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19歳の時、海外初ひとり旅でインドに行って考えたこと。

2017.06.24 21歳

僕が今考えていることを話す上で、インドを旅した思い出は避けて通れない。一次産業に興味をもったきっかけももとを辿ればインド旅だったと、振り返ればそう思ってしまうほどだ。

結論から述べると……。

インドの社会が当たり前で日本の社会はあくまで「作られた」社会だというのが、僕がインドで感じたことだった。

【インドのボコボコ道路】

まず、インドはインフラ整備が進んでいないため、道がボコボコだった(デリー市街は除く)。車は隙間を縫うようにして進み、信号のない道で常にクラクションの音がする。僕が滞在していた半月間で、2度事故に遭遇した。

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日本は運転者のマナーも良く、ほとんどの道がコンクリートで固められていて、信号もたくさんある。それは当たり前ではなかった。

【インドは動物がたくさんいる】

インドでは牛が道路にたくさんいる。もちろん犬も猿もいる。糞を片付ける人もいないから、カラカラとした熱気と混じって強烈な臭いがした。

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日本の道路には動物はいない。強いていうならノラ猫がいるけれど、犬、ましてや牛がいたら警察沙汰になる。それも当たり前じゃなかった。

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【インドはトイレが汚い】

ボットン便所であることは言わずもがな、トイレットペーパーがない。代わりに、水の汲んであるバケツが置いてある。左手で拭く。寝台列車のトイレに関しては、列車に穴が空いているだけだった。僕がしたうんちは、走り行く列車から線路に落ちていきました。

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↑ラクダの糞で遊ぶ子どもたち。

【インド人はポイ捨てをする】

ポイ捨ても社会的に容認されていた。ガンジス川で船に乗った時にインド人いわく、ゴミを捨てれば貧しい人が拾うから良いのだとか。

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枚挙にいとまがないのでこれくらいにしておくが、インドと日本の社会を比較したとき、インドの社会こそ当たり前なことに気づいた。

今の日本の社会は、そういう「当たり前」の社会に安全を上塗りした社会だということ。そして安全な社会であるがゆえに、汚い部分に対して無関心な社会でもある。

僕はインド旅行の最終日に野犬に噛まれ、狂犬病の注射7回と破傷風の注射を2回打った。その時はとてもイライラした。インドは日本と違って社会整備が遅れすぎていて、自分はその被害者だと思った。

でも日本の社会にノラ犬がいないのは、1950年に制定された狂犬病予防法に基づいて徹底した野犬の駆除が行われたからだ。減ってはいるものの、今なお大量の犬猫が保健所で殺処分されている。平成27年度における殺処分数は犬が15,811匹、猫は67,091匹。(環境省発表)

ゴミについてはどうだろう。袋に詰めてゴミ捨て場に出しておけば、ゴミ収集車が回収してくれる。しかし捨てたゴミが後でどうなるはあんまり知らない。トイレに関しても同じようなことが言えるんじゃないだろうか。

ゴミ収集車はゴミを、トイレはおしっこやうんちを、自分が暮らす社会から取り除いてくれると思っている気がする。でも、実際そんなことはない。大量消費社会の中でゴミの大量廃棄が問題となっている。ゴミ収集車がゴミを連れていく先も、同じく僕らが暮らしている社会なのだ。


人間が生きるということはそんなに綺麗なもんじゃない。


これが、僕がインドで気づいたこと。

人間の汚さをちゃんと認識して、きれいな社会の裏に蓄積する「汚さ」と向き合っていきていかないと、いつか隠しきれなくなった「汚さ」が、人間がコントロールできないものになって現れる時が来るんじゃないか、と。

そして僕はインド旅行後、大学生活中に一次産業の生産現場を見て回ろうと決意した。それは自分が生きることとキチンと向き合うためだった。

インド旅行は社会のこれからを考える機会を与えてくれたのだった。

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