銅版画を石膏で刷る
今日は銅版画の話。普通は紙で刷る銅版画なんだけど、これを石膏で刷る「石膏刷り」という技法があって、そんなにメジャーではないんだけど私はとても好き。
普通の銅版画を刷るように版にインクを詰めて、そこに土手のようなものを作って石膏を流しこむ。石膏は5分ぐらいで固まっちゃうから、そっと版からはがすと、あら不思議。石膏の上にインクが写し取られて、写真のようなものになる。
石膏は歯科で使う超硬化タイプを使うのだけれど、最近はアロマストーンを作るという名目で、ピンクの袋に入った奥様向けの小分けタイプのハード石膏が売られるようになって、使いやすいからこれを使っている。
まあ、石膏はあまりSDGsではないし、たくさん作ると場所ばかり取るし、たとえば海外で展示があるなんて時は運ぶののも大変で、作家として生業にしている人にはあまり現実的じゃないと思うんだけど、版が写し取られた石膏は表面がめちゃつるつるで、しっとりしていて、触るとうっとりしてしまう。
よく油絵が好きな人は、あの独特なテレピン油のにおいにうっとりするという話を聞く(反対も、ある。あのにおいが耐えられないと言う人も、いる)けれど、銅版画好きの人は、押し並べて紙が好きという人が多い。
紙のにおい、手触り、風合い。版が刷られたあとのインクの色と紙の色の対比。それはなんというか、創作として「形ある物を作る」ことの背景にある、限りなく本能に近い生理的な物に訴えかけてくる何かで、脳の性的な、同時に知性や感性を司る部分が感じるエクスタシーとかオーガズムみたいなものに似ているような気もする。
私も、気がつくとうっとりと、紙を撫で続けている。
使う当てもないのに引っ張り出して、大判の紙を広げて触って、その白さと手触りを確かめて、また巻いてしまう、という不毛なことをよくやっている。
石膏は、紙よりもっと強烈に、今ここから、どこか別の場所にワープするような感覚を運んでくることが多い。
刷り上がった石膏を撫でると、まだ水気のある湿った感触が手の水分を奪っていくので、長く触ることはできない。一度引っ込めた手を片方の手で温めて、また触る。
インクの置き方を工夫すると石膏に窪みができるので、その窪みを触って確認するという、なんか怪しい人になっている。
何かを創作するというのは、そんな風にちょっと生理的本能に近い場所が感じる悦楽とも、関係しているのかもしんない。
後ろに貼った杉の木の感触も好き。
アートって壁に貼ったら見るだけだけど、触ることが好きな私は、ついついこんな感じにものを作ってしまい、なんかいく当てがないなあ、と途方に暮れたりしています。
銅版画の話はきっとまた、書きます。
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