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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」55


第十一章    太宰府


三、
 
大宰府征西府御殿内大広間において懐良が突然命じた軍議が開かれた。
急遽太宰府へ登った島津他の主力豪族たちが列席している。
さらに九州武士段以外にも、忽那義範(くつなよしのり)、河野通直(こうのみちなお)、村上義弘(むらかみよしひろ)の海賊大将たちも列座している。
忽那義範は西下した懐良親王を助け参らせ、自領に匿って庇護した時から南朝に誠を尽くしてきた忽那水軍の総裁だ。親王を薩摩に送り届けた時も、後に肥後宇土の津までお送りした時も忽那水軍が動いた。薩摩では島津をけん制し、北九州まで船団を出して常に懐良親王の動きをカバーしてきた。
村上義弘は南朝の為に三度の合戦で子息郎党に多くの犠牲を出しながら、忽那とも良く連動し、常に南朝のために戦ってきた。
二人ともその勇名は武光以上に全国に轟いている。
武光や菊池の將たちは内容を聞かされておらず、何事かと参集した。
親王は上段の御簾(みす)の陰に座してみなを睥睨した。
「皆のものに東征を申し渡す」
武光は驚いた。
「準備を急ぐように、その時期は準備が整い次第ただちにじゃ」
「おまちくだされ」
「武光、もはや議論の余地はない」
息子の死に衝撃を受け、懐良は鉄のごとき決意を固めていた。
「御意のままに、この日を待ち焦がれておりました」
村上義弘や忽那義範は即答した。海路東征を行うことは、彼ら海賊衆の働きどころだ。
明美もその場に列席している。
「宗の船も供出いたしましょう、外国航路の船は収容人数が桁違いでございますゆえ」
明美もどこか殺伐としている。息子の死の衝撃から好戦的になっているようだ。
どうやら海賊衆や明美には事前の相談が行っているようだ。
親王の手回しに驚く武光。何も告げられていなかった。秘密にされた、との衝撃を受けていた。中院義定は列席者たちから一段退いて座り、瞑目して腕組みをし、黙して語らない。
武光は初めて親王の想いと自分との亀裂を突き付けられた。
焦りにも似た感情に支配され、武光が言葉を急いだ。
「おそれながら、九州武士団の統合がなく足元が固まらぬ上での東上はかえって征西府の足元をすくわれ申す、資金の問題もあり申す、今一度ご勘考下されたく」
東征の準備などまだできてはいない、海賊どもは海戦や搬送に自信があろうが、それだけでは無理だ。仮に海を押し渡れたとしても、京を攻め取り、奪還を防いで中央への支配体制を確立することは生易しいことではない、と抗弁した。
「お前のその弱気な言葉は聞き飽きたのじゃ!」
懐良がいら立って武光の言葉を遮った。
「いくさを仕掛ける以上、勝算がなければなりませぬばいた、敵の懐に飛び込むことは蛮勇、我の有利な条件に誘い込みしかるのちに勝てるいくさを勝つことこそ軍略でござる」
という武光だが、村上義弘が強弁する。
「決着つくべし!いつまで煮え切らぬ情勢を続けるべきや」
武光が村上義弘へも対応する。
「その煮え切らぬ情勢を使うべきと存ずる、その間にこそ我らは成長し申す、高麗や元との国交により、経済力をつけ、諸外国の支援も得るべき、それにはまずもってこの九州へ後小松帝に遷座頂き、この大宰府に南朝の拠点を確立すべきなのです!」
遷座(せんざ)という言葉が一座の皆を驚かせた。
「しかるのち、征西府を独立王朝となし、博多を擁する九州大宰府を日本の首都となすのです、九州王朝の樹立ですばい」
「九州王朝!?」
武光のビジョンに息を飲む諸将たちが、唖然となる。
「それはいったい?」
「東征、その上北朝勢を破って京を支配運営するなぞ、できるともできぬともしれぬいくさに何万の命を駆けさせることは、牧の宮様、覇者の道ではありませぬぞ!」
言ってはっとなった武光。大智禅師の言葉を思わず借用していた。
「人は悲しい、…いくさで殺されるもの、殺すもの、皆哀しい、楽しく暮らしても病に倒される、…その悲しみに寄り添う、その悲しい人々を慈しみ、抱きしめる、…それが仏者の道、棟梁の道、いや、…覇者の道もそうではござらぬか?」
あの日、大智禅師はそういった。
懐良が、歯ぎしりして睨み付けた。武光がさらに言う。
「お考えくだされ、今の我らの実力では勝算が立ち申さぬ、お分かりでしょう」
「いや、分からぬ、武光ともあろうものが、なぜそんな弱気の虫に取り付かれるのじゃ!?」
「弱気の虫ではござらぬ」
「いや弱気の虫じゃ、臆病風じゃ!後小松帝の遷座も、新王朝も認められぬ!」
菊池の武将たちが、むっと気色ばんで親王を睨みつけた。
公の場で初めてにして究極的な親王と菊池家棟梁の意見対立だった。
座には南朝分裂の緊張感が一気にみなぎった。
「不敬は重々承知、なれど、武光、信ずる点を申し述べずにはおれませぬ」
「黙れ!」
人は己の世界観に縛られているという事実が二人の意思を分けたのかもしれない。
親王は都に出自を持つ貴種だ。
武光は菊池家当主が豊田の在の女に産ませた子であり、彼は肥後の地しか知らず育ち、九州については熟知している。おのれの基盤に基づいて世界を構築しようとするのは人の当たり前の姿だ。武光も親王も同じ。突き詰めれば人は自分のアイデンテティのありように沿って人生観を作り上げる。
いかに友情に結ばれようと、いかに同盟意識があろうと、人生の選択において究極するところ人は己の核心に左右される。そこに枝葉の理屈が付いて回るのではなかろうか。
「おいの最大の懸念は九州武士団の結束の弱さでござる」
九州内部においては勢い上征西府にほとんどの豪族たちは恭順の姿勢を取っている。だが、それはあくまで九州内部の現在の勢いを見ての態度だ。本州北朝との攻防戦の中で不利となれば、彼らは態度を翻す。
九州武士団の意識は低い。それぞれが自分たちの領地の安堵、保全、拡大を志向しているにすぎない。それが最優先でしかるのちに南朝に与しているにすぎない。
「皇統統一を成功させるためには九州武士団に彼らの個人的欲望以上の命題を与え、それに対して強烈な具体的目的意識を持たせなければなりもうさぬ、今はまだそれがないため、結束が不十分、それが「九州王朝」によって果たせるのでござる!」
精神的最高権威である皇室を頂き、そのもとに盤石の政府を開いて完全な独立国を標榜する。背景に持つべきなのは博多を中心とした国際通商でおおいに経済を興隆させること。
世界を相手に経済をもって利益を誘導できればさしもの九州豪族たちも「九州王朝」の元での未来を夢見ることができるようになるだろう。
「諸外国との国交で国力を増大させ、軍事力をも格段に増強できもうす、そうなればそれは強大な一大勢力となりまっしょう、それだけの構想を実現すれば、世はおのずと「九州王朝」になびき申す、水が上から下に流れるように北朝は衰え、南朝が栄えもうす!無理ないくさは必要なく、犠牲となるものも最小限に抑えられ申そう、しかる後に落ちてくる果実を受け取る如くに政権を受ければよかです」
語りながら、武光は漠としていたイメージが固まっていくことを実感していた。
自分が目指すべき人生のテーマはこれの実現なのだな、とも感じ始めていた。
幼い頃からのはち切れんばかりの生命力、いくさ場での突撃力、経済に対する直観力、人々をまとめ目標を与え指導していく力、そのすべてを結集して実現すべきビジョンがこれだと思った。「九州王朝」。これをなすために俺は生まれてきたのだ、と思った。
武将たちは打たれて言葉を失う。
島津他の諸将たちは意見は控えたが、武光の示したビジョンに対して大いに興味をひかれ、身を乗り出して聞いている。新たな機運が生まれようとする空気が場にみなぎった。
諸将たちは武光の意見が盛り上がっていくことを期待して待つ。
だが、一人だけ説得しきれない人物がいた。
牧の宮懐良親王その人だった。
理では負けた、と親王は感じた。武光の言うことが正しいと。
だが、懐良のアイデンテティは武光の理を拒絶した。
後醍醐帝のご無念を晴らしたまわれよ、と五条頼元に吹き込まれて育ち、本来京におわすべきお方と言われた。よく憶えてもいない京の都にいるべき宮様ですと刷り込まれた。
生き別れになった母に会える場所は京であると思い詰めてきた。
南朝の最後の頼みの綱、希望の星であるという一点を自分の背骨として姿勢を正し、今日まで気持ちを張り詰めてきた。九州の荒くれ軍団を率いていくさに明け暮れた。
多くの傷を負い、片腕はまともに動かなくなってしまった。
それが懐良の人生だった。京へ凱旋することこそが結末であり、それ以外はあり得ない。
懐良の悲しみに満ちた言葉が武光を追う。
「宮家のいます地は京じゃ、武光、九州王朝なぞありえぬ、…東征だ、武光、なぜ分かってくれないのだ⁉」
涙まで浮かべて武光に訴える親王の表情を見て、武光はひるんだ。
「父、後醍醐帝の為ではない、中央における皇統統一はわが責務である!」
親王が苛立ちをこらえて厳しく断じた。
「後小松帝の意をわしは受けておる、勅命である!」
親王は皇室の権威を持って武光に対した。武光は硬直した。
長い無言の時間が流れた。
居合わせた人々は息をのんで武光の返事を待った。
目まぐるしい思いが武光の中で渦巻いた。
菊池は引く、という切り札を、武光は思い浮かべる。
それを言えば東征はやむ。武光の思惑通りとなる。征西府の中心勢力はあくまで菊池だ。
菊池の武力あってこそ、九州の諸豪族は征西府に臣従している。菊池が従えぬといえば征西府は瓦解し、海賊衆も引こう、懐良は裸の王様と化してしまう。
そしてそれは親王自身にも痛いほど分かっていることだ。
だから必死で武光を睨みつけている。
懐良は怒りと焦りと恐れでぎりぎりいっぱいなのだ。
武光は懐良の辛さが胸に刺さった。武光は辛うじて自分を抑える。
それだけは口にしてはならぬことだと。
しかし、その時、武光の対応をじれったいと見た武政が言いかける。
「恐れながら、宮様、宮様があくまでたった今の東征を、とお命じになられるならば、我ら菊池の一党は」
「黙れ、武政!…ぬしに発言を許した覚えはなか!」
武光が怒鳴りつけ、菊池の若手総員が強張って武光を睨み付けた。
武光と懐良に敵意を燃やして反逆寸前である。
そしてついに武光は懐良に対し、両手をついて、おのれの意見を引いた。
「…承知仕りました、…仰せの通りに」
武政たちが愕然となった。
その瞬間、武光はすべてを投げ出して親王を取ったのかもしれない。
武光が引いたのは皇室に対しての卑屈さからではない。
初めて宇土の津でまみえて以来、武光はこの美しい人に圧倒されてきていた。
はかなげでありながら上品、守って差し上げねばならぬという感情的な思い込み。
ともかく、武光は懐良を言説の上であれ、叩き伏せるということができなかったのだ。
懐良がそこまで京へ上りたいなら、かなえて差し上げたいと思った。
引き換えにすべてを失うことを、武光は感じ取っていただろう。
恵良惟澄が予言したことがあった。
「おまんの純情はあぶなか、自分で作り上げた虚像に準じて命を投げ出しかねん、…それだけはよせ、十郎、…わしらは田舎土豪、何をどう選択するにせよ、ここで生き抜いてうまい酒を食らえばよいのではないか?」
スケールの大きい武光だが、この純情が身を亡ぼすのでは、と惟澄は危惧したが、それは当たっていたのかもしれない。ここで武光が引いたことが征西府の運命を決定づけたのだった。「九州王朝」の夢はついえ去った。
万座の人々は複雑な思いでこの結果に相対した。
島津他の諸侯たちははっきりと征西府の弱点を見て取った。
征西府は意外にもろい!
危ういバランスはいつ崩れぬとも限らない!
その空気を武政たちは敏感に感じ取っていた。
武政たち若手は煮えくり返る思いで、武光を憎んだ。
中院義定(なかのいんよしさだ)ががくりと崩れかけた。
寝ぼけまなこの顔を見れば、明らかに居眠りしていたのだった。
 
会議の行われた広間を出て政務室に集まった菊池の面々だった。
親王の暴走に菊池の武将たちは憤った。
「こげなやりくちがあるか!勝手に諸侯を招集されるなぞ」
「牧の宮様は我らを差し置き、我が菊池に唾を吐きかけられたのじゃ!」
武政や武安、菊池の将たちだけでなく、饗庭道哲や少弐頼澄までが荒れた。
「武政さま、力づくでおとどめ申そう、ことと次第では!」
「おう、牧の宮様を軟禁してでも!」
武光と城隆顕が重い気分で入ってきて座った。
それへ武政が迫る。
「親父様、なぜ引かれた!?九州王朝を打ち立て、親王様に帝になって頂く、その一点で親王さまを従わせるべきであった、九州武士団各諸侯も、海賊衆も話を聞く気になっておったに、なぜお前様は!」
「九州王朝こそが親王様のお望みを実現する一本道です、皇統統一の!」
饗庭道哲も珍しく意見をぶつけてきた。
だが、もはや武光はきっぱりと構想を、自分を捨て去っていた。
「いや、…もうよか」
武光は親王の苦しみを思いやってしまっており、今はすでに親王のご意向をお守りする、と気持ちを切り替えてしまっている。
「結束のいまだ不十分な九州武士団、瀬戸内海賊衆においたち征西府の乱れを見せることは統率の障害になるばいた、…城隆顕(じょうたけあき)」
「は」
城隆顕が武光を見やった。
「東征の準備を始めよ、おいとぬしとで指揮を執る、武政は残って後を守れ」
武光は武政に希望を託したのかもしれない。
だが、武政たち若手の怒りは今は武光に向けられている。
「親王にこびて菊池を売られ申したな!菊池が九州の覇者となる道を捨てたのじゃ!」
武光がすさまじい目つきで武政を見やった。
「お前様は皇室の権威の前に腑抜けになり果てておらるっとか!」
若手たち全員が武光に冷たい目を向けてきている。
「…頼む、…ぬしらの想いを押さえて、…従うちくれ、…頼む」
武光が若手の前に頭を下げ、若手に憤(いきどお)りの想いがみなぎった。
しかし、最後に武政はただうなずいた。
「…承知し申した」
武政は譲歩し、代わりに武光を見限った。
猿谷坊は諸将の背後に控えているが、武光を理解しており、虚しさを噛みしめている。
本州の事情、九州の土豪たちの意向など、調べるべきはすべて調べ上げて報告があげてある。そのうえで九州王朝構想を抱いた武光だったのだ。だが、もはや已む無し。
すでに賽は投げられた。
武光には初めてのことだった。
初めてビジョンをコントロールできない状況下でのいくさに踏み出していた。
 
博多沖合に船団が結集し、乗り込んだ武光が軍議をする。
「瀬戸内を突き破れ申すか?」
「やれますとも!」
指揮するのは忽那義範、村上義弘など海賊大将で、兵員一七〇〇騎と軍船二八〇艘による瀬戸内の海賊軍団が仕立てられた。
とはいえ、常時は漁業に従事する船まで駆り出して軍船に仕立てていたので、外洋へ乗り出せるほどの軍船もあれば、湾内移動が関の山かという船まで、大小様々な船に分乗してにぎやかなものであった。
その瀬戸内海賊軍団に、九州武士団の渡海を準備させたものの、準備期間が足りず、本州の武士団の巻き返しに対してどう対抗するか苦慮する武光だった。
だが、ことはすでに動き始めていた。
巨大な奔流がほとばしり始めた以上、それはもう誰にも止めることも流れを変えることもできない。牧の宮懐良親王を東征大将軍となし、菊池武光が東征軍総帥を拝命、従う九州軍団は、島津、伊東、原田、秋月、三原、草野、星野、平戸、千葉、山鹿等の諸豪九万騎。
 だが、彼らの士気は低かった。
 
一三六八年 正平二三年二月。
凍えるような寒さの中での大海戦となった。
武光としては瀬戸内から京にかけての海賊を総動員したかったのだが、初めは忽那氏の指示に従いながら、間もなく敵側に懐柔された塩飽氏(しあくし)など海賊軍団が次々に寝返り、結局は中国豪族たちの包囲網に阻まれ行く手を塞がれてしまった。
雪もよいの空の下、すさまじい海戦が広い海域で展開された。
海賊衆の見込みでは勝てるはずの海戦で敗北してしまった。
征西府の渡海作戦は失敗してしまう。
十万近い軍勢を送るのに船が足りずにもたついた点も響いた。
次々に敵に撃破され、瀬戸内海賊衆の船が沈められていった。
 
武光自身も菊池水軍の船で鶴崎より船出したものの、彦島で五百艘の大内勢に待ち伏せされて敗走した。大友氏継とその一族による迎撃であった。
菊池の海軍衆はしょせんにわか仕立てで海を制するほどの実力を持てなかった。
大海原で自在に船を操船できず、海のプロフェッショナル達の餌食にされていった。
武光の目の前でたくさんの船が沈められていき、九州武士団が海に飲まれていく。
海軍衆だけでなく、渡海の経験を持たぬ九州武士団は甲板を右往左往することしかできず、あまりにもあっけなかった。
武光の船も追い立てられて必死に逃走する。
菊池武士団は地上戦では勇猛だが、船の上では手も足も出なかった。
武光は船酔いに耐え、寒さに凍えながら立ち尽くした。
菊池隆顕、猿谷坊が控えて呆然となっている。
振り返っても沈んでいく船団の船たちを眺めやるしかなすすべない武光だった。
「海では戦えぬ、海は菊池武士団のいくさ場ではない」
何かが掛け違ったと感じている武光。潮目が変わった。
だが、九州を統合すれば巻き返せる、と己を鼓舞して前方を睨み据える武光だった。
 
博多を出た親王軍も彦島で大内の水軍に敗れ、武光と待ち合わせていた瀬戸内海で合流できなかった。
かくしてこの東征は失敗に帰したのである。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇忽那義弘(くつなよしひろ)
南朝軍参加の海賊大将。

〇河野通直(もうのみちなお)
海賊大将。

〇村上義弘(むらかみよしひろ)
海賊大将。

〇宗明美(そうあけみ)
海商宋一族総裁。

〇菊池武政(きくちたけまさ)
武光の息子。 次期菊池一族棟梁を目する。

〇中院義定(なかのいんよしさだ)
懐良親王侍従。

〇城隆明(じょうたかあき)
武光の腹心の武将。

〇菊池武安(きくちたけやす)
菊池一族幹部。




 
 

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