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母の家を片付ける その14 使わなくなったピアノがやっと引き取られていく

こんばんは。勝手に続いている母の家の片付けシリーズ。すでに14回目。

前回までは、寝室を2階から1階に移し、大量にあった衣類の整理をして1階の和室に収納するまでの、紆余曲折をあれこれ。物を片付けるのも大変だったけど、捨てるのはもっと大変。加齢した親を説得するのもさらに大変。

しかしそれも、そろそろゴールが見えてきたような。。。。。。

いや、まだか。

とりあえず今回は、ピアノを手放すというお話です。

売れる売れない、無料か有料かで長引く交渉

実家には、私が使っていたアップライトのピアノが居間の中心に置いてありました。使わなくなって、久しい。5歳からはじめて高校生ぐらいまでは弾いていたけど、その後はずっと眠ったまま。

このピアノをどうするかというのは、かれこれ20年ほど前からの懸案であったのです。私はもう、家を出ちゃったし持ってくることもできず、ピアノも弾かなくなっちゃったので早く処分したら、とずっと言い続け。
でも、でも。。。。。と引っ張る母。
20年。無駄に長い検討期間だよ。

5年ほど前から「手放すか」と言い出したものの、そのまま放置 。
ピアノの上は写真立て置き場、アクセサリー置き場、飾り物置き場と化していた。

今回やっとです。やっと、手放す気持ちに。


思えば、さほど裕福ではなかった実家で、ピアノを買うというのはとても大きな買い物だったはず。習わせてもらえて、ありがたかったとは思うのだけれど、その「高かった」という思いが手放すきっかけを逃す理由にもなったように思うわけです。

で、当たり前のように「売れる」と思っていた母は、「タダでしか引き取ってもらえない」という現実に打ちひしがれた。

あのさ、それね、20年ぐらい前だったらちゃんと売れたんだよ。
今はもう無理ぽ。古くなりすぎたし、長く放置されすぎた。もっと早く決断しとけばさあ。
そこが、なかなかわかってもらえない。

さらに。

一昨年ぐらいに息子が「ピアノ売ってちょ〜だい」系の引取業者さんに問い合わせた時は、
「値はつきませんが、無料で引取まっせ」
と言っていたのが、今回連絡を取ってみたところ

「そのタイプのピアノは、すでに飽和状態になっているため無料引き取りもできません。処分にはお金がかかります」

ということになっていて、えええええ! と、売れると思っていたのにお金がかかると、これまた母が納得いかないという事態に。


でもね、探したらありました。

無料引き取りしてくれるところ。
直してアフリカなどの途上国に行くんだって。

がんばれ、うちのピアノ。
よかった、うちのピアノ。

ピアノ搬出の当日に、衝撃の一言

年が明けたら搬出してくれるというので予約を入れ、それまでにピアノの上にぎっしりと積まれた装飾品を片付けておいてね、と母にお願いする。

私は前日に実家を覗いて、ピアノが搬出できるよう、まわりのものをちょいちょいと片付けて万全の準備でスタンバイ。

10時30分ごろに引き取りに来てくれるというので、当日も早めに乗り込んでスタンバイ。よく働く一人娘。

ところが、業者さんを待っていたら、母が巻き尺を持ってうろうろしはじめた。
どうも先日、2階からおろそうとしていた業務用ミシンが階段の角を曲がりきれず、結局移動を断念したことが記憶に新しいようで(参照こちらー便利屋さんがどうしても移動できなかった「アレ」)、ピアノの幅を測りながら、居間の扉から玄関の角を曲がれるかと一生懸命考えている模様。で、こう言い出した。

この角曲がれないと思う。ピアノ出せない。

えっと、たぶん玄関じゃなくてテラスの窓から出すと思うよ。引っ越した時も、玄関からじゃなくて庭から入れたんじゃない?

あー、そうだったかもしれない。庭から入れた。
でも、確か庭からも入らなくて、クレーンで吊るして塀を乗り越えて入れてもらったはず。


え?


門から入らなかったから、塀の上を乗り越えて入れた。吊るした。

………

えっと

なぜもっと早く言わない?


忘れてた

………


戸建ての1階からの搬出だから無料になったんだよ? えっと。。。。。いや、もういいや。来てもらってから考えよう。わしゃ知らん。

もう考えても仕方ないので思考停止。。。。。。


しているところに、業者さん来ました。
若者二人、でっかいトラックを狭い路地に横付けにして、ピアノをざざっと下見して、サクサクと搬出の準備に取り掛かる。

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この門の幅が問題なのだよ。
あのお、もし搬出できなかったらどうなるんでしょうねええ。

と、恐る恐る顔色を伺う私を尻目に。。。。。


ピアノを運ぶという仕事

なんつか

なんの問題もなく搬出されていきました、ピアノ。

なんだったのか、母の記憶。


ま、いい。

とにかく、ピアノさんは若者二人が紐をかけて、その紐を肩に引っ掛けた状態で、さらさらさらっと運び出され、グイーンと動くエレベーターみたいなものでトラックに積まれて、回収されていきました。

母の頭に残っていたのは、トラックについていたクレーンの映像だったのかもしれないです。

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彼らは、これから7,8軒回るのだそうです。

ピアノの回収多いんですか? と聞いたら、引っ越しを機にピアノを手放すという人が結構多いのだとか。
ピアノの運搬には結構なお金がかかるので、もうあまり使わないピアノにお金をかけるよりは、無料で回収してもらえるところに頼むという人が増えているそうだ。

なるほど。

ということで、20年もすったもんだしてきたピアノは、ほんの10分ほどの時間であっという間に回収され、ピアノのあった場所はすっきりとした空間に。

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この空間にミシンが来るはずだったわけですが、その話はまたこんど。

昭和の時代の「ピアノ」という存在

それでね、私の生きてきた時代の中での「ピアノ」という存在を、ちょっとしんみり考えたんだった。

前にも書いたように、あの時代の実家にとって、ピアノはかなりの額の買い物だったはずで、でもそういうピアノを、引っ越しを機に手放すという人がとっても増えているという業者さんの話が胸に残ったので。


ピアノは、私がお願いして、お願いして習わせてもらったものだった。

ピアノを習いに行く前に、私が習わされていたのが、バイオリンだったから。

昭和の時代。郊外に芝生の庭がある、波板の屋根のついたテラスを配した赤い屋根の小さなおうちを建てた父と母は、高度成長期を「理想の家庭」を作ることに専念してきたんだろうな、と思う。

母は私を三編みにして、手作りのセーラー服なんかを着せて、お絵かき教室に通わせていたが、やがて「スズキメソッド」というバイオリン教室をみつけてきて、小さなバイオリンを私に買い与えた。それ、まだ家にあるよ。なんつか、そういうの流行りだったんじゃないかな。一種の英才教育みたいな。

郊外の家で、子供がバイオリンを練習する。

そんなことに、憧れていたんじゃないかと思う。

いやさ、でもさ、3歳だよ。
不自然な体勢でバイオリンを顎の下に挟まされて、小さい指で弦を抑えて、出てくるのは グギー グガガ という雑音ばかり。幼心に、こりゃひどい音だということはよくわかっていて、練習したら指が痛くなるだけで、ちっとも楽しくなかった。

両親とも演歌や歌謡曲しか聞いていないのに、ユーモレスクだとか、メヌエットだとか言われたって、さして面白くもないし、何がいいのかぜんぜんわからなかった。それでも、毎日変な足形を刺繍したマットの上に立ってグギギグガガと練習しないと、ひどく怒られた。

夏休みで祖母の家に遊びに行くときもバイオリンを持たされて、練習をサボると、バイオリンの弓を持って祖母が追いかけてきて、弓で私を叩いた。
「お灸をすえるよ!」と言いながら。
もうすでに叩いているのに、まだお灸もするという。もう、泣きながら練習した。さらに、ぜんぜん面白くなくなった。

申し訳ない。私のバイオリンの思い出って、そんなのしかないのよ。

そんなのをしばらく続けたら、大きな教室だから発表会がありますってなことで、武道館の舞台に立つことになり、さらに厳しい練習が課せられて、一世一代のおしゃれをして武道館の舞台に立った。
弾いたのは「こぎつねこんこん」。

えっとね
バイオリン抱えて、盛大におしゃれして

こぎつねこんこん、やまのなかー、やまのなかー

よ。

しかも音はグギグギグガガ。

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出てきたよ、昭和の写真。


なんか、子供心にすごい茶番だなーって思ったの覚えてるんだよ。バイオリン買って習わせてくれた母には申し訳ないけど、もうほんと、苦痛以外の何者にもなっていなかった。

そんな時に。

幼稚園の帰りにバスを待っていたら、お教室の隅にあったオルガンで、お友達がチューリップを弾いていたの。

オルガンってね、なんて音がきれいなんだろうって思った。うれしくってうれしくて、お友達に頼んでチューリップを教えてもらった。そしたら、教えてもらったばかりの私が弾いても、聞こえてきたのはチューリップだった。

グギグギグガガじゃなくって。


それで、家に戻って母に頼み込んだんだった。

お願いします。オルガンを習わせてください。バイオリンじゃなくって、オルガンが習いたいです。絶対オルガンがいいです!!! って。


オルガンはピアノになり、近所のピアノ教室に通うようになって、小学校6年生までピアノを続けた。6年生の時に習っていたピアノ教室が無くなることになり、新しいピアノ教室を探してほしいと母に頼んだのだけれど、この頃から仕事を始めようと忙しくしていた母は、もうすっかり娘にバイオリンを習わせたい夢見る新妻ではなくなっていて(笑)、ピアノ教室は探されないまま、あとはひとりでピアノを弾いた。

結構弾けるようにはなったけれど、いつしかピアノの時代は終わりを告げて

昭和の夢のひとつだったピアノは、長い間放置されて、そしてこの日、アフリカに向けて旅立っていったんだった。

ちょっとそんなことも、思い出した。
実家の片付けをするって、自分の幼年時代の生き直しみたいなところもあるのかな。

元のピアノの写真を撮ってなかった。忘れてた。ごめん。

ピアノ、楽しかった。ありがとう。


というわけで、懸案のひとつめでたく解決終了でした。気持ち的に、なんだかとってもスッキリした。もうまったく使わない私のものが実家の真ん中を占拠していたのは、やっぱりなんだか居心地が悪かったんだ。

次は前から書く書く詐欺していた、襖の張替えをば。

つづく


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