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江戸時代は鎖国していなかった?  -4つの口で海外と繋がっていた日本-

【序文】

「江戸時代、日本は鎖国をしていて唯一長崎で海外と繋がっていた」という風に学校で習った人も多いでしょう。
しかし、そうではなく、江戸時代は4つの口(窓口)で海外と繋がっていたのです。

というか、閉め出していたのはカトリックの国であるスペイン・ポルトガルだけでした。

長崎では江戸時代の初期にはイギリス(大英帝国)も日本と貿易していましたが、採算が取れなくて撤退してしまったのです。

なので、国を閉ざしてオランダとだけ貿易していた、というは間違いなのです。


【鎖国の目的】

なぜ徳川幕府は鎖国政策を行ったのか。
それには2つの理由があります。


・キリスト教が日本に広まるのを防ぐため

キリスト教は戦国時代に日本で宣教使によって布教活動が始まりました。
有名なのが、あのフランシスコ・サビエルですね。

最初は日本もキリスト教を受け入れ、スペイン・ポルトガルと南蛮貿易を行っていました。
しかし、キリスト教が庶民の間に広がるにつれて、宣教師たちやキリスト教徒たちが傍若無人な振る舞いをするようになりました。

・キリシタン大名の大村純忠(おおむらすみただ)というヤツが、長崎をイ     エズス会に寄進(!)してしまった。

なので、長崎は一時期イエズス会の領土だったのです。

・スペイン・ポルトガルが、日本人を奴隷(!)としてインドへ輸出していた。

・キリスト教徒が神社仏閣を破壊し、僧侶を迫害し始めた。

そのため、秀吉がバテレン追放令を出して、宣教師たちを日本から追放し、家光の鎖国政策へと繋がっていくのです。

バテレン追放令
1587年7月24日(天正15年6月19日)に豊臣秀吉が筑前箱崎(現・福岡県福岡市東区)において発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書。

Wikipedia


・貿易による利益を幕府が独占するため

もう一つの目的が海外貿易を幕府が管理して利益を独占するためでした。
そのため、貿易を特定の場所・国に特定して、幕府が貿易を監視したのです。

これは、もし自由な貿易を許してしまうと、貿易が盛んな地域の大名たちが力をつけてしまうと、幕府の脅威になりかねません。
室町時代の大内氏のように。

国防という観点からも幕府が貿易を管理することは重要だったのです。


【4つの口で海外と繋がっていた日本】

では、江戸時代に海外と繋がっていた4つの口を紹介します。

長崎口:対オランダと対清朝中国で、幕府の管理下のもと貿易が行われました。
オランダはプロテスタントの国で布教活動は行わなかったため、貿易を許されました。
    
オランダ人は出島に押し込められましたが、清国人は長崎の街中を歩いてもよかったそうです。
    
また、オランダ商館長(カピタン)が口で言った内容を通訳が翻訳して、オランダ風説書という書物にまとめて幕府に提出していました。
幕末のペリーの黒船の情報もオランダ商館長の情報で幕府は事前に知っていたそうです。
    

この長崎口が一番有名ですね。


対馬口:対李氏朝鮮の窓口で対馬藩の宗氏が貿易の中継ぎを担ってきました。
江戸時代に入っても、対馬藩にはその権限が引き続き認められ、幕府の対朝鮮外交を中継ぎする役割を担いました。

朝鮮は将軍の代替わりごとに朝鮮通信使を日本に派遣しました。


薩摩口:対琉球王国の窓口です。当時、琉球は独立国(という体)だったので外国です。
薩摩藩が琉球王国を支配したことで、琉球を通じての貿易が認められました。

江戸幕府は琉球王国を独立国ということにして、引き続き中国の冊封も受けさせるという日中両属状態にしました。


蝦夷口:対アイヌの窓口です。蝦夷地も江戸時代は外国のようなものでした。
松前藩の松前氏は蝦夷地で北方貿易を行っており、その権限は江戸時代に入っても引き続き認められ、松前藩の収入のほとんどは北方貿易によって支えられていました。

しかし、松前藩はアイヌの人たちに対して酷いことを行い、反乱が起きています。

江戸幕府は一番大事な長崎だけを国家管理して、残りの3つの口は大名たちに管理を任せました。


【鎖国ではなく海禁か】

このように、江戸時代に幕府はオランダ以外の国にも貿易を行い、繋がっていました。

海外と門戸を閉ざしていたというのは、真っ赤なウソなのです。


そもそも、家光の頃に「鎖国」という言葉はなく、1801年にオランダ通詞の志筑忠雄(しづきただお)という人が「鎖国論」という本を著して作った言葉なのです。

なので、この誤解を解くべく教科書の記述を「鎖国」から「海禁」に変更しようとする動きがありました。

海禁
中国で、海上交通や貿易、漁業などに加えられた制限。明清時代に特に厳しかった。

コトバンク


しかし、なぜか反対され海禁に変更されることはありませんでした。
私としては海禁でいいと思うのですが。
だから、最近では曖昧に「いわゆる鎖国」と言われています。


【終文】

江戸時代、日本は4つの口(窓口)を通じて海外と貿易を行い、繋がっていました。
長らく語られてきた、「江戸時代は海外と門戸を閉ざしていた」、というのはウソ話なんです。

未だに、「江戸時代、長崎は外国に開かれていた唯一のところだった」と書いてある本を見かけます。
この広く流布した誤解を解くためにも、いわゆる鎖国などとごまかさないで海禁にしたほうがいいと思うのですが。

この誤解が解けて、多くの人に4つの口のことを知ってほしいと思います。

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諸葛鳳雛@真・歴史探偵
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