伊豆峯次第 拝所一覧①〜熱海市編〜
1.先達之宿場
伊豆修験の上席とされた円光院が「伊豆峯」の辺路修行の先達を勤めたとされている。『先達の宿場』とあるので円光院と思われるが、現在に円光院は存在しない。
伊豆山村内には円光坊以下、西蔵坊、宝珠坊、円秀坊、歓喜坊、定光坊、常福坊の7坊が散居していた。修験者は半僧半俗の宗教者であり、一般の庶民と変わらぬ生活を送りつつ、伊豆峯辺路の修行などで得た験力を以て、人々の求めにより加持祈祷を行ったり、陰陽師的な活動も生業としていたと知られている。
明治初年の神仏判然令を受け表舞台から姿を消した伊豆修験は、伊豆山神社の禰宜として神明に奉仕することになったが、引き続き自坊では「円光院禰宜先達」として「伊豆山不動明王」を信仰の対象として祀られ続けたそうだ。
2.下之両社末社等
3.役行者堂
修験道の開祖とも伝えられる役行者(えんのぎょうじゃ)こと役小角(えんのおづぬ)を祀られ、健脚の利益があるという。明治以降、現在の地に移され、「足立権現」と改めた。
伊豆大島に流刑されると、島を抜け出して伊豆山で修行し、虹色の輝く湯煙から伊豆山温泉の源泉である走り湯を発見したとされる。また島から海上を飛行して富士山で修行したなどの伝承でよく知られる、続日本記に記述のある実在する呪術者である。
伊豆山神社の下駐車場から109段、境内から58段。階段途中に鎮座している。
足立権現社
熱海市伊豆山731
4.権現
5.山王権現
6.湯前大権現
湯前神社と名がついているとおり、熱海温泉と深い関係のある神社。創建時期は天平勝宝元年(749)とあるが、熱海の地に温泉が湧出した約1500年前には、すでにお祀りされていたという伝承がある。
石鳥居をくぐると右手に、熱海温泉本来の源泉とされる大湯(おおゆ)が岩から湧いている。
湯前神社
熱海市上宿町4-12
7.来宮大明神
「だいこくさん」こと来宮神社の創建は不明。今から3000年以上前、オオナムチが出雲からこの地にやってきたのがはじまりとされている。その後、約2000年前にヤマトタケルが祀られ、約1300年前にイタケルが祀られたという、歴史の深い神社。
「楠への小路」を抜けると、国指定の天然記念物でもある大楠の御神木がある。樹齢2,000年以上、高さは26メートル、幹の太さは24メートル。環境省の調査では、全国2位の巨樹という認定を受けている。
時を超えても衰えることなく芽吹く、強い生命力。今も成長し続け、超越した生命力を有することから、大楠を一周することにより長寿の利益があるという。
境内には神社直営のオープン・カフェ「茶寮 報鼓(ほうこ)」がある。來宮神社の神様が古来召し上がったという「麦こがし」や「橙(だいだい)」などを使ったスイーツやドリンクが味わえる。
来宮神社
熱海市西山町43-1
8.紀僧正
紀僧正は、三代将軍徳川家光が熱海御殿を造営した「熱海御用邸跡地」から古屋旅館敷地内に移転されている。創業は文化3年(1806)200余年続く熱海で最も歴史のある老舗宿である。
「続日本紀」によると寛平8年(896)、京都東光寺の僧・善祐が密通の罪で阿多美郷(今の熱海)に流刑となった記録がある。善祐は熱海市和田浜に住み、松を植え枝を都の方角に曲げて京都を偲んだという。時を経て善祐のお墓はこの地に移され、現在に至る。
天満宮
熱海市東海岸町5-24
9.天満宮
天満宮は、天神山から古屋旅館敷地内に遷座されている。創業は文化3年(1806)200余年続く熱海で最も歴史のある老舗宿である。
古屋旅館の敷地に入るとすぐに目を引くのが「古屋天満宮」の鳥居。玄関脇には天満宮を守る大蛇の化身の言い伝えのある「おろち松」があったりと、古屋旅館には老舗らしく歴史を感じさせるものが数多くある。
延喜元年(901)菅原道真が九州の大宰府へ流刑されたとき、自分の姿を彫った木像7体を海に流した。長い年月を経て、そのうちの一体が熱海の海岸に打ち寄せ、漁師が拾い上げて祀ったものが、この天満宮のご神体だと伝えられている。ご神体は、背丈が63センチメートルで、膝や背中に貝殻が付いているそうだ。
古屋天満宮
熱海市東海岸町5-24
10.日野明神
多賀神社の創建年代は不明。ただ延喜式の式内社「白浪之彌奈阿和命神社」に比定されていることから、少なくとも延喜年間(901- 923)には既に存在していたと推測される。
また、奈良時代の平城京の木簡に「有雑郷多賀里」とあるので、この地域は
現在まで、大化の改新後の律令時代と変わらない地名であることがわかる。
鳥居をくぐり、境内に入ると5本の高木が枝を広げている。特に社殿左の大きなクスノキが目を惹く。そして境内では古代の祭祀遺跡が発見されており磐座が安置されているので、延喜以前から何らかの聖地だったと想像できる。古墳時代から奈良時代にかけて早くも神社の原型のようなものが形成されており、こういったものも伊豆峯の拝所に組み込まれている。
多賀神社
熱海市上多賀741-1
11.松尾大明神
地域の中心であった下多賀神社。境内からは縄文土器や石器、経塚遺物が発見されている。福岡藩の史料によると、この土地の字名である「新釜」には築城石を管理する「石番」を置いていた。境内の石垣には堅い安山岩、階段などには上多賀の曽我浦で産出する青い凝灰岩が使われている。
古来より、向かって左の石を「蛙石」と呼び、田植えの頃など雨の欲しい時にこの石を揺すって雨乞いをした。右の石には特に呼び名はないが、蛙石とは反対に晴天を祈願する時にこの石を揺すったという。祭神が夫婦であることから、この一対の石は「夫婦(メオト)石」と呼ばれている。
下多賀神社
熱海市下多賀1374-1
258.役行者
259.地蔵大菩薩
「日金山には鬼がいる」といわれ、昔から伊豆地方で亡くなった死者の霊は日金山に集まるという伝承がある。
春秋の彼岸に日金山に登ると「会いたい人の後ろ姿を見ることができる」という言い伝えは、まさに山上他界を表した神仏習合の伊豆修験と言えるのではないだろうか。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、東光寺に厚い信仰を寄せていた。本尊として祀られている「延命地蔵菩薩像」は、頼朝公が建立したと伝えられている。 地蔵菩薩は、自らを地獄に身を置いて、地獄で苦しむ者を救ってくれる仏なのだという。
佛足ふみ。足腰の健康の祈願というのも伊豆修験の道に相応しい。
日金山東光寺
熱海市伊豆山968
260.地蔵堂
261.本宮大権現
伊豆山赤井谷の谷頭に営まれた本宮。伊豆山神社は、応神天皇4年(273年)、神鏡を日金山に祀ったのが始まりとされ、承和3年(836年)神霊が本宮山を経て、現在の伊豆山神社に遷座された。
昔、この地には水神社(奈良県吉野村の丹生川上神社)が祀られていたが、行方不明になっていたという。再びこの地に土石流の水害が起こることないよう、令和4年(2022)水神社が新たに本宮社の隣に建立された。
境内を見回してみると参道も整備されている。お披露目はいつだろうか。つい一年前はお世辞にも人が来るような雰囲気ではなかったが、現在は人の手が入り地域の愛着を感じる。伊豆半島一周して気づいた事「神社は地域の鏡」である。
伊豆山神社 本宮
熱海市伊豆山1083
262.産之大明神
263.白山大権現
白山大権現。伊豆山神社から20分ほど登っていくと巨岩が姿を現す。
巨石を背負った姿が神秘的であり、修験の磐座信仰を感じる場所だ。社殿の裏の急こう配を登ると、「白山大権現」と彫られた小さな石造りの祠。巨岩に隠れるように鎮座している。実はこちらが元々の白山神社だ。
白山神社を下っていくと修験者の行場跡がある。修験道の開祖とされる役小角や末代上人、弘法大師こと空海も、この伊豆山で峰入修行を積んだと伝えられている。
白山神社
熱海市伊豆山
264.白岩童子
出典:伊豆修験の考古学的研究ー基礎的史資料の再検証と「伊豆峯」の踏査ー