電波戦隊スイハンジャー#42
第三章・電波さんがゆく、グリーン正嗣の踏絵
時は光のように5
少年はいきなり背中を押され、田んぼに突き落とされました。
小学1年生の、1学期の終業式の帰りです。
1月半育てて、つぼみにした行燈仕立ての朝顔が、田んぼの泥でぐしゃぐしゃになり、鉢ごと台無しになりました。
少年は、泥だらけの顔で土手を見上げました。
突き落とした犯人は、当時クラスでやんちゃ坊主だった井村武雄でした。
武雄は泥で汚れた少年を見て周りの同級生たちと、けたけたと、実に愉快そうに笑っていました。
「きったねぇ小坊主!」と指さして言った言葉を少年は22年経った今でも、忘れられません。
坊主。少年は寺の跡取り息子に生まれたのです。言われて当たり前の言葉です。
が、その時の武雄の口調は思いっきり嘲り、楽しむような響きがありました。
少年は信じられませんでした。
つい昨日まで、武雄は一緒に蝶のさなぎやザリガニを探していた仲間で、頼もしい友達だと思ってました。
その武雄が自分を攻撃して、嗤った。
その事実に混乱したまま翌日から夏休みを迎え、学校に行かない日々を迎えました。
幸い親父が自宅の庭で朝顔を育てていたので新しく行燈仕立ての鉢を作ってもらい、夏休みの宿題の朝顔観察には困ることはありませんでした。
しかし少年の心は幸いではありませんでした。
あの時、武雄に突き飛ばされてバラバラになった朝顔とともに、友達への信頼の心が、武雄の他愛のない悪戯で、破壊された。そんな気がしたのです。
少年が鬱々とした気持ちで過ごした日々は、そんな長くは続きませんでした。
実家の寺の手伝いやら、庭での畑仕事やら、当時病床にあった母方の祖父の病院への見舞いやらで、7歳ながらも、寺の息子には色々やることがあったからです。
毎朝5時半に両親と共に起き、ご本尊に花、水、お香を備えて勤行し、6時には鐘を衝く。
17代前の先祖からの、しきたりを欠かす訳にはいきません。
鐘を衝いたら、後は子供の時間です。
朝6時半までにはふもとの公民館までラジオ体操に行ってハンコをもらい、7時には家に帰って朝飯を食う。
菊池の夏は暑さが厳しいので、午前中には夏休みの友の記録と、宿題を済ませてしまいます。
成績も優秀な方で、大人の言うことには聞き分けのいい息子をなぜか両親、特に母親は心配しました。
寺を訪ねてくる友達が、特に親しい市来優作くんしか訪ねてこなかったからです。
優作くんは寺のふもとの新築の家に越してきた、6月からクラスに来た転校生でした。
彼の父は公務員。母親は薬剤師という、農村部の住民からすればこじゃれた環境の
一家で、彼自身、熊本市内の小学校から来たので色白で坊ちゃん刈りの都会的な雰囲気を漂わせている子供でした。
少年と優作くんがすぐ意気投合したのは、お互い、クラスから「浮いている」存在だったからだと思います。
優作くんは江戸川乱歩の少年探偵団シリーズの小説とかを何冊ずつか持ってきて、少年に貸してくれました。
お礼に少年は手持ちの「ファーブル昆虫記」、「ズッコケ少年団シリーズ」を貸し、お檀家さんからもらった家族では食べきれない菓子や果物を持たせて夕方暗くなる前に、ふもとの彼の家まで送る。
そんな、田舎の夏の日々が続きました。
じじじじじじじ、とアブラゼミがやけにやかましい夕方でした。8月を過ぎてすぐの事でした。
「マサ。おまえ、タケヲとケンカしたとか?」
プラスチックの昆虫ケースに入ったカブトムシをいじりながら、いかにも自然なふうに優作くんが聞いてきたのです。
ああ、僕が田んぼに突き落とされた所を彼も見ていたのだな、と少年は気づきました。
「いや、ケンカはしとらん」
「ケンカしとらんであんなヒドイ事されたと?先生とか親に言いつけなん」
「いや、まだ1度だけだけん。もうせんかもしれんけん」
「いや、タケヲはしっかり叱られんといかん。ほっといたら、いじめになる」
いじめ?
いじめ、という不穏な用語を身近に聞いたのは、それが初めてでした。2人とも、まだ7歳でした。
「僕は市内から来たけん、いじめばしょっちゅう見てきた。僕達はまだ1年だけん、ただのケンカや小突き合いはある。
でも3年ぐらいになると、『しかと』されたり金盗られたりするとよ。
それで『じさつ』とかするとよ。警察が来たりするとよ。転校する前の僕の学校であったとよ」
「じさつ、って何ね?」
「何もかもいやんなって、自分で自分ば殺すとよ。ほれ、7月に松山のおじさんの所で葬式があったろ?実は…」
自分で首ばくくんなはったとよ。
と日之出スーパーの奥さんから聞いた、と優作くんが言いました。
不吉な野風が吹き、雨が降る予兆の匂いがしました。
「やめなっせ!!人の生き死にを口にするとでけん、てお父さんいいよったよ」
少年は感情的になって優作くんを突き飛ばすような形になりました。でも、彼は気を悪くする風でもなく少年を見つめたまま
「とにかく気をつけなっせよ…」と預言めいた口調で忠告しました。
7歳で世間の過酷さを垣間見た少年の、厳しさと諦めが、彼の青みがかった白目にたっぷり含まれていました。
優作くんを彼の家まで送り届けた後、少年はどうやって丘の上の寺まで帰ったのか覚えていません。
いじめ、って、人を殺すのか?そんな怖い力が、子供を襲うのか?
ただただ恐ろしくて、暗くなりかけた家路を急ぎました。
「おい、お前、腕に掻き傷が出来とるやないか」
京都の寺から婿に来て住職を継いだばかりの父は、まだ抜けきってない京なまりで息子を心配しました。
夢中になって竹藪に入って、笹で手を切る事に気づかないくらい、いじめ、という言葉が怖かったのです。
父が消毒薬で傷の手当てをしてくれている間、そういえば、しょっちゅう遊びに来ていた武雄も、その仲良しの保も建志も、うちに来なくなったな、と思いました。
それから間もなく、入院していた祖父が死にました。膀胱癌でした。
8月14日から15日になる、夜中の事でした。
8月15日の朝も少年はラジオ体操に行きました。
参加したのは登校班長の6年生の茂兄さんと少年だけでした。
「おまえ、じいちゃんが死んだとに体操に来るとか?」
少年のカードにハンコを押しながら、茂兄さんは実に変わった奴だ、とでも言いたそうな、呆れた目をしていました。
少年はラジオ体操がそんなに好きだった訳でもなく、体を動かした方が余計にものを考えずに済むから、通ったのです。
それになにより、ラジオから聴こえる
新しい朝が来た。希望の朝だ。
という歌が大好きだったのです。
それから夏休みが終わるまで、祖父の本葬や初七日などで、忙しく日々は過ぎていきました。
両親が弔問客やお檀家さんの応対に追われるのを見ながら、少年は合間で宿題を片付けていきました。
「こんままずっと夏休みだったらよかとにねぇ…」
8月31日。宿題を手伝いに来た優作くんが、縁側でスイカにかぶりつきながら呟きました。
そして優作くんの預言どおりに、夏休み明けから少年はいじめのターゲットにされたのです。
登校、下校時に、通り過ぎざまに頭をはたく、膝を蹴る、制帽を奪って地面に落とす。
「この貧乏坊主!」と罵る。上履きや体操着を授業前に隠す。
先生に叱られる少年を見てせせら笑う。
上履き、体操着はゴミ箱の中で見つかりました。
主犯格は、少年を田んぼに突き落とした武雄と、その子分の保と建志。
注意した女子にも、武雄たちは容赦なく暴力をふるいました。
女子から報告された先生は激しく武雄を叱り、体罰も与えました。
22年前は、教師の体罰が普通にある時代だったのです。
往復ビンタを受けても、武雄たちは悪い意味でめげない奴らでした。
クラスの者たちは、だれもいじめを止める事はできませんでした。
そう、優作君以外は。
2年生の夏でした。掃除の時間だったと思います。
「お前たちは、やってよか事と悪か事ん分からん馬鹿か!?」
白く細い体に精一杯の勇気を振り絞って、優作君がいつものように袋叩きに合っていた少年を庇ったのです。
当然、優作くんも袋叩きにされました。
「いって~っ…」
帰り道、慣れないケンカの痛みで顔をしかめながら、優作君が血の混じった唾を地面に吐きました。
口の中を切ったのでしょう。
「…なんでね?」と少年は聞きました。
今まで自分までイジメられるのが怖くて、見ていたくせになんで今更?という皮肉の響きがありました。
「もう武雄たちのマサへのいじめは、先生も親たちも知っとる。
ゆうべお母さんにめちゃくちゃ叱られた。
あんたば卑怯者にするつもりで『優作』て名付けた訳じゃなか!って。痛かけど、なんかスッキリした…
ちくしょう、間違った事してねえのに、なんでこんな痛い目にあわなきゃなんねえんだ?」
少年は涙がこぼれそうになるのを、一緒に痛い目に遭ってくれた友のためにこらえました。
周りの田んぼにはカエルの合唱が響いていました。
新しい朝が来た、希望の朝だ
「よろこーびに、胸をひーらけ、あおぞーらあーおーげー!!」
優作くんも、きゃははは、ラジオ体操の唄だ!とはしゃぎながら、一緒になって歌いだしました。
「この薫る風に開けよ、それ1、2、3!!あはははは!」と少年と優作くんは笑い合うと、幾分すっきりとした気持ちになって家路に付きました。
息子に向けられた執拗ないじめを知った親父は、息子が小3になると、自分と友達を守れるようにと近所の剣道クラブに入門する事を薦めました。
少年は剣道が面白くて面白くてのめり込み、めきめき上達しました。
1年経つと、いじめっ子達の急襲にも対応できるようになりました。
剣道を通して友人も増えました。
優作くんは母親の調剤薬局を継ごうと薬剤師を目指し、私立中学合格を目標に学習塾に通いだしました。
小学校高学年になる頃には、少年をいじめる者はいなくなりました。
「事件」が起こったからです。
武雄の父親が、覚せい剤使用の罪で逮捕されたのです。
武雄は母親と、母方の祖母と夜逃げするように町から消えたのです。
後から聞いた話ですが、武雄の父親は何年も前から暴力団から薬を買い、武雄は幼い頃から酒に酔ったか覚せい剤を打った父親からの暴力を受けていたのだそうです。
そう、思い出してみれば、武雄はいつも、青アザの絶えない奴でした…
子供なのに、荒んだ目をしていました。
「武雄は弱虫だったったい。弱虫だけん、自分より弱そうな獲物探して攻撃しよったったい」
優作くんはいじめっ子に起こった不幸に同情することなく、吐き捨てるように言ってました。
6年生の冬、優作くんは第一志望の私立中学に合格し、父方の祖母がいる熊本市内に引っ越す事となりました。
「お互い、何かあったら絶対言えよな」と、秀才肌の少年はラジオ体操のテーマをハミングしながら、駅のホームから電車に飛び乗りました。
それぞれが、自分の人生に向かって歩き出す年頃になっていました。
少年は地元の公立中学に進学し、成績も上位。
学期ごとに級長に選抜される、思春期なのに、女の子に興味あるそぶりも見せない
(本当は興味があったんですが)、という品行方正な生活を送ってました。
まあ、地元で400年以上続く寺の跡継ぎ、という自意識も芽生え始めていましたしね。
でも少年には、4年間受け続けた過去のいじめの記憶と心の傷は深く残っていたのです。
まず体が高所恐怖症になっていました。
そう、田んぼに突き落とされたトラウマからです。
未だに、下りのエスカレーターにも乗れない始末です。
「そうか、マサが、体育館のステージで足震えるのはそれでなんだ…」
安藤裕美が、口を結んで担任教師の正嗣の足元を見た。
その度に指さして笑ってごめんよ…
裕美は心の中で正嗣に詫びていた。
懲罰通告の後で「これは独り言です」と始まった正嗣の話に、いじめっ子達3人の少女はいつの間にか聞き入っていた。
「今回の件で、光彦には狩野がいてくれたように、
私にも優作がいてくれなかったら、『死にたい』と思い悩んで死を選んでいたかもしれません。
言うまでもなく、少年とは私の事です」
自分たちは同級生や後輩に、「死にたい」と思わせるような事をしてきたのか。
マサの話を聞くまで、罪の意識も、後悔も気まずさもあまり感じてきていなかった自分たちの幼さと傲慢が恐ろしい、と少女たちは初めて思った。
自分たちはなんて馬鹿をしてきたのだろう。
「優作くんは、今は『いちき調剤薬局』にいる薬剤師の先生の事だね?」
平井みちるの質問に正嗣は小さく肯いた。
「そう、今はしっかり薬局を継いで頑張ってますよ。さかなクンそっくりで頼りなく見えますけどね」
さかなクン、と言われて3人の少女は優作の容姿を思いだし、今は噴き出してはいけない場面なので我慢して唇を引き結んだ。
「…マサをいじめていた武雄って人は、その後どうなったの?」
林芽衣子が尋ねると、正嗣は表情に生徒に初めて見せる翳りを浮かべた。
「実は、話はそこからなんですよ」