空の果て、世界の真ん中 2-3
空の果て、世界の真ん中
第2話、約束は遥か遠く3
今回ジーノは物語を編むに当たって
入念な情報収集を行った。
フロンティアから来た者を探しては
片っ端から噂を聞いて回ったのだ。
また、偶然にも古いゴシップ新聞から
右館エンフィールド家の風変わりな嫁
という記事を見つけた。
ローラの祖母が秋津洲出身の
青い花を持つフローレスだと
裏を取ることができたのだ。
コッペリアに育てられた
青い髪の少年が近くに住んでいたと、
そう語る人物も見つけた。
ジーノの熱意の成果か
はたまた運命的な力が働いているのか。
戯曲作家の手にパズルのピースは集まる。
噂の断片をベースにまとめ上げた脚本。
努力の甲斐はあったようだ。
聴衆は神妙な顔をしている。
静まり返った店内を見回すと、
兄に合図を送り、語りを再開する。
美しい月も雲海の彼方に沈み、
朝がやってくる。
各々、仮眠を取ったり休憩をしたり、
交代で船内作業を行うのが空の旅。
全員が活動している午後のタイミングで
その事件は起きた。
「妙だな……」
見張り台のカロンが困惑する。
「さっきまで吹いてた風が止まった?
いや、止まったのは前からの風だけ」
不可思議な事象。
『……なあ、妙だぜ』
伝声管を通じて船内に伝える。
『前からの風が止んでる。
計器に異常はないか?』
操舵室で首をかしげるふたり。
「どうだ、ローラ?」
「うん? 普通に飛んでいるよ。
ボロだとは聞いていたけれど、
しっかり整備もされているようだし」
実際、風速計や速力に問題は無い。
念の為別角度からの目視も試す。
『ラニ君、そっちの窓から
何か見えるかい?』
紅茶の準備をしていたラニが
窓から外を窺う。
『こちらラニ……えーっと
特に見えませ……?
なんか……静かですね』
風が窓を叩く音がしないようだ。
前方からの風が消えるという伝承。
そんなものがあったような、と
ローラは本を読んだ記憶を手繰り寄せる。
「前からの風が無い……
普通に考えればあり得ないけれど、
カロン君の感覚を疑うのも
馬鹿げた話だね」
「野生児だからな、アイツは」
「むしろ、これはあれじゃないかな、
うさこぷたーでも
出たんじゃないかな、ははは」
昨夜のラニとのウサギの会話を
思い出して笑う。
「うさこぷたーか。
……クソ親父から聞いたことはあるが、
冗談だと思って聞き流したアレか。
この広い広い空で、無害すぎる生物が
本当にいるってのか?」
ルージュはあの珍獣のことを
よく知らないらしい。
『あの~?
そのウサギのような名前の
うさこぷたーとは何でしょうか……?』
ラニは相変わらず世間知らずだ。
『ふむ、私の読んだ本、
ジョージ・ボージェスの
空の生き物辞典によると、
最弱でありながら弱肉強食の空で
絶滅することもなく生きる
謎の飛行生物だ』
ローラの言う空の生き物辞典は
かなり古い本だ。
『遭遇は極めて稀、
耳の回転で空を飛ぶウサギという
冗談のような外観の話もあって、
長らく与太話として
誰も信じていなかったという』
ローラは本の内容を思い出そうと
上を向いている。
カロンは見張り台から、
ラニは給湯室の窓から、
ルージュは操舵室の窓から身を乗り出し、
船の前方の一点を見つめている。
『ただ、航空技術が進歩したことで
遭遇する機会も増え、
伝説上の存在ではなく
今では実在が確実視されている』
ローラ以外が見ているのは
ご想像の通り、うさこぷたーだ。
『まぁ、もしも出会えたら
幸運は約束されたようなものさ。
そうそう出ないという話だよ』
確かに遭遇の稀な珍獣だが、
今ではペットにする者もいるほど
それなりに知られている存在だ。
カロンが面白がりながら言う。
『すげえな、アンティークってのは。
大当たりだぜ。前見てみろよ』
『どうしたっていうんだい?』
ルージュにならって窓の外を見て
口をつぐむ。
うさこぷたーは、船の進路上を
こちらを向いてフヨフヨと浮かんでいる。
『な ん だ い あ れ は !』
我が目を疑い、魔法の霊視で
じっくりとよく見る。
目が合った。
何を考えているのかわからない
つぶらな瞳。
なんとも言えない気の抜ける外見に、
思わずもう一度呟く。
「なんだいあれは……」
『自分で言ったんだろ?
うさこぷたーだな!』
軽快なカロンの笑い声。
しばらくこちらを見ていたうさこぷたーは
くるりと向きを変え船から離れていく。
意外と速い。
『うさこぷたーの捕獲に
成功した者はいない!
少なくとも公的な記録には無い!
捕獲すれば歴史に名を残せるぞ!』
ローラは興奮気味にそう言うと、
釣り竿を持って駆け出した。
もちろん、古い本の知識で言っている。
ルージュが大きく息を吸って
大声で号令を発した。
『総員!! 釣竿を持て!!
捕獲だァ!!』
『ダ……ダメですよ! ウサギ王国と
ヴィクトリアシティとの外交問題に!』
ラニは混乱している。
ひとり冷静なカロンは
再び吹き始めた風の様子を探る。
『生き物は専門じゃねえんだが……。
……なるほど、さすが幸運の象徴。
船長!
このままうさこぷたー追ってくれ!
捕まえても捕まえらんなくても、
イイコトがあるのは間違いないぜ!』
『ハッハッハッ!!
了解だ、カロン! しかし!!
捕まえるもんは捕まえんだよー!!
頼んだぞ!!』
紙に血を垂らして紐を作り、
伝声管を通じて見張り台へと
送り込んでいく。
にゅっと出てきた紐に怪訝な顔をする
カロンの目の前で、紐はひとりでに
編まれ網へと形を変えていく。
一方、釣り竿を持って通路を走る
ローラの姿を目撃したラニは
思わず叫んだ。
「こ、国際問題ーーーー!?」
速度を上げ、うさこぷたーを追う船。
追ってきたことに恐れをなしたのか、
あるいは、遊んでいるつもりなのか、
はたまた、何も考えていないのか、
うさこぷたーは速度を上げて逃げていく。
加速するにつれて、風に揺れる旗のように
バタバタとはためくうさこぷたーの胴体。
本当にその飛び方でいいのか。
しばらく後、長いチェイスの末に、
船はうさこぷたーに肉薄する。
「逃がすな! 月からの贈り物だ!」
窓から身を乗り出し、
闇雲に釣り竿を振り回すローラ。
うさこぷたーは船の生み出す乱流に
煽られて右に左に大きく揺れている。
『あと、どれだけ寄せればいい!?』
正気を取り戻したラニに
ルージュが確認の声を上げる。
『あと12秒後に右に進路
行けますか、船長!
速度はそのままで……
目標の動きのパターン、
ようやく見えたんです!』
カウントダウンが始まる。
『了解、ったく……
いい目してやがる』
カウントに合わせて船が動く。
カロンは高速で目前に迫る
うさこぷたーに向けて網を構えた。
カウントゼロ。
うさこぷたーはカロンの目の前。
網を打ち、勢いを殺してから、
見事、旋回する耳を掴み取った。
思ったより軽い身体がじたじたと
暴れるのを難なく抑え込み、叫ぶ。
『獲ったどーーーーー!!!』
『おめでとうございますーーー!!』
『よくやったァ!!』
『素晴らしい! 生物学史に新たな
ページを書き加えさせてやるぞ!
我々がだ!』
勝鬨を上げる面々。
諦めたのか、何も考えていないのか、
うさこぷたーはつぶらな瞳で
カロンを見る。
すっかりおとなしくなって
カロンに抱えられたままだ。
なお、うさこぷたーを追っている間に
船が追い風に乗っていたことに
ルージュは気付いた。
「…なるほど?」
『いいことってのは、
そーゆうことか、カロン?』
『お、気付いた?
浮遊生物ってくらいだ。
風には敏感だろうからな。
大回りだろうが航路の案内には
もってこいってわけだ』
カロンの小さな体からすると
うさこぷたーはそこそこ大きい。
大きなぬいぐるみを抱いた
無邪気な少女のように
見えないこともない。
『船長!』
ラニの声が響く。
『料理当番として進言するであります!
料理で余った野菜くずをあげれば、
飼えるのではないでしょうか……!?』
『……なるほどな?』
幸運の象徴を船内に置いておくのは
良い考えだとルージュは思い、
許可すると言おうとしたその時。
『は? 何言ってんだ、
捌くに決まってるだろ。
新鮮な肉だぞ』
嬉しそうなカロンの声が
伝声管を通じて船内に響く。
『カロンさん信じられないですよ!
うさこぷたー、
あんなに可愛い顔してるのに!!』
『可愛けりゃ喰っちゃいけないってのは
道理がおかしいんじゃねえの?
可愛くなけりゃ喰っていいワケ?』
やり取りにローラが乱入する。
『待ってくれ、捌くのなら、
剝製と骨格標本が作れるよう
慎重に頼むよ。
あと、詳細な解剖もだ』
『おっけ!
きれいにさばいてやるよ!』
秋津刀を鞘から抜いた音が
聞こえた気がする。
『ローラさんまでぇ!!』
『味も気になるところだね。
もしかしたら、人類で最初に
うさこぷたーを食した者に
なれるかもしれない』
ルージュの焦りに満ちた声が響く。
『ラニ!! 命名しろ!!
愛着を持たせろ!!
この鬼人めらに!!』
『考えます、考えますから
待って二人ともーーー!!』
その後、結局カロンは非常食
ということで手を打った。
ローラも生きた標本の方が
価値があると納得したようだ。
2本の耳を束ねて回転させる
うさこぷたーは、フヨフヨと
気ままに船内をあちこち移動する。
なお、ラニがすぐに名前を
思い付けずにいると、
カロンがいい笑顔でこう呼びかけた。
「よろしくな、シチュー!」
慌ただしい出港から数日。
そろそろ見慣れてきた
アルバトロス級の操舵室。
ルージュが舵輪を握り、
ローラが計器を見ている。
風向きも機関の調子も順調。
グラフトの速度を考えると
追い付くまでもう少しだろう。
どうでもいい雑談をしてみたり、
伝声管を開いてカロンやラニに
話しかけたり、
これまで通りのいつもの航行。
そんな中、不意にルージュが
振り向きもせずに
真面目な調子で口を開いた。
「……ローラ。
聞きたいことがある」
「うん?」
「昔の話……じゃぁないんだが……。
話したくなかったら別にいい」
そう言うルージュこそ
話しにくそうな口ぶりだ。
「空軍のエース。
ローラ、お前は会ったことがある。
……そうだな?」
「“血染め”のかい?
同じ空間にいたことは
あると思うけれど、
会話したことはないね。
たしか……うーん、
ウォールデン家の……ああ、そうだ、
クローディアだったかな、名前は」
「そうだ、そんな名前だったな」
ルージュの眉間にしわが寄る。
「会話したことはないのか。
……そうか」
言葉のキャッチボールは続かず、
これでおしまい、という雰囲気。
しかし、ローラが別の質問をする。
「そういえば、
船長はどこの血脈なんだい?
ほら、ウォールデンも
うちと一緒でかなり古い家系の
アンティークだ」
ルージュが振り返る。
「まぁ、言いたくないから
黙っているのだとは思うけれどね、
同じアンティークのよしみだ、
何か思う所があるなら聞くよ」
そう言ってローラも計器類から
視線を外してルージュの方を見る。
ルージュの表情にローラは少し驚いた。
「……ちょっと待て。
……今なんて言ったんだ?
ウォールデンが……
アンティーク……だと?」
「おや? 知らなかったのかい?
“血染め”の二つ名はそういうことだと
勝手に思っていたのだけれど」
これはルージュがしょっちゅう
血をだらだらと流していることを
からかう意図もある言葉
だったのかもしれない。
「……由来はそうじゃぁない。
相当キレるヤツだったらしいからな」
断言され、ローラは
おや、と思っただろう。
「賊の……飛空艇を落としに落として、
轟沈させた船の機械油、
それが返り血のように
びっしゃりと付いた。
そこからさ。物騒な二つ名は」
武勇伝は人の口を経る毎に変容する。
“血染め”の本来は血ではなかった。
そういうことらしい。
「さしづめ……。
死神……といった所か」
「なんだ、私より詳しいじゃないか。
会ったことがあるかと聞いてみたり……
もしかして船長こそ知り合いかい?」
ローラの知る“血染め”のクローディアは
アンティークの名門ウォールデン家から
空軍に入りエースとなった変わり者。
ルージュの知る“血染め”のウォールデンは
数多の空賊を雲海に沈めた
死神のような軍人。
どうやらイメージに乖離があるらしい。
「……知り合いではないさ」
ローラから視線を外し、
操舵輪をほんのり強く握る。
「……この手で」
そして、窓の外、空を見た。
「ぶっ殺す予定だった……
というだけだ」
「はは、それは物騒な話だね。
空軍のエースに
そんな強い因縁が……ね。
それで? 色々巻き込まないために、
まだ詳しくは教えてくれない
ということでいいかな?」
初代グラフトの残骸の傍で言っていた
巻き込まないためという言葉。
ルージュのまとっていた
張り詰めた空気が和らぐ。
「……すまない。
久々に聞いたんだ、その名を。
頭に血がのぼるってこうゆう事か。
あたしたちは基本的にいつでも
貧血気味だからな……」
アンティークジョークだ。
ルージュが自嘲気味に微笑んだ。
「……助かる、ローラ。
……いずれ、話すさ」
視線は空に向いたままだ。
「まぁ、我々の旅に無関係なら
無理に話す必要はないとも」
ローラも再び計器に向き直る。
「それとは別に、
相談したいことがあるのなら、
いつでも聞く用意はあるけれどね。
船長は思ったより
抱え込む性質のようだから、
誰かに相談するのも、
ひとつの正解だと思うよ」
はぁ、と小さく息を吐くルージュ。
わざとらしく声を出して笑った。
「分かりやすい方が、
支え甲斐もあるってもんだよな?」
抱え込んでいるものを
見透かされている気がして言った。
そして――
「……その時は、頼んだよ」
「……ああ、もちろんだとも」
お互いすべてをさらけ出す仲ではない。
だが、信頼はしている。
「さて、今日は気流が安定している。
飛ばすぞ?」
「グラフトの速度を考えると、
あと少しで追いつくかもしれないね。
しっかり視ておこう」
広い広い空の上で、本来であれば
点と点の船同士が遭遇するのは難しい。
それでも航路さえ読み違えていなければ
見逃すことはないだろう。
天性の勘を持つカロンの見張り、
ラニの奇妙なほどに良い目、
ローラの得意な魔法の霊視。
目には事欠かない。