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歴史番組感想【江戸の大ヒットメーカー 歌川広重】

 東海道中五十三次が50万部の大ヒット作になったという歌川広重が今回テーマです。
今回は新人探偵の「秋鹿さん」が調査を担当してくれました。
佐藤所長の言っていたように部長感がありましたね(笑)新人とは思えませんでした。
そんな秋鹿さんが東京から京都まで五十三次を巡ってくれました、お疲れ様です。
あべのハルカスの広重展は私も行きましたよ!

 

・「東海道中五十三次」大ヒットの秘密


 広重は五十三次の絵をリアルに描いたかと思えば、デフォルメを加えてみたり、はたまた花より団子で餅を売る餅屋を強調したり、ありもしない情景を描いたり、といろいろな創意工夫を絵に施しています。
当時は江戸から京都までいくのに現在のお金で30万円くらいかかったそうですから、簡単にはいけない。
そこで、広重の絵が旅先の情景をいろいろな仕掛けをして描いてくれたので、大ヒットとなったそうです。
当時の江戸の人は、「行った気分にさせてくれるから行かなくてもいいくらいだ」と言っていたそうです。
旅行需要が落ちてしまうな・・・。

 旅が気軽にできなかったからこそ旅行気分を味わえる五十三次の絵が売れたというわけですね。
そして、人々を楽しませるため情景をそのまま描くのではなく、いろいろと創意工夫もしていた、というわけですね。
広重さんすごい!

 

・人物に目が奪われるように描かれている


 さらにそれだけではなく広重の絵には大ヒットする工夫がまだありました。
広重は、日常でのドラマをうまく切り取った絵を描き、人物に目が奪われるような仕掛けをしていたのでした。
菅笠を風で飛ばされて追いかける人物とか、旅先でよくありがちな光景をおもしろおかしく描いていました。普段からよく人間観察をしていた広重。
河合先生の想像では広重は13歳で両親を亡くしたので、人恋しい気持ちがあって人間観察をしていたのではないか、ということでした。

 人恋しかったのか人間観察の達人になった広重。
それが、おもしろおかしい人物を描くことに繋がりました。
これも人々を楽しませるための仕掛けですね。

 

・広重最後の大仕事「江戸名所百景」


 広重は60歳のときに「江戸名所百景」という江戸の名所を100枚(!)描くという大仕事をやってのけます。
河合先生によると、100枚も風景がを描くということはないそうです、すごいな・・・。
広重はただ江戸の名所を描くだけなんてことはしません。
わかる人にはわかる「謎かけ」をしたような絵も多数みられます。(亀から萬年橋を連想させるとか)
さらには江戸以外のところも描いています。
これは当時の江戸の人たちの生活に密接に関係してた場所だったから描いたそう。

 広重が「江戸名所百景」を晩年になって描いたのは、安政大地震の影響があるそう。
大地震で被害を受けた江戸の復興を後押しするため、この風景画を描いたそうです。
江戸生まれで江戸が大好きだった広重は江戸の人たちにエールを送ったのだと。
なるほど、それで老年になって100枚も江戸の風景がを描いたのか。

 そして、河合先生によればこの「江戸名所百景」は当時の江戸の風景を知ることができる貴重な風景がだそうです。
それから10数年で西洋化が進んで同じところが全く別の風景になってしまいましたから。
広重さん、江戸の風景を絵に残してくれてありがとうございました。


 秋鹿探偵も初調査ご苦労様でした。
おいしそうに走り餅食べてましたが、次回の旅は餅なしでいくそうです、かわいそ。
最後は秋鹿探偵のダジャレで終わりました(笑)


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諸葛鳳雛@真・歴史探偵
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