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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」53


第十一章 大宰府



 
一、
 
宝満山(ほうまんざん)に有智山城(うちやまじょう)を視察に来ている武光(四一)だった。同行しているのは城隆顕で、頼尚の三男少弐頼澄(しょうによりすみ)が城を案内している。頼澄は少弐一族だが、父に反発し、徹底的に南朝側を支持しており、早くから征西府の立場で行動している。征西府の政務も饗庭道哲と共に担っている。
古代より神が降り立つ山といわれた宝満山は霊山として崇められてきたが、その中腹にある竈門(かまど)神社は大宰府政庁の鬼門を守ってきた。
その竈門神社をさらに登った先に有智山城はある。
かつて少弐氏の本城として機能したもので、宰府守護所(さいふしゅごしょ)の詰めの城とされた。昔、少弐貞経がこもった時に菊池武敏らに攻められているが、今は少弐頼尚(しょうによりひさ)を追った菊池一族の支配となり、少弐頼澄が守っている。征西府の太宰府防衛の重要拠点の一つだった。
額に包帯を巻いた武光が浮かぬ顔でぼそりという。
「征西府の館が攻められればここに籠もるしかなかじゃが、抜け道を用意せねばならぬな、敵勢を前面に引き付けておくうちに、間道伝いに菊池へ逃げられれば便利がよか」
「早速建設にかかり申そう」
少弐頼澄がきびきびと受け答えをした。
「そいもよかじゃが、棟梁、逃げ道より、まずは攻める手立ての工夫ではなかかな?」
「分かっておる、じゃが敵対勢力の討伐は武政が中心になって進んでおる、おいたち年寄りは総合して判断せんばならぬ、猪働(いのししばたら)きだけが武家の本分ではなか」
城隆顕は武光の鬱屈が気になっている。かつて猪突猛進が身上だった武光が、この頃妙に沈みがちな気がした。武光の強引なまでの攻撃力こそが征西府をここまで前進させてきた。だが、太宰府での六年間、なべて征西府は順調であり、その分皆に油断があったが、武光一人は思い悩むことが多くなっている気がしている。一つには東征の道筋に思い悩んでいる為だったろう。武光は現在の征西府の実力では、東征をやり負わせることは難しいと感じているのだ。さらに一つは、親王との指向性の割れが因しているのかもしれない。
武光は懐良親王とぎくしゃくしている。東征を焦る親王と武光は足並みを乱している。
亀裂といっていいほころびだった。しかし、そこには余人は入れない。
武光と懐良の間には特別な絆があり、だからこそ二人の亀裂は深刻といえた。
その亀裂が決体的なものにならぬよう祈りはするが、城隆顕であれ誰であれ、彼らの間に入って仲を取り持つなど、ありえない話とは見切っていた。
武光の気鬱の原因のもう一つは武政との間の齟齬(そご)だ。
武政はやはり武光に不満を抱いており、自分自身で菊池であれ、征西府であれ、指揮を執りたがっている。武安がそれに同調し、しきりに配下の武将たちを取りまとめようと画策している節がある。この有智山城を守る少弐頼澄も世代的な共感からか、武政たちに同調しつつあると、城隆顕は見ている。武光は問題にもしていないが、この事態は派閥争いにまで発展していけば、内部からの崩れの原因にもなりえる。
城隆顕には気がかりな状況だった。
「武光様、博多の港に」
弥兵衛が息を切らしながら登ってきた。
高麗の国から使者が到着したとの報がもたらされた。
 
政庁に駆け付けた武光や城隆顕、武政や武安、饗庭道哲(あえばどうてつ)など首脳部がそろって、親王の御前で会議がもたれている。
高麗側は足利一族の室町幕府に倭寇(わこう)取り締まりの実力はないとみて、征西府を交渉相手に選んで、先年来決死の使いを立てて博多へ押し渡ってきていた。
この頃の倭寇は前期倭寇(ぜんきわこう)と呼ばれ、壱岐、対馬、五島の島々の海賊衆に松浦党武士団が加わって、日に日に活動の輪を広げていたころだ。
日本側としては菊池一族がしたように、各豪族たちが資金源を求めて介入もし、より複雑な情勢を醸し出している。事実征西府にとっては最大の資金源であった。
一方、元や高麗では船を沈められて海運業が衰退し、村々が焼かれて人をさらわれ、国を揺るがす重大問題となっていた。倭寇の取り締まり、貿易の正常化、さらわれた捕虜の開放が高麗側の要求内容だった。高麗側はその代償のつもりか、海賊行為中に捕らえられた抑留日本人を多数連れてきて返還している。だが、なかなか返答を出さない征西府に対し、相手は居丈高になって、結果をせっついており、要求を入れないならば高麗側は軍勢を出すとの強気の姿勢を見せていた。高麗の使者の態度に激怒した懐良が口走る。
「使者を惨殺せよ、それが征西府の返事じゃ」
高麗の使者はいにしえの鴻臚館(こうろかん)をまねた博多の征西府迎賓館に滞在させてある。殺すのは簡単だ。
饗庭道哲がおろおろして困り果てている。
「お待ちくださいませ、何しろ、相手は必死でござります、それだけ高麗の国が追い詰められている証し、あまりな扱いをいたせば、どうはね返るか」
恐れながらと膝で進み出て、武光が言う。
「左様、早まってはなりませぬ、物事には害もあれば利もありまする、見極めねば」
高麗がなぜ京ではなく九州に国交を求めたのかと言えば、東シナ海の制海力を持つ征西府を懐柔したいからに他ならず、その状況こそ見逃してはならないと睨んでいる武光だった。
「…潮時かもしれませぬな」
武光は自ら開発した海賊行為による資金源だが、そろそろその時期を脱して正攻法の貿易や外交を確立すべきではないかと考え始めていた。
「我が征西府をより正統的な立場において、高麗や元との付き合いを考えるべき時期にきておるのではなかでしょうか」
武光にはおぼろげながら「九州王朝」開朝への布石、ということが頭にあった。
そのため高麗側との合意を考慮すべきと考えるが、親王は受け付けない。
「倭寇は海の民のなりわいじゃ、我が征西府の懐は彼らあってのものではないか!」
「宮様、御短慮は禁物です、表向きばかりの取り締まりという方法もござりまする」
饗庭道哲が平伏しながら進言した。
だが、懐良の態度はかたくなだ。
「高麗なぞ、信用できるものか」
抑留日本人を返してきたとはいえ、日本侵攻の意図を隠していると親王は言う。
「我らを侮り、口先一つであしらい、畢竟(ひっきょう)裏切って国を蹂躙(じゅうりん)するのじゃ、元寇(げんこう)の故事を思うがよい!」
いえ、と遮り、武光は利用できる、と返した。
「視野を広げてお考えくだされ、交渉次第では国交を持ち、海賊行為は控えさせるとしても、正規な交易を盛大にすれば、それで得る富と武力は今よりはるかに強大になり申そう、その上で京の北朝を圧倒すべきかと勘考いたしまする、宮様」
「異国を信用はせぬ!」
一言のもとに却下してしまう親王はさっと席を立った。
取りつく島のない親王の態度に、残された者たちは暗澹たる思いだった。
武光は親王の焦りをもてあましている。
そんな武光の顔を武政や武安が冷たく見ている。
「…宮様には九州が見えておられぬ、京のことばかり、視野がせまか」
「武政、口を慎め」
「東征にどれだけの犠牲が強いられるか、宮様はめしいておらるる!」
「やめんか!」
武光が睨み付けた。
若手たちには懐良親王に対する武光の遠慮が歯がゆい。
武政たちは若さの特権としての傲慢さで、征西府をここまで推し進めてきたのは自分たち菊池一族である、という自負と自信を固めつつある。
むろんその推進力の大本が武光であるとは認識しているが、その事実をさておいてこれからの自分たちの勢いこそが時勢を制する、と思っている。
親王を抑え込むべし、征西府は我らの思惑にてとりまわすべし、との気概が突き上げてきている。それを理解しない武光にもいら立ちをつのらせていく。
 
やえを共にして御殿を抜け出した親王は博多唐人街、唐房(とうぼう)に紛れ込んだ。
異国語が飛び交い、怪しげな建物が立ち並んで、女たちが客を引く。
いたるところで異国の賭博が開帳され、酔っぱらったもののけんかが絶えず、けたたましい。博多、唐房は闇が跋扈(ばっこ)する魑魅魍魎(ちみもうりょう)の巣窟だ。
大和王朝の時代から元寇に至るまで、あらゆる歴史的風雨にさらされつつ、かつて鴻臚館(こうろかん)という迎賓館が開かれ、海商豪商を輩出し、外国からの訪問者でにぎわった。
そこには自由闊達な商売が成立し、陰では海賊行為などを行う海の民人も出入りして怪しげな遊郭街がはびこり、自由を謳歌しつつ今日に至っている。あらゆる光りと闇が同居するあやかしの街でもあった。
そんな唐房のなじみの店で、親衛隊の護衛さえ退け、やえだけをお伴に酒に溺れる、それが最近の懐良の唯一の憂さ晴らしだった。近頃の懐良は九州へ入りたての頃のように孤独を強く感じるようになっていた。武光を心から信頼してはいたが、最後のところで隔たりがある気がして、余計いらだちをぶつけてしまう。それは一種の甘えかもしれなかったが、懐良はいらだちをコントロールできない。武光への不満を口にしながら泥酔することが多かった。そんな懐良にひたすら酌をしながら、やえは一言一言、懐良の言葉を胸に含んでいった。親王の前でやえは女ではなく、神に使えるしもべだった。
「失礼申し上げまする」
親王がやえを相手に飲んでいる一室に、突然、明美が伺候した。
高瀬の日以来、征西府を介した公式な場所では何度か出会ってはいるが、その時も明美は特別な態度を見せず、明美は自分たちの秘め事を記憶もしていないのではないかと懐良は疑った。今、女丈夫としての貫禄さえ見せながらなお美しく、明美は笑顔を見せている。
「先ほどお姿をお見掛けし、ご挨拶に上がりました、よろしいですか?」
親王が許諾すると、明美は十六、七に見える若者を伴って入ってきた。
「海に生きる若いものをご紹介しまっしょう、これなるものは高麗でアキバツと呼ばれおりまする、海賊の頭目でござります」
アキバツ(一七)がにっこり笑って頭を下げた。
「海賊の頭目じゃと?…まだ子供ではないか」
少年は笑って答えず、明美が言葉を継いだ。
「アキバツとは、高麗語で阿只抜都(明美は卓にぬらした指で字を書いた)と書いてアキバツ、少年暴徒という意味でございますが、このものは高麗人の付けたその呼び名が気に入って、いつのまにやら自分でアキバツを名乗り始めたのでござります」
「少年暴徒か、それほど荒らしまわったということなのじゃな」
やえもこの涼しげな若者が海賊の親玉とは信じられず、じっと見つめている。
明美がさらに酒や肴を注文し、彼らはしたたかに酔いを味わった。
明美はしばしばこの唐房に遊び、世界を肌で感じて楽しむのだという。ここで明美のその楽しみを邪魔するものはいない。このあやかしの街で、宗明美は一大顔役であった。
「博多に並ぶものなき宋長者様が異界の唐房で海賊の頭目殿と酒を楽しむ、よほどの楽しみなのじゃろうな、その頭目殿を、お前は今宵…」
邪推の裏には嫉妬があり、それを察して明美が笑い声を立てた。
「はい、このものと酒を酌み交わすこと、確かにこれ以上なき楽しみでござりましてな、これはわたくしの息子でございます」
なに、と懐良が驚いて見やる。
「鏡でたまにはご自分を見ておられまするか?…似てはおりませぬか、あなた様に」
不意打ちだった。
「…歳は?…もしや、お前」
懐良は衝撃を受けた。
「今宵は不思議な偶然でござりました、久しぶりに息子と逢瀬を楽しんだ夜、よりによってあなた様とも出会おうとは、これもえにし、お引き合わせしたくなったのでござります」
胸を打たれた懐良はまじまじとアキバツの顔を見入った。
「お前が、お前が私の」
アキバツは照れているのか、かすかに笑顔を浮かべながら、酒を口に運んでいる。
それをいとしくてたまらぬように見やりながら、明美が言葉を継ぐ。
「こん子はこげなこまか頃から型にはまらぬ子で」
船に乗りたがり、水夫となじみ、潮目を読む道を知りたがった、という。
十歳になるや家出をして壱岐島に渡り、海の衆と生活を共にし、漁を覚え、海賊仕事も覚えてしまった。宗家のものがやっと見つけ出したが、連れ戻しても何度も家出をして壱岐島の漁師どもの家を転々として逃れようとするので、明美もついに折れたという。
今ではこの年で松浦や壱岐の海賊軍団を引き連れ、近海どころか高麗や東南アジアまでも海賊遠征に出かけ、高麗ではその存在を恐れられてアキバツとあだ名されているのだという。そんな明美の言葉を聞きながらも、アキバツは平然と酒を飲み、肴を口に運ぶ。
「…なぜじゃ?」
唖然となった親王、そこまで激しい生き方を我が子がするという事実を受け止めかねた。
「私には思いもかけぬ生き様じゃ、…宋長者の家に生まれながら、なぜ、そんな」
そういう生命力を持ち、そういう生き方が好きだった、というだけのことにすぎまいが、初めから重いしがらみに縛られて生きてきた懐良には、その心象風景は想像もできなかった。明美は私だって、と笑う。
「この子は誰にも理解できませぬ、今はそれでよいと、私にも思い切りが付きました、この子は生きようとも死のうとも、己自身で己が分かっておらずとも、我ら大人が何を期待しようともせずとも、思うがままに生きるつもりなのです、…命はそれを生きるもののもの、…生きてみなければ人生は分かりませぬ、誰がとやかく言う必要もないのでしょう」
常識的な感覚ではアキバツは捕らえきれない、とだけは認識して、今ではその行き着く先を楽しみにさえしている風な明美。
黙り込んだ親王の胸には複雑な感慨が渦巻いたが、その自分の想いさえ親王は持て余した。じっとアキバツの顔を見つめて言葉がない。
すると、突然アキバツが盃を置いた。
「風が出た、…母じゃ、行く」
「え?」
窓から博多の津は見えているが、風までは感じ取れない。
明美が驚くが、アキバツは親王に向かい深々と頭を下げた。
「母から聞かされておりました、父という人にお会いできてよかったです、…私は海を楽しんでおります、私のわがままを許してくれる母に感謝しております、…たぶん、あなたも私を縛ろうとはなされますまい、…ご縁があれば再びお会いすることもあるやもしれませぬ、それまで、お達者で」
とアキバツは風のように去った。
親王と明美、やえはしばらく言葉もなく取り残されていた。
呆然となっていたが、やっと懐良が口を開いた。
「…良いのか、明美、本当にあれを海賊のままにしておいて、…あれは、あれは世が世なれば…」
親王はアキバツが皇室の血を引くのに哀れだと思った。親王はアキバツの海賊軍団に資金提供をし、国内での保護を約束する、といった。
「征西府の正式な海軍衆として雇い入れよう、正式な地位、位階をやろう、だから明美、あの子を呼び戻せ、このまま高麗へなぞいかせては危ない」
「できませぬ」
「なぜじゃ!?」
「何度言い合いをし、何度策を弄しましたことか、…あの子は誰にも捕まえられませぬ、あなたの御身分をしても、あの子は抑え込めませぬよ、…これでよいのです」
盃を口に運ぶ明美の目じりに涙が光った。
「簡単に組織なぞに組み込まれる子ではありまっせぬ」
懐良はなぜ明美が身ごもったことを自分に告げなかったのかと詰(なじ)りたかった。
だが、この母子は懐良にそんな問いを許さない。母のその断固たる独立自尊の心を継承したからこそ、アキバツは母の想いを踏み越えて独立自尊の道を行くのだろう。
ただただ、懐良は圧倒されていた。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
  
〇宗明美(あそうあけみ)
対馬宗一族の別れで海商となり博多の豪商長者となった宗家の跡継ぎ。
奔放な性格で懐良親王と愛し合い、子供を産む。
表向きの海外貿易、裏面の海賊行為で武光に協力する。
 
〇アキバツ
明美と親王の息子。豪商の跡継ぎでありながら海を愛し、壱岐海賊に身を投じて暴れまわり、ついには一七歳で朝鮮軍隊に殺されてしまう。

〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。
 
〇饗庭道哲(あえばどうてつ)
征西府の官僚。
 
〇やえ
流人から野伏せりになった一家の娘。大保原の戦いに巻き込まれ、懐良親王を救ったことから従者に取り上げられ、一身に親王を信奉、その度が過ぎて親王と武光の葛藤を見て勘違いし、武光を狙う。
 
〇少弐頼澄(しょうによりすみ)
征西府高官



 
 

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