見出し画像

将来の夢を聞かれたとき、考えすぎて言葉に詰まるという悩み。

2017.07.14 21歳

今日は「将来の夢」について語る。
僕の夢のことではない。将来の夢とは何かという話である。

大学4年生になって、会う人ごとに将来の夢を聞かれるようになった。繰り返し聞かれていることなのに、いまだに僕はその質問の答えがわからない。

「どうして周りの人は、こんなに難しい質問を平気でしてくるんだろう」

質問に答えられない自分と向き合うなかで、一つ気付いたことがある。

【将来の夢を人に伝える難しさ】

僕はいわゆる「就活」をしない選択をした。考えた上の決断だったけれど、他人からは当然「就活をしないなら別にやりたいことがあるんでしょ」という目でみられる。それをプレッシャーに感じるようになった。

「将来何がしたいの?」

何度も聞かれるから、ちゃんと返事がしたい。いや、自分なりに考えて決めたことだったからこそ、答えられないのは悔しい……。

僕にとってこの質問に答えるということは、相手を納得させる以上に自分の人生の選択に自分が納得することだった。

【仕事=将来の夢】

「第一次産業の生産現場で働きたい」

将来の夢を聞かれたとき、大抵僕はこのように答える。この返事を使い始めた理由を説明するために、日常のシーンを思い浮かべていただく。

社会人が初対面の人と出会ったとき、最初に聞くことは何だろう。当然名前は聞くとして、おそらく次に聞くのは仕事ではないだろうか。もしくは手渡した名刺に会社名が書かれている。

「お仕事は何をされているんですか?」

僕はこの質問こそ、社会人版の「将来の夢は何ですか?」だと思っている。起業家などの一部を除けば、社会人に将来の夢を聞くことはないだろう。

もしそうだとしたら、学生に将来の夢を聞く大人の真意は将来何の仕事に就きたいかを知ることにあるということになる。

詳しい話は避けるが、僕の将来の夢は百姓になることだ。百姓とは、暮らしを自分でつくる力のある人間のことを意味している。

しかしこの夢を語ったところで大人は理解しない。なぜなら大人が聞きたいのは僕が何の職業に就きたいか、そしてどうお金を稼ぎたいかだからだ。

だから僕は「第一次産業に就きたい」と答えるようになった。

【大人には夢がないのか】

もし将来の夢がもっぱら仕事を指すのだとしたら、就活が終わった時点でその人の将来の夢は終わってしまうということだ。

うーん。どうなんだろう……。

おそらく表面上は「夢」という言葉を装っていないだけで、仕事の範囲を超えて「やりたいこと」があり、それが大人にとっての夢に該当する。そうだとしたら、「将来の夢」の先にも「夢のようなもの」があるということだ。

【夢を叶えたその後】

おおよそ将来の夢は、語っている本人からすれば叶えることを前提としている。もしそうだとすれば、将来の夢とは人生において通過点でしかないことになる。言い換えるならば、将来の夢を叶えた先に次の将来の夢があるべきなのだ。その夢の先にも、そしてその先にも……。

夢は終わらないという青春めいたことを言いたいわけではない。僕が言いたいことは、将来の夢それ自体よりも叶えた先にある人生を考えることこそ重要ではないかということだ。

【夢とはなんだろう】

たとえばエンジニアになることが将来の夢だとする。その夢はおそらく近いうちに叶うだろう。しかしエンジニアになってどんな仕事がしたいのかということの方が重要で、それは一生をかけて叶えるものだ。

大人に将来の夢を聞かれたとき、きっと彼らはエンジニアや建築士といった職種を聞きたいのだろう。しかし僕の頭は「一生をかけて叶えるもの」を考えている。そこに大きな食い違いがあるような気がする。

「将来何がしたいの?」

この質問に答えられるようになるために、このブログを始めた。今まで感じてきたことをまとめるつもりが、書きたいことは増えるばかりだ。

もっともっと自分の頭の中と向き合いたい。

よろしければ、サポートお願いいたします🤲 いただいたお金はより良い記事の執筆のため、大切に使わせていただきます。