RSR24でRIZEのステージに上がった話

1年をライジングサンの為に頑張ってる人間なのだが、その頑張ってる仕事をライジングサン1ヶ月前に色々あって退職する事になり無職に…
毎回不幸話から始まるライブレポを8年ぶりに書こうと思ったのはもう起こらないと思っていた奇跡がまた起こったもんで筆を取りました。

前回ライブレポを書いた16年前後僕はなんとなくモヤモヤした気持ちを抱えてた。
2011年3月11日以前と以降でライブシーンは変わったと個人的に思ってる。
それまでは楽しくやろうぜ!って雰囲気だったライブに思いやりだったり、メッセージ性が強く付いてくるようになって、震災直後の2〜3年は被災地や困ってる人に思いを馳せよう、そして2014年前後からは行動に移そうと呼びかけるバンド、呼びかけなくても態度に示すバンドが増えた。
そんな呼びかけにその場では呼応して盛り上がるお客さん達を観ながら、自分も含め果たしてこの中のどれ位の人が行動に移すのかと捻くれた疑問が浮かんでた。
今バンドが求めてるのはライブに頻繁に通ったり、グッズを買う事より被災地に行く等の行動に移す事なんじゃないかと自分なりに解釈した結果ライブハウスから足が遠のいて、代わりにできる範囲のボランティアに比重を置きはじめたのが16年前後。
これはあくまで個人的な考えなので良い悪いではないと添えておく。
そんなモヤモヤしてた時期にモンパチ主催のwww16にてRIZEのステージに上がるという奇跡が起きて、やっぱライブは最高って捻くれた僕を救ってくれたのが彼らだった。

もんぱちフェスにて


そしてもう一つ僕がやっぱライブ(フェス)最高だなと思ったのがライジングサンとの出会い。
14年から2年間誘われてたけどお盆のハイシーズンにフェスが日常の関西からわざわざ遠征して北海道まで行きたく無いと断ってた。
しかし断りきれなくなり16年に渋々ライジングサンへ行く事に、チケットや飛行機取ってからも気が進まず、当日の朝も今回だけだからなと同行した友人達に謎の意地をはっていた。
ところが会場前に着いた途端スケール感に圧倒された、横20列で並んで下さいというアナウンスは人生初だったし、その中の7割位の方がキャンプ装備を持って大移動してる姿は圧巻だった。
入場してからも日本一の面積を誇るライジングで3日間自由を堪能した。好きな時音楽を聴き、好きな時肉を焼き、好きな時酒を飲み、好きな時寝れる、私生活も割と好き放題生きてきたが、産まれて初めて自由を実感した。すっかりライジングサンの魅力に取り憑かれたのだ。
他のフェスやライブは終わってしまうと喪失感やロスが有るけどライジングサンは終わった瞬間来年はもっとこうしようと、次のライジングサンが始まっていた。ロスを感じる間もなくワクワクが押し寄せてくる。〇〇の為に一年生きるとはこの事かと人生観変わったし、もっと早く行っておけばと後悔した。
早速その体験をライブ仲間50人以上に話して絶対行った方が良いと説いて回ったが、悉く断られた。
理由は愚かだった頃の僕と同じだった、予算、遠い、時期が悪い、RSR行くなら他のライブ3本行く等。
更に衝撃だったのは一回行ったからもう良いかなって方が数人居て、あの空間を体験したのにそんな…という気持ちだった。特にキャンプしなかった方やソロ参加の方はその傾向が強かった。
確かに僕も友達とキャンプしたから自由を満喫出来たんだよなと思った。
何としてもライジングサンの良さを広めたいと思った僕は、皆の飛行機代、チケット代は出せないけど皆の腹は満たせるんじゃないかと現地で炊き出しのような事をして、チケットさえ握りしめて来れば現地ではお金をかけず楽しめる場を作ろうと思った。
また関西のフェスだとシートを敷いた前後左右はすぐ仲良くなってそのまま飲みに行くなんて事もザラにあるが、ライジングサンではテント建てて2泊3日過ごしても隣のテントの人と話した事が無いって方が殆どだった事にも驚いたので、無料で飲食出来て(時間無制限食べ飲み放題!)皆が気軽に交流できる場を作ろうと無料の居酒屋企画を17年からやっている。
僕の名前が店名になってると思ってる方が多いけど
そこまで自己主張強く無い(目立ちたがりではあるけど)
ライジング常連の某アーティストから拝借しております。
勿論公式とは一切関係無いし、ガイドライン、マナー、衛生面管理を遵守した上で個人が勝手にやってる活動だが、お陰様で7年目を迎えた。
支えてくれてる協力者やお客さんには感謝しきれない。
前置きがかなり長くなったが、この文章は前回のレポを読んでくれた方とRIZEに僕の8年間を知って欲しくて書いているのでご了承下さい。

RIZEもこの8年で色々有ったと思う。良い事も悪い事も、本人達にしか分からない事に僕は何も言う事は無いので6年ぶりのライブをただただ楽しみにしてた。
前述の居酒屋企画に精を出し過ぎてライジングサンでライブを観るのは19年のDragon Ash以来の事だった、RIZEだけは何としても観たいと20時に閉店して、友達と一緒にステージへ向かった。
久々のRIZEのライブはドキドキや胸騒ぎが入り混じったような感情で待って居たが、4人がステージに登場したら、お帰りなさい以外の感情は無かったし、あっ君がドラムセットの椅子から力強く手を挙げた時もう何も心配しなくて良いって思えた。2曲目の神で気付いたらダイブしててそこからは7曲目In or out前のMCまで夢中でライブに没頭してた。いつ聞いてもheiwaは胸にくるんだけど終戦記念日翌日に聞けた事が嬉しかったし。こうして毎年ライジングサンで楽しく過ごせてる事に改めて感謝した。
そして10曲目の日本刀でのダイブ中客席前まで降りてきてたJESSEが思いっきり頭を掴んでくれて、その時やっぱRIZEが帰ってきた!と強く実感。
最後の曲カミナリ、僕にとっては人生変わった曲だし今日も誰かが人生変わるんだろなって思い迎えた。
言わなきゃ後悔すると思ったからダイブ後にお帰り!ありがとう!てステージに向かって叫んだら
JESSEから指差されて、お前上がれ!て言われた
たくさんのお客さんやスタッフさんが居たけどその瞬間はRIZEメンバーと僕しか居ないような錯覚の中ステージに上がってマイクを握った。
その後もJESSEとKenKenが上がれる奴全員上がれと煽っていたので後からどんどん皆がステージに上がってきた。
僕は後ろを振り返る余裕が無く他のお客さんどころかRIZEメンバーすら全然見えなかった。
人生を懸けて楽しみにしてる石狩の地のステージに立っているという状況が飲み込めなかったが確かに自分が立っていた。喧騒の中演奏が再開して一心不乱に歌い始めるも、30人位が登ってきたらしくほぼ客席状態のステージで演奏こ音も全然聞こえない、でも客席の皆の顔が最高だった。だんだん周りが見えてきてラスト1パート辺りでステージ上に少年が居るのに気付き、ハッとした。あの子にマイク渡さないと!と思いつつ歌えなかったらどうしようかと不安になったので肩組んで一緒に歌った。
もっと早く気付いたらなと後悔したけど今回はRIZEメンバーを見失う位混雑したステージだったし自分でも何が何やら分からないうちに終わったけど、ただただ楽しかった。これぞライブ、ライブは生き物、これを体現できるのはRIZEだけだろ!て。
という事で今回のレポはステージ上の描写もかなり雑で7割位は自分語りなんだけど、ドタバタ感というか、これだけの凄い体験したのに細かい描写が吹っ飛ぶ程混沌としたステージだったてのが伝わったら良いかなって思う。
興味あれば8年前僕がステージ上がった時の記事も是非読んでみて欲しい。

https://www.barks.jp/news/?id=1000135277
同じ人が書いたと思えない位今回のレポは稚拙でこちらに書いたので今回はRIZEを好きになった経緯等は割愛したが、RIZEは僕が好きなRIZEのままだった。

翌日には僕がステージに上がった話が広まっていて
良かったね!と言って貰えるかと期待してたのが
少年からマイクを奪った男とか
少年を押し退けてステージに上がった男として悪名が轟いていた(爆笑)。
後に知ったが僕は一人で歌ったと思っておりJESSEのマイクで歌ったけど
RIOのマイクで歌ってた人も居たし
少年は元々KenKenのマイクで歌っていたらしい。
そこに僕がお節介で肩組んでマイク向けたもんだから少年はさぞかし迷惑だったであろう…
素敵な思い出になればと意気揚々と向かっていったのが逆効果だった。そして歌い終わった後マイク持って帰った姿を見た人からすれば、アイツ今少年からマイク奪ったぞとなり、その話に尾ひれがついて少年を押し退けてステージに上がった男になった訳だ、落語のようなオチがついたので今回はこんな感じで締めたいと思います。
ライジングサン行きたいけど迷ってる方やハードル高いなって方は全力で応援するので気軽に連絡下さい!いつか石狩の地で会いましょう
そしてRIZEの皆さん何度も救ってくれてありがとう、あなた達は最高のロックバンドです。これからも僕みたいな馬鹿の為にステージに立って下さい。

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