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私の生い立ち③(大学3年次休学〜)

こんにちは、北海道栗山町の農家妻あやかです。
どんな需要があるかわかりませんが、自己紹介するとなるとあっさりしかお話できない場合も多くて。「井澤農園の4代目の妻です!管理栄養士としても働いています!」くらい?それだと味気ないなぁ、と感じていたのでnoteに書いてみています。

↓生い立ち①では、主に両親からによる私の幼少期の形成を

↓②では、幼少期に培った好奇心を持ってバリバリ外に飛び出し始めた私について客観的に書いてみています。

さて、今日は私の生い立ち③ということで、大学に5年在籍した私の空白の(?)1年から書き始めようと思います。まずは生い立ち①、②を見てね!

農業のことをもっと知りたくて、株式会社FoundingBaseのプログラムを使い、島根県津和野町へ渡った私。津和野町役場の農林課に配属され、業務をしながら町おこしをすることに胸を躍らせた。
津和野町での生活は、同じようにFoundingBaseを介して働くメンバーと一緒にシェアハウスで過ごした。男女問わず沖縄、大阪、東京、クェートからの帰国子女…と一つ屋根の下で暮らす日々は本当に楽しくて刺激的だった。専攻も各々違い、得意分野が違うメンバーに、お互い教えあったりアイディアを交換したり。
クェートからの帰国子女(ニックネームはクララ。女性)が半年ほど先輩として津和野町に居て、同じ農林課に配属されていたため心強かった。上司も素晴らしい方が着いてくださったため、本当に濃くて良い時間を過ごせた。

私が津和野町で何をしてきたかというと、大きく分けて

  1. 津和野町で新しく農業を始めたい人への説明会同行(全国出張)

  2. 月に一度、観光地で行うマルシェの実施

  3. 食育授業、講演会の運営

  4. その他、津和野町で農業からの町おこしになるアイディアの企画・実行

である。中身を詳しく説明していく〜!

1.津和野町で新しく農業を始めたい人への説明会同行(全国出張)

全国の大都市で行われる「新農業人フェア」(違う名前のもあり)という、自治体が一堂を介して「うちの自治体で農業で移住しませんか」というPRを行うイベントがあり、そこで1組に対して30分ほど時間をかけて丁寧に「津和野町で農業をするとこんな生活ができますよ」という説明を行うという業務。その説明会から、実際に津和野町に足を運んでくださる方々に町でアテンドをしたりもした。

津和野町は農業の町、というよりかは「小京都」を売りにしていて、昔からの城下町の街並みを観光地として推している。しかし、長年の人口減少から、移住者を募集しているのだが、移住者を募集する方法としての一つが「農業で移住」であった。そのため、私が配属されていた津和野町役場の農林課の業務として「新農業人フェア」のような全国の非農家が参加できる農業の説明会に出展する業務があったため、私もそこへ同行していた。ここでは農業を新しく始めることのお金を含めた様々なハードル、受け皿である行政の量に対して新しく農業を始めたいという人の数の少なさ、いざ農業を始めてみても机上の計画通りにはなかなか進まないこと、行政と現場のギャップ、移住してから出てくる問題の数についてなどなど…リアルな新規就農について知ることができた。

2.月に一度、観光地で行うマルシェの実施

この業務は、先輩が残していった業務の引き継ぎだった。津和野町は観光地であるため、先輩が農業者の収入アップや町の農産物PRのために観光地でのポップアップ的なマルシェを始めた。
その名も「まるごとつわのマルシェ」。
(↓このノートは私が津和野を離れて何年かしてからの事業が載っていますが、内容はここから見れるかなと思って貼りました。)

先輩も私と同様に大学を休学して津和野町に来ていたため、復学のために東京に戻っていったため、後任の私たちに引き継がれたのがこの事業だった。
マルシェは札幌でも何度かお手伝いした経験があったし、売るのは好きだったためやり甲斐があり楽しかった。お客さんへ珍しい野菜の食べ方を案内したり、売れない野菜はどうやったら売れるかを考えたりするなどの知識がついた。チームでゆくゆくは常設の店舗にしたいと計画したり、私はネットで通販がやりたいと言ったり、その通販で買った感想や「美味しかった、ありがとう」をアプリ上でやりとりできるような仕組みがいいのではと提案したり(ポケットマルシェや食べ直が無い時代にこれ提案した私すごいなと思ったけど事業としてやるかやらないかではえらい違いよね)、町の飲食店にの産物を卸し「この店舗では津和野の農産物を食べられますよ」というマークやパンフレットを作りたいとも思っていたのだが、私が休学をしていた時間では形にする時間が足りず、観光地のマルシェからの発展は企画倒れに終わった。

マルシェでは農家と直接やりとりする機会が多く、私の考えたレシピで加工品を作ってみたり、マルシェで旬の農産物を使った屋台のようなことをしたりもした。地域の日本酒蔵さんと津和野の名産であるわさびをコラボレーションし、新しいお酒を作る商品開発も始めたが、期限内で商品化する事は叶わなかった(私がいなくなってからも酒蔵さんがレシピを受け継いで試行錯誤してくれてたようだがどうかな〜)。

3.食育授業、講演会の運営

津和野町のイタリアンシェフが三國清三シェフとご縁があり、毎年三国シェフをお呼びして「味覚の授業」を開催していただいていた。その10周年か何か(失念!)の大きな節目で、私が滞在していた年は服部幸應先生もお呼びし大々的にイベントをやろうということで、2日間のイベントプログラムを作って集客し、子ども向けに料理コンテストを発足した。
町の料理人の方々の今までの積み重ねやご協力もあり、大盛況。管理栄養士業界でも有名なお二人にお会いできて光栄だったし、食育の授業はとても勉強になったし、お金を払ってもできない経験に震えた。

4.その他、津和野町で農業からの町おこしになるアイディアの企画・実行

1の新農業人フェアの出張に合わせて上司や仲間と一緒にさまざまな農業の場を研修させてもいただいた。見聞を持ち帰り、津和野町に活かせるようなアイディアにできないかと模索した。
結果として、休学期間や、「自分が津和野町に滞在する期間は1年」という期限を作った中ではビジネスはできなかった。ポッとアイディアを出すことはできても、責任を持ってPDCAを回す事はできない。やるからには、自分の人生の時間をかけて行わないと何も実らないということを知った。それに、どこの誰かわからない学生に何か任せてくれることなんてほぼ無いよ〜ということを理解できた。農家だけに限らず、遊びの余白を持っている町の人もいるけれど、やはり仕事や事業は遊びではないということを肝に銘じた。
この学びから、時代は風の時代と言われ始めていたが、「私はやっぱり地域に根を張ってPDCAをぶん回したいな〜」と思い始めた。

そんなこんなで濃厚で、ゲームの中のような、夢のような日々を過ごしていたのですが、津和野町で退っ引きならない事件が起き11月に北海道に戻った私(ここだけは私は語りません笑)。
ただ、1年休学予定だったため、以前から面識があったホワイトフード株式会社の社長の下でオンラインショップ運営のさまざまな面(カスタマーサービス、商品開発、商品発掘、ショップを作る裏側などなど)を経験させていただき、大学に戻っていきました〜

大学に戻ってからは、津和野に行く前に運営していた農業体験イベントの運営をしたり、他大学の農業系サークルにお邪魔させていただいて農家さん巡りをしたり。
卒業単位を取得するために大学にも通ったし、第一種栄養教諭免許の取得のために小学校の教育実習にも行き、管理栄養士の国家試験取得のために勉強もした。
スポットでバイトもしたし、栄養士の卵としてレシピ作りのお仕事をしたり、クラウドワークスでもレシピの仕事やライターをやったりして、なんとまぁ落ち着きなく満喫。

卒業後の進路を考えていた中、大学1年の時から私のことを知ってくださっていた方からのご縁で栗山町の地域おこし協力隊を業務委託でお仕事させていただけることに。こうやって栗山町にたどり着いたのでした。

また3000字以上になったので、栗山町で地域おこし協力隊としてやったこと、夫との出会いなどはまた次回以降にまとめますね🔥

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