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ファンタジーRPGについて少考 その6 人々の暮らし

その6です。武器とか防具とかについて書くつもりでいたのですが、旧Twitterでアンケートを取ったところ、武具0票、人々の暮らしや技術が求められていました。というわけで、今回はそういうお話をします。

ファンタジー世界と一口に言っても、作品によって世界観は千差万別、それでも概ね共通するのは現実世界をお手本にしているということです。では、どれだけ現実に即すといいのでしょうか。リアリティが大事とは言いますが、魔法や魔物が存在する上でのリアルを描かなければなりませんし、専門的な知識が無ければ意味が伝わらないのでは具合が悪いです。リアリティがあると思わせられるラインを維持しつつ、わかりやすくするための虚構を混ぜたものが、良いファンタジーのひとつの解と言えます。そんなわけで、まずはリアルな人々の暮らしを眺め、その上でファンタジー世界ではという話をしましょう。

まず気になるのは人口です。街や村で暮らしている人数だけでも様々なことがわかります。なぜなら食料の生産力以上の人口は生きていけないからです。太古の人類は狩りや採集によって食物を得ていましたが、徐々に定住して農耕を行うことが主流になっていきます。その背景もなかなか面白いのですが脱線するので話を進めます。定住するメリットは多いのですが、同時に移動生活には無かったデメリットも多く生じます。メリットの最たるものは余暇が生まれたことでしょう。人間、暇になると色々なことを考えます。便利な道具を作ったり、作物をより多く育てるための工夫をしたりといった具合です。暮らしが楽になると更に余暇は増えます。生産した食料が、生産に従事する人数に必要な分より多ければ、食料生産以外の仕事をする人物を養えるようになります。その人物は衣服や道具を作ったり、住居をより良いものにするなどの新しい仕事に集中でき、暮らしは更に便利になるでしょう。では、定住のデメリットのひとつに注目してみましょう。畑で作物を育てるには沢山の水が必要です。川や湖に頼れる立地は人気なので奪い合いになります。そうでない場所では雨に頼るしかありません。不安定ですし、雨の少ない地域では、そもそも畑が成り立たないのです。そこで、灌漑という水源から水路を引いてくる技術が生まれます。これによって食料事情は劇的に良くなりますが、河川の氾濫や洪水といった自然の脅威があります。

食料生産量が増えると食料生産以外の仕事をする人も増えます。集団には統率する人間が必要であり、人口が増えればそれは統治になります。権力者の仕事は様々ですが、統治の中でも重要なもののひとつが治水です。堤防やダムを築いて河川の氾濫や洪水から人々を守ること、それが権力者に求められた治水でした。水の流れを人工的に変える試みは水路や運河を生み出します。物や人を運ぶ基本は人力ですが、牛や馬を使えば更に運べる量が増えます。車輪を作る技術があれば、輸送量は飛躍的に増えます。それでも船には敵いません。水路や運河は流通にとって最高のものでしたが、どこにでも繋げられるわけではありません。なので、権力者は水路が使えない都市と都市の間に街道を整備します。流通が良くなれば都市の人口は更に増えます。都市に人が増えるほどに分業が進み、新しい仕事も生まれます。現代でこそ職業に貴賎は無いとされていますが、昔は各々の役割によって身分差がありました。都市には様々な身分の人々が暮らし、貧富の差は大きくなっていきます。持てる者と持たざる者の差が大きいほど、都市の治安は悪くなってしまいます。治安を維持するためには衛兵隊を組織するなどの投資が必要です。つまり、出費が嵩むことになるわけです。

都市で暮らすにはお金が必要です。貨幣という便利なものが生み出され、それを使った商売が活発化します。商業が栄えれば栄えるほど、都市は発展します。流通は良くなり、人口が増え、学者や技術者を多く養えるようになります。街道や水運海運が発達すれば、言語の異なる異郷の商人が出入りするようになります。言語の違いを埋めるには通訳や語学研究が必要で、その役に立つのは書物です。なお、文字は商売の記録をつける所から生まれたようです。簿記こそが必要に応じて生まれた最初の書物であり、文字の元祖でもあるというわけです。簿記は都市に多くの商品が流通し、商人たちが出入りしなければ生まれませんでした。しかし、そこで生まれた文字を最も活用したのは学者でしょう。どれだけ頭の良い人でも個人の知識には限界があります。ですが、そうした個人の研究成果が書物に記録され、受け継がれることで知識は学問として発展していきました。世界の仕組みを知ろうという試みは、ただの暇人の娯楽では終わりません。例えば金属の特性が解き明かされれば、より強靭な道具を安価に生産できるようになります。木製の農具が鉄製の農具に代わるだけでも食料生産量は増えます。食料が増えれば人口が増し、人間が増えれば文明が発展するのです。しかし、食料生産量は無制限に増えるわけではありませんし、仮に溢れんばかりの食料があっても流通が弱ければ必要な場所に行き届きません。そうして、実際に長いこと食料生産量と流通量、そして人口は頭打ちのまま止まってしまいました。

食料を増産する工夫のひとつに肥料があります。畑の作物の収穫量を増やすための栄養です。窒素系の化学肥料が生まれるまで、糞尿を使った堆肥は優れた肥料でした。なんせ生き物は食べたら排泄をします。そして、人口が多ければ多いほど、排泄物は毎日大量に出ます。人間だけでなく家畜も排泄をします。これが役に立つのですから素晴らしいことです。しかし、忘れてはならないのは糞尿のデメリットが臭いだけではないという点です。公衆衛生という概念の無い時代、そこらに捨てられる糞尿は疫病の発生源となりました。蝿や鼠、蚤や蚊が増えることも疫病の流行に繋がり、人口を減らします。他にも人間の数を減らす原因には飢饉もあります。気候や自然災害によって食料の生産量が低下すれば養える人間の数は減ります。昔は充分な医療知識も効果的な薬剤も不足していたので、ちょっとした傷や風邪が死に至る可能性を持っていました。子供は簡単に死ぬので、家の仕事を手伝わせるため、できるだけ沢山産みました。寿命は現代と比べてずっと短く、人はどんどん死んでいきます。なので、その分を補えるように子供を産むのです。昔の平均寿命を見ると30歳などの驚くような数字が目に飛び込みますが、これは子供の死亡率が高いために出てくる数字です。もちろん現代日本と比べれば大人の死亡率も高いのですが、子供は本当に簡単に死んでしまいました。

現代で言う生命保険のようなものは昔からあったようです。共同体の中で、いざという時のためのお金を集めておき、働き手を失った家を支える相互扶助です。そして、金融商品としての保険は商船に対して掛けられるものとして発達します。海には嵐や海賊など危険が尽きませんが、一度に運べる量と速度の点で海運ほど便利なものはありませんでした。ハイリスク・ハイリターンというわけですが、そのリスクを少しでも減らす工夫が海上保険です。金融は商業の発展に欠かせません。高額の取引を行う際にいちいち大量の金貨を持ち運ぶなど、襲ってくれと言っているようなものです。なので信用取引、つまり貸し借りが重要となるわけです。Aさんという人に資本があれば、BさんがCさんから商品を買うお金をAさんに立て替えてもらい、Bさんはその商品がよそで売れてから手数料込みでAさんに返すということができます。この時、AさんがCさんにお金を渡さないケースもあります。どういうことかというと、CさんがDさんから商品を買う時に、Aさんに支払いを回すといった具合です。Dさんも同様にEさんに債権を移譲できます。なんなら最終的な債権者がBさんからお金を受け取るのであれば、Aさんの手元から出ていくお金はゼロです。こんなやり取りが複数あれば、Aさんは貸します貸しましたと言うだけで手数料でお金が増えていくことになります。さて、もし、そんなお金持ちのAさんが、誰も見向きもしないような骨董品に大金を出したらどうなるでしょうか。その骨董品にはAさんが担保した価値が付きます。似た骨董品まで人気になって価値が上がるわけですが、Aさん所有の最初の骨董品は誰もが欲しがる憧れの商品になります。Aさんが買った金額より高い値段で譲ってくれと言う人も現れるでしょう。この取引が成立すると、その骨董品の価値は更に上がります。Aさんは価値を創造してしまったのです。

先の例では骨董品という実物がありましたが、金融が発達すると、存在しないものの価値が上がっていくこともあります。例えば、先物買いという、まだ生産されていないものにあらかじめお金を出して買う約束をする金融取引などが発生するのです。豊作の年に安く作物を買っておけば、不作の年には食料の希少性が上がり、高く売れます。うまく予測すれば、食料難の中で高値で売りつけることができるわけです。こんな時に最も大事なものは情報です。作物の出来を予測するには生産地の気候などを知る必要がありますし、取引が行われている現場の値動きをいち早く知ることができれば有利に売り買いができます。そのための工夫が伝書鳩や旗振り通信、腕木通信などです。馬を乗り継いで走るより遥かに速く情報が伝達されます。もちろん、この技術は軍事においても絶大な力となります。

軍隊にとっては、あるいは商業以上に情報に価値があります。チェスや戦略シミュレーションゲームのように敵の動きを俯瞰することはできません。常に不確かな情報から敵の動きを予測し、有利な状況を作っていかなければ戦いに勝ち続けることはできません。諜報は基本であり、国と国は友好国であっても常に腹の探り合いをしなければならないのです。歴史上、誰も戦争を望んでいないのに、よくわからない理由で開戦してしまうことがあるのも、情報のラグや不正確さ、あるいは皮肉にもそれらへの対策の空回りが原因だったりします。そして実際に戦いに赴く兵士たちといえば、基本的に士気が低く、あまりやる気がありません。愛する故郷や家族のために戦いに赴くというのは、無いわけではありませんでしたが国家が近代化してからよく見られる光景です。農村から徴兵され渋々参戦する徴集兵や、生き延びることだけを考える傭兵が多かったことでしょう。常備軍というものは近世以降の財力に余裕のある国の特権で、それが一般化するまでは貴族の私兵と徴集兵、傭兵が戦場で相見えます。兵が命を賭して国家と国家の戦いに赴くという図式は近代的な戦争のあり方です。総力戦などそうそう起こるものではありません。昔の軍隊は貴族の用意した兵の寄せ集めなのですから統率をとるだけでも難題です。大概は軍議こそ行えど、それぞれの貴族の判断で動きます。士気も練度も低い兵隊は一度崩れると簡単に敗走していきました。

さて、駆け足で中世までの人々の暮らしを振り返ってみました。活版印刷によって知識へのアクセスが安価になったり、窒素肥料で食料生産量が増えたり、鉄道によって流通に革命が起きたり、抗生物質が人々の寿命を伸ばしたり、社会契約論によって人権の意識が生まれて法治の概念が変わったりというのはもっと後の時代の話。ここまでの要素に、もしも魔法というものがあったらという考察をしていきます。とはいえ、その2で書いたように魔法のあり方は多種多様です。なのでここからの話は一例でしかありません。

もし魔法で食料生産量を増やせるなら、窒素肥料並の増産が果たせるかもしれません。しかし、潤沢な農産物があったとしても、流通が滞っては必要な所に行き渡りません。多すぎる作物は価格を安くするでしょうが、それは却って農村の収入を減らす結果になりかねません。では流通の強化に魔法が使えるかという話になります。大量の荷物を遠方まで運ぶ魔法はとても効率が悪そうです。それこそ魔導列車のようなものが登場しなければならず、費用対効果が良くなければ普及しません。つまり、食料と人口に関して魔法によるブーストをかけるなら、かなり高度な魔法の一般化か、産業革命の先取りが必要になりそうです。

治水に関しては魔法は大いに力を発揮しそうです。単純に、堤防やダムの工事に掘削や水の操作の魔法が使えそうだからです。都市の建築も同様で、魔法を活用した建材や工法、あるいはもっとファンタジックな方法で高層建築や巨大建造物が実現するかもしれません。しかし、魔法の才能による身分差は現実より過酷な状況を生み出す可能性があります。犯罪の手口も巧妙なものが多くなるでしょう。一方、商売に魔法が与える影響はあまり大きくないかもしれません。契約の遵守や真贋の見極め、情報の伝達には役立ちそうですが、いわゆる収納魔法で誰でも商品を楽々運べるというのでなければ、商売という人の営みは、あまり変わらないでしょう。一方、学問の発展は現実の比ではないかもしれません。魔法を学ぶために識字率も向上しそうです。とはいえ、この辺りは魔法が一握りの人間の秘術なのか、大衆化した技術なのかで大きく変わってくるでしょう。また、魔法の道具というものがあれば、高価で庶民の手には渡らないというのでなければ生活の質の向上は間違いありません。例えば火や電気に頼らない明かりがあるだけでも影響する範囲は大きそうです。

治癒魔法というものがあれば、平均寿命は大幅に伸びるでしょう。ちょっとした切り傷から破傷風で死亡したり、ちょっとした風邪が悪化して死に至るというようなケースが激減しそうです。その代わり、戦争での死者は増えるでしょう。魔法があるだけで、戦争の形は一変します。まずは空が飛べれば上空からの偵察ができます。戦場を俯瞰して見られるようになるのです。当然、敵も空を飛ぶでしょうから観測者を排除するための航空戦が発生します。飛びながら他の魔法も使えるなら、対地攻撃が可能ということ。制空権の奪取が戦いの趨勢を決めるでしょう。通信魔法があれば情報のラグは激減し、射程のある攻撃魔法は銃砲と変わらず、広範囲を破壊できるなら、もうそれは近代戦です。必要は発明の母、戦術戦略の研究によって軍隊は現代のような様相を呈するのではないでしょうか。軍事に引っ張られ、国家のあり方や政治、文化も近代的なものになりそうです。これらは魔法使いが比較的多い場合の想定です。一握りのエリートだけが魔法を使えたり、飛行魔法や通信魔法が無ければ、また話は変わるでしょう。

さて、魔法だけでなく魔物も存在する場合、一気に人類の文明は低いレベルに落ち込みます。一番打撃を受けるのは流通でしょう。護衛なしでは商品を運ぶこともできないのではコスト激増、人口はあまり増えません。魔物に殺される分も勘定するなら、人口による文明へのボーナスは期待できません。何より、魔物の襲撃に備えて軍事費に余力を注ぎ込まざるを得ないので、治水などの大事業は滞り、人間同士で戦争なんてやっている場合ではないでしょう。これらの問題に対して、魔法は一定の解決策になるはずです。しかし、魔法が無ければ人類は絶滅するかもしれません。逆に、流通の脅威を払えるほど魔法に力があるなら絶滅するのは魔物の方です。魔物の脅威に怯えながら、一握りの人間が扱える魔法を頼りに細々と生きるか、魔物を駆逐し超文明を興すか、極端な二択です。丁度いい塩梅は、フィクション特有のご都合主義の産物というのは言いすぎでしょうか。

結論として、都合の良い虚構をある程度以上設けなければ、重苦しいダークファンタジー、もしくは現実世界並かそれ以上に文明の発達したSFになってしまいます。ライトな中世ヨーロッパ風ファンタジーにリアリティを求め過ぎてはいけないのは、こうした理由が背景にあると考えます。プレイヤーや読者にわかりやすくを心がけるなら、多くの人がイメージする異世界テンプレートを利用するのが安全でしょう。

今回はこんなところでしょうか。その7を書くとしたら、また文化面になりそうな気がします。

泉井夏風

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