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資本主義社会を拒絶して生きる方法。

2018.03

僕はこの数年間、社会にたいして何度も絶望してきた。社会の闇を探るなかで行き着く社会構造の問題点はいつも資本主義だった。

社会に翻弄されずに生きていく方法について、とことん考えてみることにした。具体的な方法として、田舎で自給自足の暮らしを営むのはどうだろう。

【田舎に住んで資本主義から逃れる】

時間的な視野を広げて考えてみると、実は半世紀前にも田舎への人の流れがあった。西暦に直してみると、1960〜70年頃。その頃は日米安保締結に反対した安保闘争に始まり、全国の大学で学生運動が盛んに行われていた。

学生運動と田舎は一見関係がないようにみえる。しかしその頃の学生たちにも、現在と同じように「田舎」を志す若者が多くいた。

当時の学生たちが目指していたこと。その目標のひとつとして、プロレタリアートの解放があった。プロレタリアートとは、日本語に当てはめると労働者階級のこと。富を独占する資本家たちによって、多くの労働者たちが搾取されている。だからこの労働者たちを資本家から解放し、社会主義国家を樹立させることが、当時の学生たちの目標だった。

もっとも学生運動といっても、中核派、革マル派といったセクト(派閥)に分かれていてたため、それぞれ異なる思想をもっていた。ただ当時の学生の多くが、社会主義国家であるソ連に憧れをもっていたことは間違いない。

【いつから田舎は貧しくなったか】

日本の社会に資本主義が導入されて田舎が搾取され始めたのは、明治維新からである。地租改正がその始まりだった。これによって農民が納める税が、お米からお金に変わった。

田舎は生産現場として「モノ」が豊かな地域だ。だからお金を必要としない社会においては、豊かな暮らしをおくるのに最適な環境となる。

しかしモノをお金に変えるようになると、最「悪」な環境に一変する。なぜならお金を発行・貯蓄する銀行は都会に集中しているからだ。

お金の乏しい田舎は、納税するために生産物をお金に変える(⇨モノがなくなる)。それでも足りないお金を手に入れるために、子どもたちは出稼ぎ労働者として都会に繰り出す。モノがなくなり、そして人がいなくなる。農地は荒れ果て、年老いて死んでいく親の姿が田舎を象徴するようになった。

【田舎は資本主義の被害者】

現代社会にはびこる問題を意識してその解決を試みると、最終的に行き着くのは資本主義あるいは民主主義の限界である。それは日本だけではなく、海外の問題にしても同じだ。

そして資本主義の犠牲となるのはいつだって田舎。いや、資本主義の被害に合った地域を田舎と呼んだ方がいいのかもしれない。資本主義を悪とみなした半世紀前の学生も、その被害地域である田舎に目をつけた。

現代の社会問題の解決を試みると、必然的に課題先進地ともいえる田舎が舞台となっていくのだ。

【資本主義社会を生き抜く方法】

半世紀前の学生たちが目指した社会主義。それは国家が生産手段を独占して国民に仕事を割り振ることによって成立する、競争の生じない平等な社会

それに対して自給自足は、自分が生産手段を独占して自分に仕事を割り振ることにより、他者との競争や比較に巻き込まれない社会

自給自足を小さなコミュニティで行うことも可能だ。

顔の見える関係性のなかで、お金ではなく信頼できる人間関係で社会を成立させる取り組みがある。エコビレッジや地域通貨といったものだ。

これは信頼できる人間関係のなかでコミュニティをつくって、そのなかで生産手段を共有することにより社会全体で行なわれている競争に巻き込まれない小社会をつくろうとしている。

つまり、半世紀前の学生運動も現在の移住ブームも、お金や資本主義を否定することによって新しい社会を生み出そうとするムーヴメントなのだ。

【良い社会をつくる方法】

学生運動が続かなかった理由は、一部の学生たちが過激化して世間との距離が遠のいてしまったことが大きい。あさま山荘事件では、人質を盾に立て籠もり事件まで起きてしまった。

結果としてソ連は崩壊し、社会主義が失敗だったことが明らかになった。

資本主義はよほど天変地異的な何かが起こらない限り変わらないし、変えられないだろう。日本を取り巻く社会のほとんどは、資本主義をベースに成立しているからだ。

学生運動の場合もきっと、社会を変える手段が思いつかなかった結果として過激化してしまったのだろう。

「社会が変わる」という壮大な期待をして、過激化しないように。より良い社会を築くには長い時間がかかるものなのだ。まずは資本主義社会のなかでいま自分にできることから考えていきたい。

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