我慢は美徳なのか?

皆さんこんにちは。
最近は多種多様な問題が存在してます。
政治や人間関係、お金などなど、数えきれない事柄があります。

そんな中で、よく言われている言葉があります。
我慢』と言う言葉です。
ネットで我慢を調べると、美徳の様な書き方をされている記事ばかりです。そんな記事を見てると、本当に言われるほどいい事なの? と現実を見てみたら感じました。
そんな我慢について個人的に感じる事を書いていきたいと思います。

注意点ですが、この記事では我慢している人を傷つける可能性が高いです。
その為、見たくない人はこの時点で変える事をお勧めします。傷つけたくないので、それでも知ってみたいと言う方だけ読んでください。


我慢とは?

そもそも、我慢と言うのは、漢字の通りに取るなら自分の心が緩いと取れます。
本来の意味として取れるのは、仏教用語による意味が原点であり、その意味は自分に執着して他を見下す心の状態です。
簡単に言うと、自分の感じていることだけに固執し、他人を認めない心と言う事です。
これを行動に示すと自己中心的な行動に近い意味があるのが我慢と言う事です。
その為、現代の我慢の意味とは真逆であり、そう解釈されたのは自分の意志を強く持つを転義、別の認識として使っている為です。
してはいけないと言う自分の意識を強く持ちそれに固執する、この感覚から我慢は、抑制や耐え忍ぶと言う意味に転じたのかと感じます

我慢は良い事?

さて、我慢は良い事なのか? と聞かれれば、我慢は質により変わります
世の中の我慢は、しなくていいのにしなければならない、と言う『自分本位』の我慢です。
本当はしたくない、自分はそうじゃ無い、という傲慢を抑える為にする自制心を我慢と言う人がかなり多いです
例えば、したくない事をする際に、我慢してすると表現しますし、上司が嫌いだけど仕方ないから我慢する、などです。
いやいや、それは良い事なのでは? と言う人が沢山いるでしょうし、社会人なら当たり前だ、と言う人がいるでしょう。
それはそうです。だって、世の中には嫌いな人苦手な人は必ず存在しますし、それを避けてたら何も出来ない状態になりますから。
ですが、ここで気が付いた人は、言いたいことを察してくれた方だと感じます。
そう、当たり前のことをするのに、自分を抑えないといけないと言うのはどうなんでしょうか?
他人を傷つけたくないから我慢すると言う人が居たとします。それは暗に傷つけたいの裏返しですので、それはストレスになります。
つまり、美徳でもないですし、我慢自体の質が悪いため欲望依存の性格ゆえの問題を感じるでしょうか。

いい我慢はあるの?

もちろんいい我慢もあります。
誰かの利益になる我慢です。いいえ、これを書くとさっきと何が違うんだ、と言う事になりかねませんので、言い換えましょう。
成長する為に受け入れる辛さを耐える、という事です。
取引先に、嫌な人が居たとして、その人の事を正確に理解できるでしょうか?
私は出来ません。確実に把握をすることもできません。
なので、暴言を吐き、欲望のままふるまうのを我慢するとなれば話が変わります。
それは我慢とは言いませんが、でも人よっては我慢ととらえる人が居るので、質と表現しました。
一時の感情に任せて暴走するのではなく、受け入れるための我慢です。
感情任せで、自分しか得しない事を抑えて、あの人にも何かあるかもしれまいという、割り切る為の一時の我慢はとても大変な事なので。
この我慢は、泣きたくなるほど辛いのをしっかりと受け止めるが故に辛くて、自暴自棄になりかねません。それを我慢する、他の人が出来ない事を耐えた時、それは美徳になります
その場合、よく耐えたねって言って助けてくれます。
そう言われる事こそが、美徳としての我慢であり、言い換えられるものだとよく耐えたと言ってくれるものです。

じゃあ我慢は?

我慢はしてはいけません
これが結論で、我慢すればするほどストレスが溜まるのも、意に反するからです。
本当にいい事だと思うなら、我慢なんてする事は無いんです
横領して誹謗中傷されて我慢の限界? こんなのは我慢どころか自己中心的な我慢です。
悪い事したけど、何も言うなと考えてると私は感じます。
このタイプの我慢が世の中に多い気がします。
相手が嫌がるから、やらない、我慢する。
これも変ですよね。嫌がるならしないのが当たり前です。
でも、このような事が恋愛だと多いです。
結果、我慢は誇れることでは無いです。
我慢強いは、欲望が強いになりますし、さらに言えば不満をため込みやすいという事を自分で表現してます。
そんな人と付き合えば、ストレスが溜まります。
そう、自分はこんなにしてるのにと、自分主体になっている為です。
反対も同じじゃないか! と言う人も出てきますよね。
そうです。ただ嫌なものを嫌だと伝える事は大切ですし、それは意志を持っていることにほかならず、悪い事じゃないならば受け入れてもらえるんです。
なら、我慢はいらない事になります。
つまり、我慢は欲望とも言えますね。

最後に

私は我慢は美徳とは全く思ってません
我儘な人ほど、我慢をします。
これが、我慢と言う物です。
自分さえ我慢すれば? 他人優先?
それは納得した上でのものですか?
違いますよね。
そもそも、納得してたら何度も言いますが、我慢なんて起こりません。
まじめだから我慢する?
そんな訳ありません、不真面目だから我慢します。
出来ない事まで引き受けるのは、真面目なのですか?
違いますよね。最後には出来ないのに受けたとして鬱になります。責め立てられます。
我慢は悪徳で、我慢する回数が多いほどわがままです。出来ない人は怒りやすい傾向があります。
穏やかな人や真面目な人ほど我慢なんてしません。
不真面目や自己中心的な人が行う我慢してる状態が普通なので、ストレスを感じませんから。
我慢している人ほど、他人を見れないと言う欠点まであります。
なので、我慢は悪徳であり、我慢ばかりしている人は人を不幸にします。

まとめですが、本当に成長していれば我慢の回数が減っていくと思いますし、耐える事が出来ます。
それに、自分を見直す事も出来ますし、相手の事を見る事も出来ます。本当に大切な事は、自分をひけらかして正しいかの判定をゆだねる事です。
そして、それで上手くいかなければ改善する事です。
時には耐える事も必要です。それは間違いありません。
ですが、それは我慢ではありません。そうした事によって、結果的によくなれる経験になるからです
大人になる、と表現されることもあります。
だから、我慢は美徳でもないですし、いいことでは無いです。
するならば、耐える事、そこから学び、したいことが正しい事なのか? 本当に周りや、他人に対していい結果を残せるのか? を経験する為にする質のいい我慢、言い換えれば耐えて見つめなおせる本当の美徳を、この際考えてみたらどうでしょうか。

最後に、感情的に書いている節がありますが、それだけ我慢している、認めてくれと言う人が周りに沢山いました。
さらに当たり前の事をしてるのに辛いと言う人までいます。
そんなの美徳と言えるでしょうか? と少し耐えれなかったから書きました。
私も我慢する事はあります
欲しいものがあってお金がない時、イライラして無能だ! と決めつけかける時など、大体欲望だったり、他人批判が多いのを自覚しました
今回のも、我慢して頑張ってると感じてましたが、そんなの良い事ではないし、それで傷つけてしまい、ストレスが溜まるのがおかしいと感じたからです。
我慢を認めると、その人にとっていい事ではないと感じたから、書いた感じですので、もしここまで読んでくれた方が居れば、人によっては我慢していると言う態度こそが他人を不快にさせてる可能性に気が付いてくれたらと思います。

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