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【鑑賞日記】お家をまわる子育て地蔵展を観に行った

お家をまわる子育て地蔵 @平塚市博物館

いまでも地蔵をまわしている地域がある。しかも都内や神奈川県内というご近所といってもよいところで。このことにまずは驚きました。

本企画を見知ったときには、正直なところ昭和初期あたりまでの歴史についての展示なのかと思っていたのです。
ところが、都市化された都内周辺においてなお続いているという事実に、とにかく、すごいと思うばかりです。

都心近郊なので、地域でもひとの転入/転出も少なくないはずで、そのようななか、どうやって地域に根付く伝承伝統を継承しているのだろうという点がとても気になりましたが、今回その点に対する言及はあまりありませんでした。

もっともすこしずつ”まわす”ことも少なくなっていく。そしてやめてしまうという地域もあるそうで「さもありなん。まあそうなるだろうなあ」とも思うのでした。

今回の展示内容は、神奈川県を中心とした地域の風習となっており、これがほかの地方の場合だと、また状況は違ったりするのかもしれません。

まわり地蔵というシステムは、自分にとってはただの仏像好きという即物的な個人的趣味では思いもよらない、地域における宗教行事とコミュニティの強いつながりのようなものがあるのだろうと思うのです。
ここ最近、地域で管理している仏像などの御開帳を見に行く機会が増えており、地域における素朴な?信仰的結びつきについて、あらためて考える点が多いと感じています。

もうひとつの展示内容である講もまた実に面白い内容でした。

展示では講という風習はどんどんと廃止になってきているとあります。
講は単なる男衆の飲み会のためという要素はやはり強くあるなか、そういう地域でのひとづきあいがわずらわしく感じる世の中になってきており、消えていくのもやむを得ないでしょう。

コミュニティはけして継続性のあるものではありません。かつては連続した世代をかかえている地域コミュニティ構造があって成立していたものが、職住がバラバラで関わる機会を減じてしまった社会構造ゆえに分断されてしまっているわけです。
簡単にいえば、誰しもたいして親しくもない年長者からあれこれいわれることなんていやだし、だったら関係を持たなくてもいいよ、ということです。

ここらへんの話は自分の課題認識でもあるので、かなり興味深いものでもありました。

と、ちょっと脱線してしまいましたが、講の変遷において、地域の旅行会になっていったとか、女衆の集まりに変化したとか、消失に至る経過の中でいろんなかたちに変化していったという事実は、コミュニティ構造の変化の歴史として興味深いと思いました。

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