電波戦隊スイハンジャー#166 渦女、岩戸を開ける
第九章 魔性
渦女、岩戸を開ける
山梨県甲州市勝沼町の㈱勝沼酒造本社敷地内にある小さな神社、
蔓草弁財天は大正10年、創業者の勝沼徳之助によって造営された。
da.dadada.dadadada.da.dadada.dadadada…
吉祥天女の衣装を身に纏った銀髪銀目の女がスネアドラムの細かい旋律に合わせてゆっくりと右腕を振り上げると、羽衣の端が空中に舞い上がる。
天女が裸足で跳躍し、右回りにくるり、ふわり、と舞う。その優雅な姿を観衆は皆、一目惚れしたように注視している。
楽器の音が増えるにつれ天女の旋舞は速度を増し、動きも激しくなってくる。
だん!だだだだんだん!だん!だだだだんだん!
やがてリズムは最高潮に達し、天女が夜空に手を大きく差し伸べてから壇上に伏すと同時に音楽が止み、皆を仙境に誘った15分が終わった。
観客たちはしばらく沈黙し、やがて割れんばかりの喝采と拍手を天女に捧げる。
天女は両手を広げて立ち上がり、「どうもおおきに」と一礼した。
2013年11月2日夜、勝沼酒造の創業記念日にあたるこの日、
神社に設置された舞台で舞踏家ドメイヌによる「女人舞楽ボレロ」が奉納された。
この日この場所に居て彼女の舞いを見た者たちはまさに眼福を味わったのだ。
だって、ドメイヌの正体は芸能の神アメノウズメノミコト。本物の女神が舞ってくれてるなんてこれ以上の僥倖があろうか!
俺ぁ生きててよかったぜ…あ、10年前に死んでた。
と特例で現世にロングステイしている幽霊、野上鉄太郎は自分で自分のおでこをぺちっ、と叩いてからから笑った。
「うむ、この神社建ててよかった…とこれ程思った夜はない」
と鉄太郎の隣で呟く声がした。かっきり顔を90度顔を右に旋回した鉄太郎の眼前に、ずば抜けて長身の紳士がにこにこ笑って立っている。
紳士は年は30くらいで英国風の背広姿。見た目は自分と同じくらいだが、
何だ?こいつの体中から発せられる妙な威厳は。
「今夜は楽しんで行って下さい」と紳士は鉄太郎に握手を求めた。
「私は野上鉄太郎、生前は大学で教えてました…あなたは?」と手を握り返しながら鉄太郎は相手の名を尋ねた。
こうして俺と普通に会話できるってことは「お仲間」(幽霊)に違いない。
「私は勝沼徳之助、ここでワイナリーを始めた者です」と軽い口調で紳士は答えた。
勝沼徳之助(1854~1942)
今や清涼飲料水のトップメーカーとなった勝沼酒造の創業者で、幕末、明治、大正と激動の時代に活躍した日本経済界の大物。
い、偉人じゃねーか!「恐縮です」と自分より年上の幽霊には敬意を払う鉄太郎であった。
「あそこで音頭を取っておるのが私の玄孫でしてな」
と徳之助は葡萄色の半被を着て壇上に立った若者を指さした。
舞台の上では社長のご令息である勝沼悟マイクを持って
「マダム・ドメイヌの素晴らしい奉納舞でした!皆さん拍手を」
と蔓草弁財天豊穣まつりの司会を買って出ている。
経済界では「勝沼のぼんち」と呼ばれ、勝沼ホールディングスグループの本社勝沼酒造の次期社長と目される若者は…
今年五月から世間を騒がせている謎のヒーロー戦隊「電波戦隊スイハンジャー」のササニシキブルーの正体でもあるのだ。
勝沼家に生まれて全てに不自由無かったものの虚しさを感じていた悟はアヤシイ小人から青いしゃもじを喜んで受け取り、人生初めてのリア充期を満喫している。
祭りには創業者一族の勝沼家と西園寺家の人々と本社重役たちしか参加できないしきたりなのだが、今年は悟の戦隊仲間である6人も特別招待されていた。
「ブラボー、ドメイヌ!」と参加者が着る葡萄色の半被をまとい、ハチマキまで締めて昭和のアイドルの親衛隊みたくメガホンで声援を送るのは
先祖代々お祭り男の農家の息子コシヒカリレッド、魚沼隆文。
農林水産省に勤める童顔官僚ヒノヒカリイエロー、都城琢磨。
鉄太郎と徳之助の存在に気づいていながら優しく無視する寺の跡継ぎ兼教師七城米グリーン、七城正嗣。
東京藝大で雅楽を学ぶ十勝の大牧場の娘きららホワイト、小岩井きらら。
そして、非正規隊員(イレギュラーズ)
戦隊のメディカルサポート担当なんだが結局一番戦っている医師シルバーエンゼル野上聡介は鉄太郎の孫。
ウズメの舞いに「お勉強になりました…」と目を潤ませて合掌するのは日本舞踊家のピンクバタフライ紺野蓮太郎。
以上が戦隊スイハンジャーのメンバーたちである。
主催者側の悟以外の六人は、これから起こる祭りのメインイベントにわくわくしていた。
「やっぱり餅を投げるんだろうか?」
「馬鹿ね、それはお家の棟上げ式じゃない」
「これから起こることは口外できない蔓草まつりの秘事…気になります」
「さーて、それでは今年の収穫に感謝する儀式、『えびかずらぶっかけ祭り』、皆さん各自ご準備を」
ご準備!?
と聞いて慌てて辺りを見回すと、重役たちが大人から子供にまで幅広く愛飲されるジュース「みっちゃん」(炭酸入り)2リットルペットボトルを嬉々とした顔で上下に振りまくっている。
いい年したビジネスマンのおっさん達が、である。
「尚、この儀式によるクリーニング代は弊社がすべて負担致します、開始!」
どん!
太鼓の音を合図に泡立った紫色の液体が一斉に戦隊の若者たちにぶっかけられた。
「こ、これはつまり…プロ野球のリーグ優勝のノリか?」
額から滴り落ちるぶどう味の液体を舐めてから戦隊たちは今起こっている事態を理解し、
負けじと足元のペットボトルを振って誰彼構わず近くにいる者にぶどうジュースを浴びせまくった。
「うわははは、これで一年の憂さを晴らせますなあ。コストカッター待てい!」
と常務たちが社長を標的にして集中攻撃し、
「くうっ…今なら言わせてもらう。現場がいちいちうるさいんだよっ!」と社長も強力水鉄砲で応戦する。
その背後から「あなたもっと家に帰って来て下さい」と笑いながら夫人が社長の襟元に氷を入れる。
これが、祭りのテンションと酒の力を借りて滅多に言えない本音をぶつけ合う「無礼講」の真の恐ろしさなのだ。
「この催しは、飲みにケーションならぬ、ぶちまケーションという日本独特の文化。不思議とこの祭りの後で大きなプロジェクトがうまくまとまるんですなあ」
子孫たちが立場を越えてはしゃぎ回り、全身紫色になっている様を見て満足げに徳之助はうなずいた。
「…なんちゅーたわけた祭りだ」
呆れ果てて鉄太郎は呟いた。
「実のところ考案者は私なんですよ。最初の頃は失敗して腐らせた葡萄酒ぶっかけ合ってました」
「あんた、偉人だけど馬鹿だねえ」
こうして日本一たわけた祭りは夜更けまで続いた…
時刻が11月の2日から3日になろうとしている頃、
とある山の簡素な社の前では薪の火のように美しい焔の色の髪をした長身の青年が、
社を覆う白い帳の奥からこちらを窺う二つの光る眼に向かって、
るーるるるる、るーるるるる…
と手に持ったチューリップから揚げチキンをちらつかせて明らかに中にいる「彼」をおびき出そうとしていた。
「別に取って喰おうとしてないんだから…というか喰わせようと思って弁当持ってこの寒い中山を登って来たんだ。少しは警戒を緩めてくれてもよかろう?
可愛い元同僚」
と言って破壊天使ウリエルは白い息を吐き、「彼」をなだめるように呼びかけたがやがて大袈裟にため息をつくと、
しょうがないね…と地面にビニール製のレジャーシートを広げ、中央に三段重ねの黒塗りの重箱とその横に小さな魔法瓶を置いて、
「我が妻ウカ様の手作り弁当と味噌汁だからね」と言い置いてから来た道を引き返してその場から立ち去った。
ダウンジャケットを羽織ったウリエルの背中が夜の闇に溶けるのを見計らって社から出てきたのは、一羽の小さなからすだった。
からすははかぁ、と一声鳴いてから低く飛んで弁当箱の縁に脚をかけると、わざと蓋を取ってある一の重の中にある黄色い出し巻き玉子を一口ついばむと、
「うまいっ!」と叫んだ。
二の重に詰まっている新米コシヒカリの塩むすびをかじり、一の重のおかずの出し巻き玉子とチューリップから揚げとお煮しめを交互にぱくつき、
魔法瓶の蓋をぽん!と開けて味噌汁をすすった。
「はぁ…体が温まる~」
と一息ついたからすは、自分が「本来の姿」に戻っている事に気付かずに三の重といえば果物だよね!と期待して空にした上二つのお重を持ち上げ…
空っぽの三の重を覗き込むと頭上から「引っかかったな、鞍馬の主よ」と声がして驚いて見上げると…
社の屋根から飛び降りたウリエルによってからすは稲穂の金細工を施した重箱の中に閉じ込められていた。
「ウリの馬鹿野郎!また今年も騙したなっ」
とがたがたうるさい重箱に封印のお札を貼り付けて風呂敷で包んでリュックにしまうとウリエルは
「毎年毎年食い物に釣られて捕獲されるお前が悪い」
と言い捨てそのままリュックを背中にかけて軽々とした足取りで山を降りて行った。
2013年11月3日未明、大天使ウリエルは今年も鞍馬山の主、護法魔王尊の捕獲に成功した。
目覚める前に野上聡介はいくつか夢を見た。その中でも紫色に濡れた背広姿のゾンビたちに追われ、囲まれる夢がやけに鮮明だった。
ああ、あんなおバカな祭りに面白半分で参加した俺が馬鹿だった…
と頭の隅では昨夜の蔓草弁財天での祭りの記憶だ、と分かっているのだ。
しかし、額から紫色の血を垂らした勝沼悟に(こいつもゾンビ化していた)ぶどうジュースの池に蹴落とされ、
肩からベッドに転落した時、あ、これは現実だ。と思って目を覚ました。
自分は枕を抱きしめ、上半身は床に、ふくらはぎだけベッドに乗せた状態でいる。
いや待てよ…俺が蹴落とされたのは夢ではないぜ!と思って床から跳ね起きて自分が寝ていたベッドを覗くと…
黒髪の少年が上半身裸で寝ていた。
年の頃は15、6才くらい。陶磁器のように色白の美少年が口を半開きにして朝寝している様はなんとも艶めかしい光景だ。
が、少年の背中に折りたたまれている黒い翼を見た時
うわあーあああ!と口を全開にして叫んだつもりだったが、背後から某国諜報員顔負けの素早さでウリエルに口を覆われた。
「済まないな、本体に戻したるーちゃんを取りあえず元仲間たちのいるこの家に置いてくれないか?」
落ち着きます、落ち着きますから手を離して!と聡介が両手を上げる仕草をするとウリエルは手を離し、
「説明すると長くなるが、彼はルシフェル。ミカエルの双子の兄だ」と言って腰を下ろし、長身を屈めて
先週部屋に出したこたつの中に脚を突っ込んで電源を付けてから答えた。
「ルシフェル、ってあの魔太子ルシファーのこと?」
「そうともいう。普段は鞍馬山に幽閉されている彼を急いで連れて来た」
「鞍馬山って義経と天狗の伝説があるとこだろ?あの黒い羽根はまさか」
と聞くとウリエルはひとつうなずき、
「鞍馬山の主、護法魔王尊の正体はそこで寝ているルシフェルだよ。彼が天狗と呼ばれるもののモデルだ」
とこともなげに朝からとんでもないネタバレをしてくれやがったのである。
「ちょっと頭の整理がつかないんだが…」
聡介はパジャマの上に半纏を羽織ってこたつに脚を突っ込んで、考えるのは体が温まってからだ!と開き直るしかなった。
「気持ちは解る」
「うそつけ、てめー脚少し出せ」
「長いからしょうがないだろう。おまえこそ人の脚蹴るな」
「んだと、俺が家主だぞ」
といい年した大人二人がげしげしこたつの中で蹴り合いをしている内にルシフェルが目覚め、開口一番
「お腹空いた」
とシーツにくるまりながらこたつに入って来た。
「そこの高天原族よ、ぼくの名はルシフェル。るーちゃんって呼んで」
と朝の光の中にっこりと聡介に向けた笑顔は「まさに天使」であった。
なんでこの子堕天しちまったんだろな?と思わず疑いたくなるくらいの眩しい笑みを見せられて、
ミカエルが出張中でとりあえず良かった、と聡介は思った。
後記
冒頭のボレロと登場人物紹介は映画「愛と哀しみのボレロ」のオマージュ。
かーらーのープロ野球リーグ優勝ノリ。