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諸葛孔明の兵法と戦略

 みなさんは諸葛孔明をご存じでしょうか。
中国三国時代に蜀の劉備に仕えた、天才軍師であり偉大な政治家。
そして、五丈原でライバルの軍師司馬仲達に勝てず非業の最期を遂げた不遇の忠臣。
最近では、パリピ孔明というアニメにもでてきましたね。
私もアカウント名にその名を拝借させていただきました

 さて、そんな孔明の兵法を紹介したいと思います。
特に有名なものとして、

・空城の計(くうじょうのけい):

 仲達の大軍に攻められた際、敵を欺くためにあえて城の門を開き敵を誘いこむ計略です。
仲達が罠を疑って攻撃を躊躇することを狙いました。
実際、息子の司馬師は見抜きましたが、仲達は罠を疑って城の攻撃を中止しました。
とはいっても、これは作り話で実際はなかったようです。
劉備配下の趙雲が行なったとか聞いたことはありますが。

・八陣図(はちじんず):

 これは8種類の陣形を示した戦術図で、状況に応じて柔軟に使い分けることができました。
八陣図は、32の小隊を正方形に配置し、中央に大将の陣を置く構造を持っています。
この陣形は、敵の攻撃や地形に応じて柔軟に変化させることができ、調練や行軍、野営、戦闘に対応できる万能の陣形とされています。
しかし、これも実際に使っていたのかどうかはよくわかっていません。

・火攻めの計(ひぜめのけい):

 赤壁の戦いで有名な戦術で、風向きを利用して連環の計で繋いだ曹操の船団に火を放ち、大勝利を収めました。
これも、実際は孫権配下の周瑜の活躍が大きいと言われています。
天に祈って風向きを変えたというのもフィクションです。
ただ、最近では貿易風という風が吹いて風向きが変わることは知っていたのでは、と言われたりもしていますが。

 このように孔明が使ったとされる兵法はフィクションが多いのです。
実際のところ孔明の兵法は史書に記されておらずよくわかっていないとか・・・。

 がっかりされた方も多いと思いますので、次に孔明の戦略や政策を紹介したいと思います。
こちらは史実だと思われます。

・「天下三分の計」:

 天下を魏・呉・そして劉備の国である蜀の3つに分けようという策です。
そして、孫権の呉と同盟を結び強大な曹操の魏と対抗して天下を狙おうというものです。
孔明のこの戦略によって三国時代が誕生したといっても過言ではありません。
孫権配下の魯粛という人物が同じことを考えていたようですが。
劉備はこの戦略に沿って動くことになり、孫権と同盟を結んで赤壁の戦いで勝利し、荊州と益州を手に入れ、やがては蜀の皇帝となりました。
ただ、関羽の不手際によってこの戦略は破綻してしまうのですが・・・。

・「死せる孔明生ける仲達を走らす」:

 五丈原で孔明が病死したと仲達が知ったら、必ず追撃の兵を向けてくる。そう予想していた孔明は、自分が死んだ後、追撃してくる魏の軍勢の反撃するよう指示していました。
実際、仲達は蜀の軍勢が反撃してきたので、孔明の死はウソだったのかと思い、撤退してしまいました。
この出来事は、「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉を生み出すことになりました。

・「公明正大な国家の統治」:

 孔明はたとえ友であろうと仇であろうと、国のために働いたものには、それがどんなに小さな行いでも褒賞を与え、法を犯したものには、それがどんなに些細な罪でも罰を与えました。
このように孔明の政治は公明正大だったため、厳格な政治でも孔明を恨む者はいませんでした。
孔明が政治家としてもすぐれていたことを示すものでしょう。

 
 以上のように、史実の孔明は天才軍師より大政治家だったといったほうがいいでしょう。だからといって軍略の才がなかったとは思いませんが。
仲達も孔明の陣を見て「天下の奇才である」と言ってますしね。

 天才軍師として後の世に大きな影響を与えた諸葛孔明。
三国時代から1800年あまり経った現在でも、中国や日本で大人気の人物です。
これからも孔明のことを語り継いでほしいですね。

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