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伊豆峯次第 拝所一覧①〜熱海市編〜

1.先達之宿場

【月日】12月15日
【近世の集落名】
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】先達の宿所より、発足の者也、
【豆州志稿の記述】

伊豆修験の上席とされた円光院が「伊豆峯」の辺路修行の先達を勤めたとされている。『先達の宿場』とあるので円光院と思われるが、現在に円光院は存在しない。

伊豆山村内には円光坊以下、西蔵坊、宝珠坊、円秀坊、歓喜坊、定光坊、常福坊の7坊が散居していた。修験者は半僧半俗の宗教者であり、一般の庶民と変わらぬ生活を送りつつ、伊豆峯辺路の修行などで得た験力を以て、人々の求めにより加持祈祷を行ったり、陰陽師的な活動も生業としていたと知られている。

明治初年の神仏判然令を受け表舞台から姿を消した伊豆修験は、伊豆山神社の禰宜として神明に奉仕することになったが、引き続き自坊では「円光院禰宜先達」として「伊豆山不動明王」を信仰の対象として祀られ続けたそうだ。


2.下之両社末社等

【月日】12月15日
【近世の集落名】
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】上の宮を距ること五町許り 祠二つ白道明神早追権現なり 講堂中堂と号し神主仏像を安す 上の宮も昔に比すれば誠に百分の一なりと伝う


3.役行者堂

【月日】12月15日
【近世の集落名】
【現在の名称】足立権現社(遷座)
【伊豆峯次第の記述】ぬる水にて、本社へ御左右の具立る、
【豆州志稿の記述】即ち役行者の住まいし所の庵なり 旧く新磯の小勾戸ニ在り寛政甲寅歳ここに移す

修験道の開祖とも伝えられる役行者(えんのぎょうじゃ)こと役小角(えんのおづぬ)を祀られ、健脚の利益があるという。明治以降、現在の地に移され、「足立権現」と改めた。

伊豆大島に流刑されると、島を抜け出して伊豆山で修行し、虹色の輝く湯煙から伊豆山温泉の源泉である走り湯を発見したとされる。また島から海上を飛行して富士山で修行したなどの伝承でよく知られる、続日本記に記述のある実在する呪術者である。

伊豆山神社の下駐車場から109段、境内から58段。階段途中に鎮座している。

足立権現社
熱海市伊豆山731


4.権現

【月日】12月15日
【近世の集落名】神戸山 下馬村
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】権現へ礼拝並びに具立る


5.山王権現

【月日】12月15日
【近世の集落名】藤澤
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】


6.湯前大権現

【月日】12月15日
【近世の集落名】熱海村
【現在の名称】湯前神社
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】伊豆峯記に湯前権現鳥とす 熱海温泉伝云 天平勝宝元年六月神小童に託して温泉を汲取て之に浴せば能く衆疾を治せんと教示す 里人因て祠を建て少彦名命を祀ると

湯前神社と名がついているとおり、熱海温泉と深い関係のある神社。創建時期は天平勝宝元年(749)とあるが、熱海の地に温泉が湧出した約1500年前には、すでにお祀りされていたという伝承がある。

石鳥居をくぐると右手に、熱海温泉本来の源泉とされる大湯(おおゆ)が岩から湧いている。

湯前神社 
熱海市上宿町4-12


7.来宮大明神

【月日】12月15日
【近世の集落名】熱海村
【現在の名称】来宮神社
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】野竹洞の温泉日新録に村俗云 昔海浜の民綱を挙げて一奇仏像を得たり祀りて神とす 神人は託し日山中潮声を聞かざるの地四楠樹あり 我その地に祀るべしとは村民此の地を視て小祠を立つ或は五十猛命と称す 政文記に據れば弘仁元年白道明神を祀るなり

「だいこくさん」こと来宮神社の創建は不明。今から3000年以上前、オオナムチが出雲からこの地にやってきたのがはじまりとされている。その後、約2000年前にヤマトタケルが祀られ、約1300年前にイタケルが祀られたという、歴史の深い神社。

「楠への小路」を抜けると、国指定の天然記念物でもある大楠の御神木がある。樹齢2,000年以上、高さは26メートル、幹の太さは24メートル。環境省の調査では、全国2位の巨樹という認定を受けている。

時を超えても衰えることなく芽吹く、強い生命力。今も成長し続け、超越した生命力を有することから、大楠を一周することにより長寿の利益があるという。

境内には神社直営のオープン・カフェ「茶寮 報鼓(ほうこ)」がある。來宮神社の神様が古来召し上がったという「麦こがし」や「橙(だいだい)」などを使ったスイーツやドリンクが味わえる。

来宮神社 
熱海市西山町43-1


8.紀僧正

【月日】12月15日
【近世の集落名】熱海村
【現在の名称】善祐墓(移転)
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】

紀僧正は、三代将軍徳川家光が熱海御殿を造営した「熱海御用邸跡地」から古屋旅館敷地内に移転されている。創業は文化3年(1806)200余年続く熱海で最も歴史のある老舗宿である。

「続日本紀」によると寛平8年(896)、京都東光寺の僧・善祐が密通の罪で阿多美郷(今の熱海)に流刑となった記録がある。善祐は熱海市和田浜に住み、松を植え枝を都の方角に曲げて京都を偲んだという。時を経て善祐のお墓はこの地に移され、現在に至る。

天満宮
熱海市東海岸町5-24


9.天満宮

【月日】12月15日
【近世の集落名】和田濱
【現在の名称】古屋天満宮(遷座)
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】旧御殿の地に在り 神像高さ一尺二寸許り海浜にて漁人拾い得て宅の中に祀るその後深川亀井戸神主信侑来り 是像を拝し曰く 菅相公築紫に謫さられし時手自から真像七体を彫刻し海に投じその住く処にまかす 其の六体今見に在り今此の像正にその一体ならんとその證を指示す 則ち地を買い祠を建て天神山と名付く 亦祠田を寄付し社人を定む 近年今の地に遷し亦信佑の霊社を造り末社とす

天満宮は、天神山から古屋旅館敷地内に遷座されている。創業は文化3年(1806)200余年続く熱海で最も歴史のある老舗宿である。

古屋旅館の敷地に入るとすぐに目を引くのが「古屋天満宮」の鳥居。玄関脇には天満宮を守る大蛇の化身の言い伝えのある「おろち松」があったりと、古屋旅館には老舗らしく歴史を感じさせるものが数多くある。

延喜元年(901)菅原道真が九州の大宰府へ流刑されたとき、自分の姿を彫った木像7体を海に流した。長い年月を経て、そのうちの一体が熱海の海岸に打ち寄せ、漁師が拾い上げて祀ったものが、この天満宮のご神体だと伝えられている。ご神体は、背丈が63センチメートルで、膝や背中に貝殻が付いているそうだ。

古屋天満宮
熱海市東海岸町5-24


10.日野明神

【月日】12月15日
【近世の集落名】上多賀村
【現在の名称】多賀神社
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】昔し村西山中の山王の祠あり 近世日の御影と言う木像海浜に流れ寄たるを取り上げ山中山王の祠を此に引て木像を納め又伊奘諾伊奘冊二尊の像を造り総て日の少宮と号す 山王は却て末社と為て留守居の神と言い山中の祠に影降石のこりあるのみ

多賀神社の創建年代は不明。ただ延喜式の式内社「白浪之彌奈阿和命神社」に比定されていることから、少なくとも延喜年間(901- 923)には既に存在していたと推測される。

また、奈良時代の平城京の木簡に「有雑郷多賀里」とあるので、この地域は
現在まで、大化の改新後の律令時代と変わらない地名であることがわかる。

鳥居をくぐり、境内に入ると5本の高木が枝を広げている。特に社殿左の大きなクスノキが目を惹く。そして境内では古代の祭祀遺跡が発見されており磐座が安置されているので、延喜以前から何らかの聖地だったと想像できる。古墳時代から奈良時代にかけて早くも神社の原型のようなものが形成されており、こういったものも伊豆峯の拝所に組み込まれている。

多賀神社
熱海市上多賀741-1


11.松尾大明神

【月日】12月15日
【近世の集落名】下多賀村
【現在の名称】下多賀神社
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】本と多賀大社と言う 里人言う江州犬山郡多賀の神社と同神なりとされば伊奘諾尊を祀るなり 按するに神名記に熱海湯の明神の次に多の明神を載す 即ちこの神なるべし 蓋し神名記賀の字を脱するなり 昔しは多賀両村の総鎮守にして大祠なり 末社四十ありみな近村に移す

地域の中心であった下多賀神社。境内からは縄文土器や石器、経塚遺物が発見されている。福岡藩の史料によると、この土地の字名である「新釜」には築城石を管理する「石番」を置いていた。境内の石垣には堅い安山岩、階段などには上多賀の曽我浦で産出する青い凝灰岩が使われている。

古来より、向かって左の石を「蛙石」と呼び、田植えの頃など雨の欲しい時にこの石を揺すって雨乞いをした。右の石には特に呼び名はないが、蛙石とは反対に晴天を祈願する時にこの石を揺すったという。祭神が夫婦であることから、この一対の石は「夫婦(メオト)石」と呼ばれている。

下多賀神社
熱海市下多賀1374-1


258.役行者

【月日】1月27日
【近世の集落名】日金山
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】


259.地蔵大菩薩

【月日】1月27日
【近世の集落名】日金山
【現在の名称】日金山東光寺
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】地蔵を祀る 古戦録に云う 粟田口東光寺の善祐僧正此の辺にさまよいあるき往なれし 旧院のゆかしさにかりそめの庵を繕い現在の迷妄を果し将来の快楽を願うてこの仏像を居置き侍りしにやと その東光の寺の名同じく 且つ寺の立し事至りて古詩と言手伝うれば此の説是とすべし七坊あり 皆妻帯僧なり 下同

「日金山には鬼がいる」といわれ、昔から伊豆地方で亡くなった死者の霊は日金山に集まるという伝承がある。

春秋の彼岸に日金山に登ると「会いたい人の後ろ姿を見ることができる」という言い伝えは、まさに山上他界を表した神仏習合の伊豆修験と言えるのではないだろうか。

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、東光寺に厚い信仰を寄せていた。本尊として祀られている「延命地蔵菩薩像」は、頼朝公が建立したと伝えられている。 地蔵菩薩は、自らを地獄に身を置いて、地獄で苦しむ者を救ってくれる仏なのだという。

佛足ふみ。足腰の健康の祈願というのも伊豆修験の道に相応しい。

日金山東光寺
熱海市伊豆山968


260.地蔵堂

【月日】1月27日
【近世の集落名】土沢
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】延教の記に曰く 日金参登の路側月光童子の松下に庵室を構え紀僧正参蘢有て愛染明王の秘法を行うと 即ち是なるべし 伊豆山より日金山へ往にはここを経るなり これ相去る事十町計


261.本宮大権現

【月日】1月28日
【近世の集落名】
【現在の名称】伊豆山神社 本宮
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】

伊豆山赤井谷の谷頭に営まれた本宮。伊豆山神社は、応神天皇4年(273年)、神鏡を日金山に祀ったのが始まりとされ、承和3年(836年)神霊が本宮山を経て、現在の伊豆山神社に遷座された。

昔、この地には水神社(奈良県吉野村の丹生川上神社)が祀られていたが、行方不明になっていたという。再びこの地に土石流の水害が起こることないよう、令和4年(2022)水神社が新たに本宮社の隣に建立された。

境内を見回してみると参道も整備されている。お披露目はいつだろうか。つい一年前はお世辞にも人が来るような雰囲気ではなかったが、現在は人の手が入り地域の愛着を感じる。伊豆半島一周して気づいた事「神社は地域の鏡」である。

伊豆山神社 本宮
熱海市伊豆山1083


262.産之大明神

【月日】1月28日
【近世の集落名】
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】


263.白山大権現

【月日】1月28日
【近世の集落名】
【現在の名称】白山神社
【伊豆峯次第の記述】此所にて、天下安全、御武運長久の柴燈護摩修行さしめ、本社並末社の札、一所に奉る、納者なり、則二月十五日御祭礼まで、白山二ノ宿に相勤、十五日掛これを出て、山伏芨渡しの作法有り、柴木の祭禮とて、長さ三丈二尺の柱を立て、其上にて柴燈護摩修行す、口傳、
【豆州志稿の記述】

白山大権現。伊豆山神社から20分ほど登っていくと巨岩が姿を現す。

巨石を背負った姿が神秘的であり、修験の磐座信仰を感じる場所だ。社殿の裏の急こう配を登ると、「白山大権現」と彫られた小さな石造りの祠。巨岩に隠れるように鎮座している。実はこちらが元々の白山神社だ。

白山神社を下っていくと修験者の行場跡がある。修験道の開祖とされる役小角や末代上人、弘法大師こと空海も、この伊豆山で峰入修行を積んだと伝えられている。

白山神社
熱海市伊豆山


264.白岩童子

【月日】1月29日
【近世の集落名】
【現在の名称】
【伊豆峯次第の記述】
【豆州志稿の記述】



出典:伊豆修験の考古学的研究ー基礎的史資料の再検証と「伊豆峯」の踏査ー



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