私は料理ができない2 苦手意識はどこからか

料理ができない理由を探っていくnote、第二弾です。
苦手意識はどこからだろう、と考えてみました。

考えるまでもなく、母だなと思いました。
母は料理上手です。
お菓子作りとかもたまにしていました。
食卓の雰囲気は最悪で、険悪でしたが、料理の腕という意味でならかなりおいしいものを食べさせてもらっていたと思います。
実際、祖父母と母の料理で育ちました。(たまに父の打つ蕎麦もおいしかったです)

それでも、いや、だからこそ、私は母によって、料理が苦手になりました。
その理由はただ一つ。
料理をやろうとしても、下手くそすぎて怒られるから。
下手くそすぎて、と言いますが、最初なんてそんなものです。
熟練の人ではありえない発想にありえないミス。
不注意に雑さ。
そもそも私は弱視ですし、見える人のようになんていかないはずです。

それを、「何でできないの」「こんなの常識でしょう」と事あるごとに叱られたら、「もう料理なんてしない!」と子どもがなるのは当然です。
最初は下手なもの、という認識が抜け落ちていた母は、私を怒りました。
怒られまくった私は思うのです。
「自分は料理に向いていない」と。

向いていないなら、やったって意味がない。
だって、できないのだから。
そんな気分になって行きます。
お菓子の出てくる漫画をみて「お菓子を作ってみたい!」と思った私はもうどこにもいません。
「私には無理なんだ」
「できないんだ」
そんな言葉がぐるぐると頭の中にあります。

まして隣に器用にやってのける身内がいたので、もういいや、となりました。
「料理はできる人がやればいい」
と。

料理できないから仕方ない、弱視だから料理できなくても仕方ない、と言い出すようになったのはこの頃からだと思います。
何故なら弱視であることには誰も反論ができないから。
そんなの私より見えない人しか反論できないとその頃の私もわかっていたから。
人それぞれ、事情もそれぞれで、私にできなかった料理を私より視力の低い人ができたところで、私を責められるかと言えば、それは違うと今なら言えます。
というか、他人を比較に持ってくるのはよくありません。

実家に暮らしていても、料理をしなければならない局面はやってきます。
親のいない日の昼ごはんとかです。
しかし、私はカップ麺とかレトルトとか、そういうものを使って何とかしようとしました。
どうせ怒られるのに料理という無駄な労力をかけるくらいなら、料理なんてしないでレトルトにしたことで怒られた方がコストがかからない、というわけです。
こうしてどんどん「私は料理ができない」という実感だけが積み上がっていきました。

生きる糧になります。