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うちの家の先祖について
昨日のNoteのつぶやきで、年末に大掃除したらうちの家の家系図がみつかり、見てみると先祖がすごい一族だと投稿しましたが・・・。
なんと、藤原氏でした!
父方になるのですが、道長の父親の兼家の弟の「藤原公季(ふじわらのきんすえ)」という人が先祖でその子孫ということになっています。マジか!
この人、去年の大河ドラマ「光る君へ」でもでてきたみたいですね。
だから、さらにご先祖をたどると、あの中臣(藤原)鎌足ということになります。なんと!
公季の枝分かれした子孫が「西園寺」という公家の家になり、さらにその枝分かれした子孫が「清水谷」という公家の家になりました。
さらにその枝分かれした子孫が名字を変えて私の代に至る、みたいです。
清水谷家は応仁の乱で京都が焼け野原になったときに、同族の西園寺家を頼って伊予に移り住んだとのことです。
どうも伊予に西園寺家がいたみたいですね。
そのときに名字を変えて、今の私の名字になったそうです。
でも、私は愛媛に住んでいるわけではないのですが。
家系図を見ると、親戚の一族の人たちが今でも数多く愛媛の各地に住んでいるようです。
ブラジルに移住した一族の人たちもいましたね。
父に聞いてみたら、今でもブラジルにその子孫の人たちがいるそうです。
清水谷家は明治の頃、華族になり伯爵の称号をいただいたそうです。
私の家の先祖は、明治の頃に清水谷家の人と交流していたそうです。
ちなみに清水谷家の菩提寺は、かつて紫式部の家があったという京都の廬山寺(ろざんじ)にあるそうです。
去年の1月に廬山寺いったから、そのときにご先祖の菩提寺見てくればよかったぜ。
西園寺家の子孫には、あの西園寺公望がいるので、遠い親戚になるみたいです。
そして、兼家の子孫からは五摂家の近衛家がでており、その子孫にあの近衛文麿がいるので、やはりとお~い親戚になるみたいです。
父からはうちの先祖は江戸時代に伊予(宇和島藩?)の町人(商人)であり、庄屋のまとめ役である大庄屋をやっていた。
やがて、明治になって富裕層で高額納税者だったので、東京に移り住んでなんと衆議院議員(!)になったと聞いたことがあります。
伊予銀行の設立に携わったと聞いたこともありますね。
現在、うちの家は衆議院議員を輩出しているわけでもなく、伊予銀行ともなんの関係もありませんが。
うちの父方の祖先がまさかあの藤原氏だったとはねえ、思いもよりませんでしたよ。
だから、父方の先祖は先述したように、中臣(藤原)鎌足までさかのぼれます。
鎌足の先祖って何者なんだろう・・・? ちょっと調べて見ます。
あと、清水谷というお公家さんのことについても調べて見ます。
余談ですが、母方の先祖は江戸時代林田藩という藩の藩主(!)だったそうです。
とはいっても一万石のこま~い藩なのですが。
だから、親戚の家から江戸時代の漆器とか古いものが大量にでてきてうちの家が預かってるんですよね。
古文書なんかもでてきて私が預かってます、磯田先生に見せたら喜びそうです。
林田藩の藩主は建部(たてべ)家という家が代々就いていました。
この建部家の先祖についても調べてみたいと思います。
以上、うちの家の先祖についての話でした。
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