力も回避力も移動力も低下してしまうはずということになります。ゲームデザイン上、攻撃を受ければ受けるほど不利になっていくというのはプレイヤーのストレスばかり増えるので、面白くするのが難しくなります。ですが、原点に立ち返るなら、HP1でも戦闘能力に影響は無く、十全に実力を発揮できる状態なのです。
『ファイナルファンタジータクティクス』では、防具を装備すると防御力ではなくHPが増えます。防御力というステータスが無いのです。これはプレイステーションの時代のゲームとしては珍しく、ヒットポイントが致命傷を避ける力として表現されていた例です。そもそも防御力あるいは守備力とはなんでしょう。良い防具を身に着けるほど受けるダメージが減るというのは多分にゲーム的で、あまりリアリティのあるものではありません。防具の素材や構造で受ける衝撃や傷を軽減できるのは確かですが、一般的なRPGほど差が出るものではありません。もちろん、魔法や神の加護などが身を守ってくれるのであれば話は別です。では、どうしてヒットポイントに一本化せず、わざわざ防御力という面倒な数値を追加するのでしょうか。それは、敵のヒットポイントを増やす以外の方法で、その敵を倒すのを難しくするためのひとつの解だからだと思います。防御力を無視してダメージを与える技や、防御力を上げ下げする魔法などが戦略性を増してくれるわけです。攻撃力の高い敵が出てくるようになった時に、新しい防具を手に入れると受けるダメージが減り、プレイヤーのキャラクターが強くなったことを実感させる効果もあります。更には新しい防具を購入するために、お金というリソースを消費させたり、ダンジョンで良い防具を発見する喜びにも繋がります。キャラクターの成長と敵の強さのバランスを取ったりリソースの管理を制作者側でコントロールすることをレベルデザインと言ったりしますが、防御力の導入はこのレベルデザインにとって非常に便利なものなのです。
一方で回避力は話が変わってきます。当たるか当たらないかは、つまるところHPが減るか減らないかです。回避力という概念ではありませんでしたが、防御力と違ってHPが減るかどうかの判定は最初からありました。回避に成功すればダメージという負の影響を一切受けずに済みます。お互いにあと一撃で倒れるという時に回避に成功すれば、詰んだ状態から勝ちを拾うことができます。こうした出来事はガチャで当たりが出るようなタイプの喜びをプレイヤーに与えるでしょう。しかし、敵に回避された時にプレイヤーにかかるストレスは大きなものです。回避力が高いことが売りの敵が出現するだけでイラッとするほどです。そのために命中を高める装備や技や魔法を用意して戦略性を高めることもできますが、それが充分でない場合、運頼みのゲーム性皆無の状況が生まれてしまいます。また、キャラクターの回避力を極限まで高めて敵の攻撃が当たらないようにする攻略法もまた、戦略性を損ないかねません。アクションゲームならヒットアンドアウェイを繰り返すことが戦略でありゲーム性となりますが、コマンド入力式の戦闘ではバランスを崩す要因となり得るのです。なので、ボスはHPが多く、回避力は皆無で命中力と攻撃力が高いという形が基本になってきます。防御力の例と比べて言うなら、回避力はレベルデザインがやりにくくなる要素なのです。
さて、クリティカルヒットというものがあります。作品によって効果や名称は異なりますが、ただ攻撃が命中しただけでなく、特別に有効な攻撃をできたことを表現するものです。ダメージが増加したり、防御力を無視したり、敵を即死させたり様々ですが、これも回避力と同じでガチャで当たりを引くような喜びをもたらします。メリットもデメリットも回避力について述べたこととあまり変わりません。異常に回避力が高い相手にもクリティカルヒットでなら対応できたりするわけですが、やはり運のゲームになってしまうという問題点があります。一方で、クリティカルヒットを確率ではなく一定条件で必ず発生させる作品もあります。武器の特性が敵の弱点とかみ合った時に一撃で倒せるといった具合です。具体例を挙げるなら『魔界塔士Sa・Ga』では炎の剣であるフレームソードで炎に弱い敵を攻撃すると防御力を無視でき、太陽の力を持つサンブレードでアンデッドを攻撃すると一撃で倒せます。こうしたクリティカルヒットは運ではなく、敵の特性を理解し対策として有効な手段を用意するという戦略性に繋がります。もっとも、『Wizardry』でウサギやニンジャに確率で首をはねられる緊張感を味わうのも楽しいのですが。まとめると、クリティカルヒットとは戦況を覆す可能性のある起死回生の一撃です。うまく取り入れれば素晴らしいスパイスですが、レベルデザインを失敗するとバランスが崩壊する諸刃の刃となってしまいます。
HP、防御力、回避力、クリティカルヒットときたら次は攻撃力です。最大火力を出すロマンはゲームをする上でひとつの目標になり得る要素ですが、どの程度ダメージが出せるかというのは、やはりレベルデザインの問題となります。仕掛けとしては防御力と同じですが、敵を倒すことが目的の戦闘においては攻撃力が無ければ話になりません。どれだけHPや防御力や回避力があっても、敵にダメージを与えないことには戦闘は終わらないのですから。作品によっては防御力や回避力をお飾りの数値にして、どれだけ大きなダメージを与えられるかを競うようなものもあります。極端な話、HPと攻撃力さえあれば戦闘は成立するのです。中にはHPと攻撃力を同一化している尖った作品もありますが、さすがに例外なので置いておきましょう。
攻撃力を競い合うに当たって、最も重要なのが行動順です。一対一で互いに一撃必殺なら、先に動いた方が勝つでしょう。そうでなくとも、先に動いて仕留められるなら、ダメージを受けずにリソースを温存できます。なのでレベルデザインをするに当たっては、速いほど火力を落とし、遅いほど耐久力を高めるといった調整が行われます。大きくて硬くて遅い敵1体、小さくて脆くて速い敵複数体といった組み合わせをしたりするわけですが、これがいかにゲームの都合で作られた状況か、おわかりいただけたでしょうか。
こうしたゲームの当たり前が、昨今のファンタジー作品に与えた影響はとても大きなものです。体の大きなキリンは自動車並の速度で走ることができます。そして、その加速した体重をぶつけられればライオンは即死しかねません。なのでチームワークで子供などの弱い個体を孤立させ、疲労させて仕留めるのです。クマの走行速度もかなりのものです。そして、腕の一振りで人間は死にます。銃で撃っても即死させるのは難しいといいます。このように、現実の大きな生き物はHPも攻撃力も素早さも兼ね備えています。では体が小さな人間という動物が弱いかといえば、そんなことはありません。馬と並んで、人間は走り続けることが得意な生き物です。獲物を執拗に追い続けることで仕留める執念のハンターなのです。それが爪や牙より優れた武器を使うようになったのですから、今の繁栄があるのです。
ようやくファンタジーの話をします。持久力と知能と道具によって、どんな生き物も狩る人間という生き物にとって、魔物とはなんでしょうか。弱い魔物というのもいるでしょうが、基本的には人間が敵わないから、動物ではなく魔物なのではないでしょうか。それを狩ることができる特別な存在が主人公足りうるのでしょう。一般人では歯が立たない魔物に対抗できる英雄。彼らは人間の限界を突破した超人かもしれませんし、特別な魔法を修得した魔術師かもしれません。あるいは、常識を超えた武具を持っているかもしれません。いずれにせよ、その辺の一般人が魔物を狩ることができるのなら、その6で書いたように有害生物である魔物は絶滅するでしょう。街を一歩出れば一般人には対処不可能な魔物とエンカウントする世界では人間という種は絶滅の危機に瀕していると言わざるを得ません。この辺りをうまく取り入れた作品もあります。突如現れた魔物によって非常事態となり、特別な力を持つ主人公たちだけが希望という世界観です。もちろん、そうした作品は重苦しいダークな雰囲気が漂うことになります。
一方で、迷宮、ダンジョン、異界など特定の場所にしか魔物はおらず、冒険者が一攫千金を求めてそこに挑む作品もあります。この場合、人間社会は正常に回り、魔法が発展しすぎていなければ、リアリティを求めても一般的にイメージされる中世ヨーロッパ風ファンタジーが成り立ちます。と、まあ色々書きましたが、大事なのはプレイヤーがファンタジー世界を楽しく冒険できるかどうかです。ご都合主義の虚構を混ぜて、わかりやすい世界を創造した方が、ゲームは簡単に面白くなるでしょう。こうしたゲーム特有の世界観をそのまま輸入したのが昨今人気を博している異世界系の小説や漫画であると私は思っています。ゲームのレベルデザインの都合が、その1で書いた昔と今のファンタジーの違いを生み出したのではないでしょうか。
泉井夏風