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母の家を片付ける その12 せっかく作った1階の寝室が大ピンチ! 涙

昨年末、30日に大突貫で作業を進めて、母の寝室を2階から1階に移動させた件。一日に詰め込んでしまったことで、最後の方はへとへとになって、のちの問題に。。。。。というのはその11で書いた通りー。

結局大晦日まで作業を引きずるも、まあなんとか形になったんじゃない? と息子と安堵しつつ、

正月はもうなんもしねー!

絶対やらねー!

と心に決めて三が日を楽しむ。今年は正月の挨拶もナシにしてもらった。もうその前に連日行ってるし、休ませてねええ。。。。

ってことで、まあ、3が日明けた4日に電話してみましたよ。

そんで、何が起こったのか

というのが今日のお話

あれからずっと眠っていない、着替えていない。。。って、をい

あけましておめでとう、今年もよろしく。新しい寝室での年越しはどうだった?

問いかけた私への母の答えがタイトルの通り。

31日から3日まで、まったく寝ていない
服も着替えていない

……………って

をい


がびーん


何十年も寝ていた寝室から、違う部屋になったので夜にまったく眠れないから、ずっと居間のソファでテレビ見ながらうとうとしてて、ぜんぜん寝ていない。
押入れの中にぎゅうぎゅうに服を詰め込まれて、何がどこにあるのかまったくわからないから服もずっと着替えていない。

服はもう、いままでと同じ2階のクロゼットに全部戻そうと思っている。場所があるんだし、なぜ2階じゃだめなのか。


はあああああ、そうかああああ。
そりゃそうかもしれないねええ。急に環境が変わったんだもんねええ。

うーん。

長年の母親の呪縛が強い一人っ子長女は、こうした母の言葉に右往左往する。なんというか、ようわからんのだが強く罪悪感を感じる。私のせいだ。なんとか解決しなければ。。。。。

それがしんどくて、長く母との距離を取ってきたんだけど、年老いて割とやりやすくなったなーって思ってたら、やっぱりこういうところでは、がっしりと罪悪感の罠に陥って、あたふたしてしまうんだなあ。

実家の片付けがいろいろ難しいのは、こうした親子関係みたいなものもあぶり出されていくからなんだよね。ううううう。

とりあえず、起きてきた息子に、上記のことを相談してみる。当面2階のベッドで寝てもらうかー? 服も、もう元通り巨大なクロゼット使うようにするかあ?


こういう時、冷静な第三者がいてくれるのは救いだなあと思う。

「それをしたら、なぜ片付けを始めたかという意味がなくなるよね。もともと、階段が危ないから寝室も洋服も1階におろしたんじゃなかったの?」


はいー! そのとおりでした。 うん、かあちゃん頑張る。
とりあえず、実家行ってくる!

そしてチャリを飛ばして母の様子を見に行く孝行娘ひとり。

「捨てられたのではないか」という後遺症

駆けつけてみると、母は以外と元気だった。あわてて飛んできたのに、なんだか拍子抜けじゃ。

とりあえずもう一度よく話を聞いてみると、服に関しては

大切にしてたブラウスがみつからない、捨てられたんじゃないかと探したけど、どこにもない

というのがどうやら一番のポイントらしいことがわかった。

年末に「聞かずにゴミ袋に入れてしまった痛恨の目覚まし時計と電気アンカ事件」の後遺症は大きかった。

「捨てられたのでは」

という気持ちが、2階から衣服を1階の押し入れに移した行為への反発というか、抵抗感みたいなものになって、「もう全部元通りに戻す」という気持ちになったんだろうと思う。

そして

まだ2階との行き来が出来ているのに

「できないでしょ」と否定されちゃったような気持ちもあったのかもしれない。
でもね、今出来ているからこそ、ある日階段から落っこちちゃわないように、いま、1階に移動させたんだよね。

まずはそこを、丁寧に説明してみる。

そして、ブラウスをさがす。

っていうか、ありかはわかっている。昨年末に時間がなくて、きちんと説明できなかっただけだ。


ブラウスを出して見せたら、母は一気に安定した。

そこで、もう一度、一から服の整理を二人で行うことにした。

二人で服の整理を、もう一度

まず、押し入れの引き出しに入れたセーターやシャツを、上の段から順番にすべて出して畳の上に並べた。この引き出しに入れたのは、昨年2階のクロゼットで一度全部整理して、「着る」と一緒に決めた服だけなので、廃棄する服はもう入っていない。

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よく着る というセーターを手前に。
あまり着ないけど持っていたいというセーターを奥に。

この引き出しはセーターは1枚入るだけの高さしかないので、引き出せば何があるかは一目瞭然でわかるはず。

「ここに入れたよ」

と確認をして引き出しを閉め、次の段のものをすべて出して並べて、戻す。これの繰り返し。

上から
厚手のセーター
薄手のセーター
長袖の綿シャツ
半袖の綿シャツ

前はよく着るもの、後ろはあまり着ないもの
長袖のシャツは数枚重なっているので、本のページをめくるように見れば何があるかすぐわかるよ。半袖は4等分して立てて入れているから、ひと目でどこに何があるかわかるよ
と、当たり前にわかりやすく入れていったんだけど、母によると

こんな風に服を整理したことがないので、わかるかどうかがとても不安だ

というんじゃ。

えっと

ほいじゃ、いままでどうやって引き出しに入れてたの?

長袖も半袖もバラバラにいろんなところに入ってた。それでも、どこに何があるかは自分ではわかってた

のだそうだ。
いや、昨年片付けたときに「こんな服ははじめて見た」とか「こんなのを持っていることさえ知らなかった」というのが大量にあったけどな。
つまりは、盛大な積んどく収納の中で、わかっているものエリアの中で服を探していたんだろうなと思う。

もしかしたら、そういう整理法のほうが合っている人がいるのかもしれない。こういう「効率のよい収納法」をしてあげたからといって、暮らしの質が上がるのかどうかは、ほんとに人それぞれなのかもな、なんて思って引き出し整理終了。何事も、整理整頓だけが正義ではないってことは、ちょっと覚えておいたほうがいいような気がする。

そして、

あれだけたくさんある私の服をこんな小さな押し入れに全部詰め込まれてしまった

という気持ちも強かったようなので、とりあえず今着ない夏物の服を選別して、2階のクロゼットに戻すことにした。季節が来たら、一緒に衣替えしましょうってことで。

残りの服も、全部確認しながら押入れに作ったハンガーにかけていった。繰り返し

わかんない、わかんない

というので、わかるまで一緒にやった。

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あのね


疲れた。

っていうか、作業を終えて2階に移動させた服と、絶対捨てないと確保しているまったく着ない服がまだまだクロゼットを占領している風景を見て、頭痛がして吐き気がした。

なんで具合悪くなったんだろうって思って、ああ、私はこの

あまりに大量に蓄積されている「洋服」という煩悩の塊

みたいなものにやられているんだ、と思った。


同じようなものばかりが、ただ、ただ大量にある。
そしてすべてに執着している。

もうこのあたりは、手放させる必要はないのだろうと思う。
亡くなったあとに、やればよいことなのかもしれない。

片付けや親の家の整理などを本業にしている人から見たら、これは肉親ではなくて業者のサービスを利用するほうがいいと助言されることなのかもしれない。私にもよくわかんない。
娘がやって「わかんない」が連発される作業を、第三者にお金を払ってやってもらったら納得できるのか。それとも、娘がやっているから「わかんない」のか。

なので、もう考えることをやめることにした。


ってか、最後のこの体調不良とともに、大懸案だった「母の服を整理する」作業は、ほぼ終了したんだった。はあああ。ほんとお疲れ様。

でも、いい勉強になった。

私が具合悪くなるまでの煩悩のようなものを服にいだき続けてきた母の人生は、ある意味あっぱれだったのかもしれない。それがわかっただけ、よかったように思った。

とにかく、母にとっては別に問題なかったらしい、あの「混沌の海」の状態がある程度は改善しただけで、私はとても安心した。あのとてつもなく大量な衣類と装飾品の混沌は、なんというか、とてつもなく不安を呼び起こす風景で、たぶん私はそれをなんとかしたかったんじゃないかと思う。
母の着飾ることへの強い関心と、衣類への執着は、どこか私にとっての母子関係のトラウマでもあったからだ。
今回の作業の中で、その執着の山に親子で向き合って、母も「手放す」練習をした。これまでに比べたら、格段の進歩だったと思う。

さて、ここに「あれからずっと寝ていない」事件も続くのだが、なんか服の片付けでいっぱい書いちゃったので、そちらはまた次で。

眠れないのは寝室が寒いからで

寒いのには、こりゃまた想定外の理由があった。

つづく

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