「スター・ウォーズ:ビジョンズ」の分析と感想
配信から2ヶ月近く経過した私自身参加の機会をいただいた「スター・ウォーズ:ビジョンズ」について、分析と感想、私の楽しみ方を紹介します。いちファンの私的な意見投稿であり、あくまで非公式なものなのでその点何卒ご理解願います。
紹介する知識はいくつかの解説本やネットの(識者の)情報を通じて見知ったことの受け売りレベルなので話半分で読んでいただけたら幸いです。監督のインタビュー記事や月刊ニュータイプ11月号の特集記事なども参考にしています。
「〜ビジョンズ」は「ノンカノン」として企画されたアンソロジー作品です。
昨今の複雑化してしまった「スター・ウォーズ」事情を踏まえると「〜ビジョンズ」は実験的な企画でありながら、その役割はシークエルに続いて国内外で新しいファンを獲得するための予備知識無く楽しめる入門編にもなりえることで、どのようにアレンジするにしても製作する側の「スター・ウォーズ」に関する本質的な部分に対する理解度が重要であったと考えます。
エピソードごとの考察
要素を一度バラバラにして再構成したタイプの作品です。
黒澤映画風(あくまで「風」ですが)に大胆にアレンジした作風が面白く、本アンソロジーに求められた最適解という印象を受けました。
レゴシリーズのような雰囲気を感じたユニークな作品でした。個人的に見所はテムエラ・モリソンさん/金田明夫さんが演じたジャバに仕えていた時代のボバ・フェットです。旧三部作吹替版も用語などを修正した新録版が観てみたいですね。
初見では度肝を抜かれましたが、繰り返し観ると実に味わい深い作品でした。
実際に意識しているのか偶然なのかは不明ですが様々なスター・ウォーズ作品の構成要素を巧みにミキシングビルドして作られた作品と感じました。ムチ状のライトセーバーもレジェンズでは登場しています。「クローン・ウォーズ」のザイゲリア編ではエレクトロ・ウィップという武器も。
アカデミー賞短編アニメーション部門に提出が決まりました。
丁寧に描かれた秀逸な作品ですが、最初ヴァンもジェダイかと誤解してしまいました。またエフが最後に技を放つ場面はメカニカルなシューズの力に頼ったものでなくフォース・ダッシュであって欲しいのですが実際どうなのでしょう。当初レジェンズ版のヘッドハンターを検討していたようですが、最終的にクローン・ヘッドハンターを使う事になった経緯も気になるところです。
神山監督作品らしい仕上がりでファンからの人気も高い作品です。「正史に入れてもおかしくない作品」を目指したとのことですが「クローン・ウォーズ」や「フォールン・オーダー」などは無視されているようで設定の誤差が気になりました。
「光刃をビームと言ったらビームサーベルでは」など細かい部分でつい引っかかってしまい、大変惜しいなと思ってしまいます。
本作のジェダイ(の解釈)は通してシス的だなぁとも。
このコンセプトは極めて日本人らしい発想でした。本家での基本原則(フォースは生命と結びつく)を超越しており、欧米のファンからは飛び抜けて奇抜な作品として捉えられているのではないかと思います。
「スターシップで宇宙をパトロールする」という古典的な宇宙のヒーローとしてジェダイを描いた作品です。衣装や宇宙船などについては非常にスター・ウォーズらしいビジュアルが観られる一方で、背景については想像力をかき立てる非現実的な景観であったり古代の遺跡でも未開拓な惑星でも何かしらのSF的なガジェットが混じっているのが本家シリーズの特徴なのに、このエピソードでは何の変哲もない日本の田舎的な風景でしかなかったのが勿体ないと感じました。
こちらは関与作なのでコメントを差し控えます。
「エピソード3」の悲劇の再解釈とも取れるシスとジェダイの本質的な部分を描いた作品でした。サイエンスSARUが制作した「赤霧」については冒頭のB-wing風の機体についてファンが制作した作品からのデザイン盗用の可能性があります。
EC Henryさんが制作したこの「B-wing Mark II」は、「エピソード7:フォースの覚醒」に登場したレジスタンス・トランスポートのコクピットが『「B-Wing Mark II」からの流用である』という「スター・ウォーズ/フォースの覚醒 クロス・セクション」などの記事から着想してオリジナルでデザインしたものです。
設定上「B-Wing Mark II」の存在はあるものの、公式な外観デザインは(レジスタンス・トランスポートに流用されたコクピット部分以外は)存在しません。
インタビューなどで一部の監督からは制作の中で「Wookieepediaを参照した」といった回答がみられますが、基本的に公式サイト以外のWookieepediaを含むネット上の情報は信頼性の低いものや間違いも多いため、(特に日本語版は追加や更新がされていない情報も多い)本作のスタッフもリサーチの段階でそうした誤情報を持ち込んだのかもしれません。
いずれにしても、事実ならこの企画の価値と日本アニメの信用を著しく下げる行為であり、看過できない問題と考えます。(11/18 1:32 情報追記)
スター・ウォーズと日本文化について
映画作品における日本文化からの影響としては着物風の衣装のほかバイオレンス描写を含む数々の黒澤明映画作品からの映像面のオマージュが知られています。
ライトセーバーは見た目の部分で「刀」の影響を受けていると言えるかもしれません。白黒の時代劇を見るとよく判りますが、被写体の中で飛び抜けて反射率が高い刀が陽光を力強く反射してあたかも発光して見える場面があります。
最初の三部作におけるライトセーバー戦のシーンは少なく、当時の映画作品としての見所は舞台となる異世界や「〇〇の戦い」という形で括られる銀河各地での帝国軍と反乱者たちの戦い、CGI技術登場以前のILMが作る魔法のような時代々々の最新鋭の特殊効果といったもので、レース狂らしいルーカスならではのライド型アトラクションのような映像体験も大きな魅力でした。
派手なライトセーバー戦が登場するのはジェダイが活躍した時代を描く映画作品のエピソード1〜3からですが、西洋剣術をベースにしつつフォースアクションを交えたアクロバティックで超人的な殺陣は中国武術に近いです。
ルーカスが「スター・ウォーズ」を作る上で参考とした要素は西部劇を含む古典的ハリウッド映画 、当時の世相やオカルト、ニュー・エイジ、文学や思想・学問・宗教・神話などなど多岐に渡っていて、日本文化からのインスピレーションはその中の一部に過ぎず、日本由来を主張しすぎると事実と離れてしまいます。
ドラマに剣劇を盛り込むアイデアについてルーカスにインスピレーションを与えたものとしては「フラッシュ・ゴードン」などもその一つでした。
ですから日本風なビジュアル表現や物語、日本の剣術/時代劇的な殺陣を反映したライトセーバー戦の描写は本家よりも「〜ビジョンズ」が持つ特徴と言えます。日本アニメならではの表現もありました。
本家スター・ウォーズにおけるジェダイとシスの在り方
異端者的なジェダイのクワイ=ガン・ジンに対して弟子のオビ=ワン・ケノービが発した台詞です。しかし実際は直感を重視するクワイ=ガン・ジンはアナキンの本質を見抜いていた慧眼の持ち主でした。映画作品のエピソード1〜3で描かれた腐敗する元老院に仕えた共和国末期のジェダイは、感情よりも掟や指令を優先する僧集団でした。そうした組織的な現実離れした精神主義への傾倒と依存は、アナキンの離反や騎士団崩壊に至らせた要因の一つでもありました。
また銀河帝国樹立以降、元ジェダイは反逆者の烙印を押されて民衆からは密告される対象となり、身分を隠す必要にも迫られます。そうして残存ジェダイも帝国の残党狩りによってほぼ全滅しました。聖者ほど生命としては脆いのです。
「〜ビジョンズ」では「シス卿」も台詞に頻出しました。暗黒面のフォースの使い手については全てが「シス卿」ではなく、サーガでの定義は(特に映画作品で描かれる時代以降において)師匠と弟子の2人だけが名乗れるという特殊な称号です。映画作品ではシス卿が3人以上同時にいる状況はありませんでした。この「2人の掟」は『力を渇望する者同士が徒党を組んでも裏切りあい自滅する』という彼らの教義に基づいていて、それは即ちルーカスの考える悪のスタイルです。
スピンオフ作品ではシスの徒弟や尋問官などのダーク・ジェダイといった暗黒面のフォースを信奉する者の登場はありましたが、彼らはシス卿に仕える究極の縦社会にありつつ、裏切りと復讐を繰り返します。民衆を力と恐怖によって服従させることはできても、複数のシス同士が組織としてまとまることはありません。そんな彼らの目的は一貫して銀河の覇権掌握とジェダイの殲滅でした。
本家スター・ウォーズにおけるドロイドの描き方
「スター・ウォーズ」シリーズ全般においてドロイドは基本的に人間と機械の間を取り持つ存在であり、個々に明確な役割を持つツールの一種に過ぎず主従関係も明瞭で雑に扱われます。電源を切ればモノになり、簡単に壊れたり直ったりします。
ドロイドはファンタジーに置き換えると、魔法で作った疑似生命や使い魔に近い存在です。宗教的な理由から生命ではないものに人間に近い振る舞いをさせたり人間に似たものを作ることを禁忌と考える文化的背景もあるのかもしれません。だからこそ「ハン・ソロ」に登場したL3-37の在り方は特殊でした。また、クローン戦争においては分離主義者の兵器=脅威的な存在として描かれています。
「マンダロリアン」では暗殺用のドロイドが(あたかも)自己犠牲的な行動で他者を救いますがこうしたドロイドの設定を活かした見事な演出でした。
人の作った「機械」(や機械的や思考/組織)は「自然(の摂理)」(=人知を越えた大きな力)を操作することはできず、また「機械」は「自然現象」によって簡単に崩壊するというのもサーガを通した(遡れば「THX1138」からの)テーマでもあります。少なくともこれまでの映画作品においては「生命」と「非生命」の間には明確に線が引かれています。フォースは万物に宿りますが、それに影響を与えられるのもミディ=クロリアンを有する「生命」と定義されています。
一方「〜ビジョンズ」ではドロイドたちはアニミズムを根幹とした日本人特有の感覚でアトムやドラえもんのように人間と対等にやりとりするドロイドがいたり、強い生命感を伴って明確な用途不明ながら愛玩的に描かれている点も独特です。
欧米と日本のロボット感の違いについてはこちらの記事もぜひ参照ください。
ビジョンズはスター・ウォーズたり得ているか
書籍「神話の力」で紹介される神話学者ジョーゼフ・キャンベルとビル・モイヤーズとの対談でキャンベルは(ルーカスは英雄の古典的な物語に)「最も新しい、最も力強い回転力を与えた」という見解を示しています。加えて神話が持つ社会的機能はそのままに「現代語という服を着せている」という分析も。
ライトセーバーやジェダイといった記号的な要素や象徴的なサウンドは差し置いても「〜ビジョンズ」の作品群も普遍的なメッセージを核としながら、日本のアニメ文化が培った職人技と最新鋭の表現によって力強い回転力を持ったエンターテインメントを実現しました。その点においては全てのエピソードが「スター・ウォーズ」と同じ志で作られていると言えるのかもしれません。
ただし、特に正史のタイムラインや世界観を意識した作品に関しては設定面で演出優先の改変や目立つ矛盾が無かったわけでもなく盗用防止チェックを含め最低限の監修はあって良かったのではと考えます。字幕や英語版ではしっかり訂正されている箇所もありますけれど、誤用や違和感のあるワードチョイスなどモヤモヤする箇所もあり勿体ないなと思う台詞も少なくありません。
とはいえ「〜ビジョンズ」は「スター・ウォーズ」カルチャーに大きな足跡を残せたと思います。日本におけるスター・ウォーズの一層の普及を心から願います。