純文学とは二度出会う
私は純文学が好き、らしい。
でも、この本が好きです、とは言えても、絶対おすすめだから読んで、後悔させない、とか、そういうことがあんまり言えない。
何を隠そう、わたしが文学に惚れ込んだきっかけは宇佐美りんさんの『かか』(第56回文藝賞受賞)でした。
でも不特定多数に薦めるにはこの本、主人公の語りも痛みもある意味ショッキングというか、自分の中に入れるには異物感が強すぎるのではないかと思うわけです。とても痛いから、読んでいられない、と思わないか。
それで「純文学は合う人合わない人いるから……」みたいなこと言ってしまうのは簡単だしそう考えることもあるけど、それって内輪で「わたしたちはこれでいいもんね」って言ってるみたいで多分ちょっとダサいよ。
かくいうわたしもそれまで純文学はつまらないと思っていたけど(奇しくも母の言葉だった)、こうやって何かのはずみで案外その呪いは解けるのでは?なにかハードル低いきっかけはないか?
考えていたら、実は昔、知らないうちに面白く読んでいた本がありました。ありましたよ!!!!
『風味絶佳』山田詠美
わたしの純文学デビューは多分これです。
初めに収録されている「間食」の2段落目、主人公が恋人を抱きしめる描写。当時のわたしには未知のものなのにとてもよく「わかる」。もう、衝撃。どうわかるか?読んで!
たしか学校の課題で日本文学を読んでこいという著者リストの中に(太宰治とかといっしょに)山田詠美の名前が入っていたんですね。それでふんわり手に取って読んでみて、中学生の私は即決でした。
今の私たちでも読める文体で(これはけっこう大切だ)、きっととてもわたしたちの近くにあるものがそこには書かれていると思います。
恋愛小説短編集だけれど、純愛というには現実的で、センセーショナルではないが体温があり、それでいて何かこころに痕を残す言葉にできないあの感じ、とっても「ちょうどいい」本です。
うろ覚えでも、小海老のようにきゅんとすぼまる唇、アルファベットのマカロニで作った忘れな草、とび職の青年の背後の高い空、ゆんゆんという鳥の鳴き声。そういう物語のかけらと温度をわたしもいまだ抱えていて、それだけで本って読む価値あります。
何かまともなことを書こうと読み返してみたらやっぱり面白くなってきました。当時の自分に全然「読めてない」よ、と口を出したくなるところもたくさんあって……と、面白いから余計なことを言いたくなる。
けれど、他人の感想を聞いて読んだ気になるのはあまりにも勿体ない。まずは一度、何をどう感じるかを恐れずに、是非その身で味わってほしいです。