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母の家を片付ける その3 父の遺品を手放す

実家の片付け、2日目後半戦。
父が亡くなったのが2017年。ほぼ2年間ほど使い物にならなかった母が、そろそろ片付けてもいいかなと言い出したのは3年めも終わりになった頃。前にも書いたけど、きっかけは孫の「片付けたらこっちにたまに来る」という一言でした。

いつまでも亡くなった人と一緒には暮らせない

おしゃれ好きだった母は、父にもあれやこれやと服を選んでいたため、「高かった」「まだほとんど着ていない」というのも整理をしたがらなかったひとつの要因。
誰かが着てくれないか。もらってくれる人はいないか。
でも、いいものなのでそのへんの人に着られるのも嫌だし、寄付するなんてとんでもない。

んなわけで、抱え込んで3年。
今回は手放す練習です。やっぱりね。父が生きていたままの状態の寝室に寝起きしていても、仕方ないんじゃないかと思う。
いくつになったのだとしても、ちょっとだけ前に進まないと。

思い出のある服と、捨てられない下着問題

父は収集癖もなく、ものへの執着もなかったので、持ち物はほんとに少ない。ただ、母が選んだ服というのがクロゼットの多くを占めていたので、そこから

・父が好きだったもの、母が好きだったもの

を、思い出話しをしながら選んでもらう。ジャケットから1着、スーツから一着。厳選したつもりでも、ちょっとした量になりました。
んでも、まあ無理はせず。残りのものをゴミ袋に入れられただけでも、大進歩なのだと思う。

ネックになったのが
「入院のために買った、まだ一度も着ていない下着や靴下」

この年令の人はほんと、新品を破棄することが難しく。とはいえ、男性用の下着で袋から出してしまってあるものは、人にあげることも寄付することも難しく、さらに亡くなった人の下着類を喜ぶ人はいないよね、、、、ということを説得してゴミ袋に入れました。

まあ、そんなわけでたんすひとつぶんなんとか整理。
実際にはまだまだあります。写真撮るの忘れただけ>笑 でも何も手をつけられなかった彼女にとっては、かなりの進歩です。

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3年目の節目になりました。

捨てられないものは捨てる必要はない

以前、講演で片付けの話をした時に、最後に質問を募ったら話しながら泣き出してしまったおばあちゃまがいて。
「夫が亡くなってしばらくたつが、娘が荷物を捨てろという。私は捨てたくない。でも、毎日捨てろ捨てろと言われるのが辛くて辛くて。夫のものを捨てることが、今の私にはできないんです」

言葉をつまらせ、涙流すその方見ていて、私ももらい泣き。

捨てられないのは捨てる必要はないんですよ。
捨ててもよいと思える日まで、持っていてください、とお話したんだけど

母にもそんな日がやってきたのだなあ、としみじみしたのでありました。

父の遺品はあと2箇所。
駐車場に置かれた物置の中と、書斎スペースにしていた場所。

物置は息子が全部きれいに分別してくれました。

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どう捨てればよいかわからなかったものが詰め込まれていた>笑

さびた工具類も分別。こんなに大量に何に使うのか? という漬物樽、バケツ、プラスチックの植木鉢、植物用の支え棒など。みんなまとめてもらい。
ちょこちょことよく庭仕事をしていたよね、などの思い出話しをしつつ。

これは家庭ごみではひどく捨てにくいので、不用品回収を頼むことにします。

書斎スペースも息子がさくっと片付けてくれた。
小さい頃から、模様替えと整理はかなり仕込んできたので、よいアシスタントとして働いてくれましたとさ。そして、孫の言うことはよく聞くのよね@母。私の言うことよりもね>苦笑。

この日の労働時間は、前回書いたのクロゼット整理と合わせて、11時から16時の5時間。あいだ、昼ごはんを挟んでの一日仕事でした。

お疲れさまでした!

これで多少衣類の整理がついたので、次回からはいよいよ、2階の寝室を1階の和室に移動させるプロジェクトに着手します。

大量の衣類を、6畳の和室にどんな方法で移動させることができるのか。
ベッドや家具の移動、不用品の処理等の手配をどこまで進められるのか。

肉体労働だけでなく、片付けや模様替えは頭脳労働でもあるのですよなあ。仕事みたいだよ。

がんばるよう。


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