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非日常シリーズの新作が完成したので、その想いを書いてゆこうと思います。
タイトル「未知」
私自身の、幼少期。
普段は食べられない
ちょっと贅沢なカニ缶の想い出。
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「今日のご飯は、蟹です。」
母親は私にお作法の一つでも教え始めるかのような口ぶりで、
この時のために、以前より買い置きしていたであろうカニ缶を
戸棚から取り出し、食卓机の上にそっと置きました。
私は、それをまじまじと眺めていて、
![](https://assets.st-note.com/img/1732088464-JxXyEfCZSQguvH8I0wekLzFG.jpg?width=1200)
水族館で見た”かに”と、目の前の”蟹”が同じものだとは理解できず。
それにモヤモヤしていた私は、思いついたかのように
「この中に、かにが入っているの?」と聞くと母親は
「そうです。」と短く肯定し、
缶切りを缶に突き立て開け始めたのでした。
―――あの生きた”かに”が、この中に入っていて
開けたら出てくる。
長い足を缶にかけて開けた隙間から
ぬるっと出てくる。
![](https://assets.st-note.com/img/1732088487-IfjyJZP72KiOMXpDRStCohqN.jpg?width=1200)
思い返せば、その時の私は知らないことばかりが故にあまりに純粋で。
缶から這いずり出てくるだろう蟹に対する恐怖や、
逃げないように捕まえるにはどうしたらいいのか、
ハサミで挟まれたら痛いだろうな、
などの様々な感情に揺さぶられていて、
結局のところは、母親にしがみつきながらカニ缶を半泣きで
睨みつけているのみであったことをよく覚えています。
![](https://assets.st-note.com/img/1732088498-l9sf2yOZvpLYSa5qM3enFEub.jpg?width=1200)
幼い頃は、
行ったことがない場所に行く、とか
見たことがない物に触れる、など
毎日のように「初めて」が訪れていたんだ、と思います。
”知らないこと”が当たり前だからこそ、
新鮮な心持ちで学び・経験しつつ、
ときには恐れたり躊躇いつつも、
もがき立ち向かいながら、ひとつひとつ乗り越えていく。
![](https://assets.st-note.com/img/1732088513-zYyPsl7D4awIq9Tfi1jFBmkg.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1732088555-v7DXu1QicKPFtsoZygeqCl02.jpg?width=1200)
年を重ねて大人になるにつれ、未知に接する機会は
自ら意識して動かない限り、簡単になくなってしまい、
変化のない日々が日常になる。
でも、ふと周囲に目を見やると無数の未知がまだそこにはあって、
いざ子供の頃のような無邪気さで探してみたりすると、
未知の「初めて」に出会える。
![](https://assets.st-note.com/img/1732101167-rEc9Toj1ZDJ6dX2vwLPIqNkA.jpg?width=1200)