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台風で下山した後が酷かった

夏山に行くときの混雑を避けたいと思っても、学生時代は9月になると試験がある。でも、サラリーマンになると、9月でも山に行ける可能性がある。

サラリーマンになって間もない9月のこと。
私は、友人二人と立山と剣岳を目指すことにしました。
その時も、台風が近づいていましたが、日本列島に来るかどうかまだ分からない状態でした。

台風が逸れてくれることを期待し、3人は夜行列車・バスを乗り継いで、室堂経由でまず立山に登りました。昼間は曇っていました。
しかし、その日、剣御前小屋に泊まった夜には雨になりました。
今回の台風は、日本列島を直撃する可能性が高くなったらしい。

こうなったら仕方がない。
過去の経験に学び、明日は下山しようと決めました。

そして、翌日は、雨の中タンボ平経由で黒部湖(ダム)至り、さらに大町に出て、大町から夜行列車で東京に向かいました。
しかし、列車が東京に向かうに従って、風雨が激しくなってきたんです。

しかも、深夜になったら列車が停車してしまった。
私は眠かったので寝ていましたが、時々突風が吹きつけます。
その度に車体が大きく傾き、あちこちで「キャー」という女性の叫び声が上がる。

後でわかったことですが、台風は静岡県に上陸したんです

明け方になって目を覚ましたところ、そこは初狩の少し手前だった。
風雨は急速に弱まってきていました。
しかし、せっかく初狩の手前まできているのに、列車は塩山に戻ることになりました。この先は列車が通れない、ということでした。

塩山に到着したら、全員が列車から降ろされました。
もう雨は止んでいます。風もありません。
台風は通過しちゃったんでしょう。

これからどうなるのかハッキリした説明がなかったような気がします。
当時はJRではなく国鉄でしたが、国鉄は相当混乱していたと思います。
乗客は全員塩山の駅で、どうなるか分からないまま待っていました。

乗客の何人かが駅員に食ってかかっていましたが、
我々は「文句を言ったってしょうがないよ」とのんびり待ちました。

電車が来ないのを良いことに、ホームから線路に飛び降りて、
向こう側のホームに行ったりしていました。
そのうち線路には、別の車両(保線用の車両か?)が入ってくることが分かったので、線路に立ち入るのはやめましたが、やることがない。

一度だけ、乗客全員にイチゴジャムのサンドイッチが配られました。
つまり、食パン二枚の真ん中にイチゴジャムが塗ってある。

それだけじゃ腹が減るけど、登山を諦めて帰ってきたので、食べるものは持っています。
手持ちの予備食糧を食べて待っていると、多分、昼頃だったと思いますが、
バスが迎えにきました。

全員それに乗って、多分大月までだったと思いますが運んでもらいました。
途中で、バスの中から、中央線の鉄橋が見えました。
鉄橋の橋桁が流されて消失。線路だけが中空に架かっていたんです。
その線路も、線路を支える鉄骨がないので、途中までしかありません。

大自然の破壊力は何と凄まじい!
あんなところに列車が侵入したら、列車は下に落ちて、乗客全員死んでいたに違いありません。

それを考えたら、「台風にやられた」と不運を嘆くのではなく、「助かった」、「運が良かった」と喜ぶべきだと思う。

こうやって無事に帰れましたが、この時の山行では剣岳を登りそこないました。この後、剣岳を登るのは何年か後になります。

山は逃げないから、また後で登れば良いとよく言われます。
確かにその通りですが、気がつくと時間が逃げている。

つまり、歳を取るということです。
体力がなくなったら登るチャンスもなくなる。

悪天候のせいで、今までに登りそこなった山はかなりの数になります。
しかし、厳しい大自然の中で楽しく遊ばせてもらってウン十年。
思い出せば、ヤバい目にも会ったけど無事でした。
これは喜ぶべきことだろう。

何かに守られていると感じたこともあるし、まことに有難い。
最近は、記事を書くために昔の山行を思い出し、そのたびに天に感謝しています。


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